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解説集 ペンペングサ の池 (最新版 /印刷版 /ウェブ版 /最新版
印刷版は印刷物として生徒に配布されているものと同じです。ウェブ版は書き込み用です。 https://www.mori7.com/mine/ike.php
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1.1週 
●独裁と民主主義、内申点
 現代は民主主義の時代ですが、国によっては、ある程度の独裁が必要だと考えているところもあります。また、過去の歴史でも、民主主義が社会の混乱を招き、独裁がその混乱を収拾したということもありました。
 独裁政権は腐敗しやすいものですが、民主主義の行き過ぎは衆愚政治に陥る可能性もあります。
 どういう社会を目指すべきかということをテーマにして考えてみましょう。
 高1 1.1週のヒント ●独裁と民主主義
 第一段落は、北朝鮮と日本のように身近な例を挙げて書いていきます。意見は、「(独裁は確かに能率がよいかもしれないが)、私たちは民主主義を守っていくべきだ」
 第二段落はその方法。「そのためには第一に、話し合いや選挙などの手続きをわずらわしいと思わないことだ。」クラスでの話し合いで、物事がなかなか決まらなかった例などを考えてみましょう。
 第三段落は方法2。「また第二には、反対勢力がいつも拮抗しているような状態を作っていくことだ。」歴史実例は、対抗勢力がないために軍部の独裁に走った戦前の日本の例など。
 第四段落は反対理解。「確かに、民主主義は能率が悪いかもしれない。しかし、みんなの総意を生かして物事を決めていくことが大切だ。」ことわざの加工:「鶴の一声という言葉があるが、人間の社会は、誰かの一声で物事が決まってしまうようであってはならないのである。」
 
 
構成図の書き方
 構成図は、小3以上の生徒が書きます。小2以下の生徒は、絵をかいてから作文を始めるという課題になっているので、構成図は書かなくて結構です。
 構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由にどんどん書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でないことでも一向にかまいません。
 たくさん書くことによって、考えが深まっていきます。したがって、構成図は、できるだけ枠(わく)を全部うめるようにしてください。しかし、全部埋まらなくてもかまいません。
 枠と枠の間は→などで結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
 構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
 

構成用紙を使って構成図を書きます。
頭の中にあるものをそのまま書くとき。
構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです)
思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです)
思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。
枠からはみだしてもかまいません。全部うまったらできあがり。

 


1.2週 
●私が、文章を書くことで(感)
 文章にかぎらず、相手の欠点を当の相手を傷つけないように指摘してあげるのは勇気と工夫のいるものです。多くの場合、人はそういうわずらわしさを嫌って、見て見ぬふりをしてしまいます。それだけに、自分の欠点を指摘してくれた人に対する感謝の気持ちは、時が立てば立つほど大きくなっていくようです。

 今日の社会問題としては、叱らなくなった父親などが取り上げられそう。そう言えば、いつかガンコオヤジの会というのができていましたが、あれはどうなったのでしょう。

 似た例としては、自分の体験で「あそこでああいうふうに叱ってもらってよかったなあ」というような話が書けそうです。社会実例(昔話・童話)としては、叱られて(あるいは試練を通して)成長した「ピノキオ」や「ニルス」の話などが書けると思います。

 ことわざは、意見にぴったりのものでなく意見と少しずれているぐらいのものが加工しやすくなります。「良薬は口に苦し」「仏の顔も三度」などはストレートに使えそうですが、ぐっと飛んで「猿も木から落ちる」などを加工してみてもいいでしょう。できるだけ自分のオリジナルなものを考えていきましょう。
高1 1.2週のヒント ●私が、文章を書くことで(感)

 
 人生の先輩は、若者に対して誠実な批判をする義務がある、という意見です。高校生の人は、部活などで自分が先輩になった立場を考えてみるといいでしょう。
 第一段落は、要約と意見(当為の主題)。「叱るべきところはしっかりと叱るべきだ。それが相手のためになる。」
 第二段落は、そのための方法。「そのためには、自分自身に対しても厳しく生きている必要がある。」自分ががんばっているときには、叱る言葉にも気合が入ります。体験実例は、自分が叱ってもらった話などもいいでしょう。
 第三段落は、方法2と歴史実例。「もっと子供をしっかり叱る社会を作ろう。ギリシア時代の書物にも、「今の若者はなっとらん」ということが書いてあるそうだ(歴史)。また、日本の川柳にも、「売り家と唐様で書く三代目」という言葉がある(歴史)。豊かな社会になると、子供が次第に甘やかされる傾向は洋の東西を問わない。」
 第四段落は、反対理解とことわざの加工、又は自作名言。「確かに、体罰復活のような極端な叱り方はかえって逆効果になることもある。しかし、年上の者は社会的な責任として、自分よりも下の世代の者をしっかり叱る必要がある。獅子は子供を谷に突き落とすと言う。人間は獅子よりも立派な叱り方をしなければならない(ことわざの加工)。叱ることは、相手を否定することではなく、本当は相手を肯定することだ(自作名言)。」
 
★私が、文章を書くことで(感)
 昔、「暴れん坊将軍」という人気時代劇がありました。モデルは徳川吉宗。享保の改革を行った人物として有名です。ドラマの中では、世直しのために、将軍自ら江戸の市中を歩き回り、悪に対して大立ち回りをするというものでしたが、さすがに事実とは大きくかけ離れていたようです。実際に吉宗は、人々に贅沢な暮らしをやめ、質素倹約せよとお達しを出しました。しかし、人に押し付けるだけでなく、吉宗自身も質素倹約に努めたそうです。派手な衣服を着ず、刀も金銀のきらびやかなものではなく銅や鉄で作られたものを使い、食事も一汁一菜を基本とする……このように自ら率先して質素倹約に努めることで、人々にも厳しい生活を強いたということでしょう。人に厳しくあるためには、自分にも一層厳しくいなければならないという良い例ですね。

1.3週 
●庭は原始社会では(感)
 内容:庭は原始社会では集団全体の広場だった。歴史が進み階級制度が現れてくると権力者占有の庶民から閉ざされた庭園ができるようになった。日本の庭園が封建的な伝統を固定化し、個人のアクセサリーに堕したのに対して、早くから近代化した西洋では、貴族の庭園を開放して共有の公園を設備した。「庭」をただ眺めるだけのものとしてでなく、現代生活にふさわしい機能的な共同の広場として考えていくことが大切だ。
 解説:日本庭園というとすぐに頭に浮かぶイメージがあります。しかし、それは時代的に制約された特殊な庭園像のひとつにすぎません。きれいに手入れされた公園で、「芝生に入ってはいけません」とか「木にのぼってはいけません」とか「火をたいてはいけません」とかなどという看板が立っている公園がときどきあります。5、6月の芝生の芽の生えるころに「芝生に入ってはいけません」というのならいいのですが、そうではなくて、ただきれいなままの見るだけの公園にしておきたいから年中立入禁止というのであれば、話があべこべです。
 私(森川林)も、先日、海の公園というところに犬を連れて行きましたが、「犬は海の中に入れないでください」と注意されてしまいました。先生のうちの犬は海が大好きなので(泳ぎ方はもちろんクロール。うそうそ、犬かき)、海に入れないと聞いてがっかりしていました。注意する人にはそれなりのもっともな理由があるのでしょうが、「そんなに、役所みたいに固いこと言うなよな(実は役所で運営している)」というのが正直な気持ちです。
 また、この前は、近くの山の広場でバーベキューでもしようと思ってガスコンロを持っていきましたが、そこにはしっかり「火をたかないでください」という看板が立っていました。仕方がないからかたづけて帰ろうと思いガスコンロをしまおうとすると、うっかりまちがえてスイッチが入ってしまい、うっかりまちがえてフライパンにお肉が入ってしまい、うっかりまちがえてお皿にタレが入ってしまい、最後にうっかりまちがえて食べてしまい、やっとかたづけて帰ってきたという苦い思い出があります。
 音楽などの芸術も、もともとは歌ったり踊ったりするのが好きだという民衆のエネルギーから生まれたものですが、文化的に成熟し洗練されるにつれて、次第に富裕な階級のアクセサリーのようなものになり、本来持っていたエネルギーが失われていくということがあるようです。公園も、絵葉書のようにただ見るだけのものではなく、みんなの集まる広場として再生していくことが求められているのでしょう。
高1 1.3週のヒント ●庭は原始社会では(感)
 第一段落は、要約と意見。「公園は、見るだけのものでなく、共同の広場として使えるようなものにするべきだ。」
 第二段落は、方法1と体験実例。「そのためには、何のために公園があるのかという目的を考えることだ(方法)。公園に限らず、世の中には、本来の目的からはずれて運用されているものが多い。私は、買ったばかりの参考書でも、どんどん線を引いて汚すことにしている。それは、参考書を使う目的が、きれいに保存しておくことにではなく、その中身を頭の中に入れることにあるからだ。」
 第三段落は、方法2と歴史実例。「また、もう一つには、実際に多くの人が公園を活用するという機会を作ることだ。歴史的に見ても、文化が発達するにつれて、それまで制限されていたものがより多くの人に利用されるようになったという例は多い。先日も、相撲の表彰で女性を土俵に上げるかどうかの論議があった。昔は、船もトンネルも女人禁制だったが、今ではそういう制約はなくなっている。公園も、多くの人が使うことによって更にみんなのものになるのではないか。」
 第四段落は、反対理解とことわざの加工、又は自作名言。「確かに、静かに見るだけの庭園というもののよさもある。しかし、これからの庭園や公園は、生活の中で生きたものになることが要求されている。花も団子もある公園が理想の公園と言えるかもしれない(ことわざの加工)。公園とは、見物の対象である前に生活の場の一つである(自作名言)。
●庭は原始社会では(感)
 今、日本では、公園で子どもたちの遊ぶ声がうるさい、と苦情が出ているところがあるそうですね。悲しいことです。公園は、子どもたちをのびのびと育てる場所。そして、育つ子供たちの歓声に喜べるようでないといけないのではないでしょうか。
 『幸福の王子』という童話の作家として有名なオスカー・ワイルドの別の童話に『わがままな大男』という短編があります。
 あるところにとてもきれいな庭園があって、子どもたちの遊び場となっていました。ところがある日、庭の持ち主の大男が旅から帰ってきて、その様子におこり、子どもたちが入ってこられないように塀で庭を囲ってしまいました。すると、大男の庭には冷たい雪が積もり、いつまでたっても消えません。大男は、春はいつになったら来るのだろうとつらい毎日を送っていました。ところがある日、庭から美しい鳥の声が。見ると、塀の穴から子どもたちがこっそり庭に入って、木にのぼっているのです。その木から雪は消え、花が咲いているのでした。それを見た大男は後悔して、塀をこわし、以後、庭は子どもたちの笑い声で満ちたものになったのです。大男の心の氷も解けて、あたたかくなったのでした。
 この作品は1888年に出版されたものですが、今の日本にも通じるところがあるのが不思議ですね。
Re: ●庭は原始社会では(感)
1888→199

2.1週 
●ある書物がよい書物であるか(感)
 内容:ある書物がよい書物かどうかは、そこに書き手の作った世界が感じられるかどうかで判断される。それは、書き手が何度も反復した場所である。私は少年期、自分の思いがしゃべることによっては通じないという感じに悩まされた。しかし、自分の周囲には同じような人はいないのに、書物には同類がたくさんいた。あるとき、自分もまた周囲の他の人に、自分が周囲に対して思うのと同じように思われているのではないかと気づいた。私が畏れているのは、他の書き手ではなく、そういう周囲の人たちである。

 解説:自分の本当の心はだれもわからない、とは多くの人が思うことです。しかし、周囲に目を向けてみると、ほかの人たちもまたその周囲に向かってそう思っているのです。

 人間は自分のことは過大評価しがちで、他人のことは過小評価しがちです。スポーツやテストの結果でも、自分はもっと実力があるのに運が悪かったと思い、相手は実力がないのに運がよかった思いがちです。自分にはだれにもわかってもらえない深い内面があり、周囲の人には外から見るだけですぐにわかる表面しかないという都合のいい考え方をだれでもしがちです。

 周囲の他人にも、自分と同じような深い内面があるのだと自覚することが、私たちの認識を一歩前進させることになるようです。
 高1 2.1週のヒント ●ある書物がよい書物であるか(感)
 「自分たちを特別な存在だと思わずに、自分たち以外の人もまた、自分たちと同じなのだということに気づこう」という意見にすると書きやすいでしょう。勉強や部活でも、「こっちは、こんなに大変な事情があるのに、そっちはそういうことがなくて気楽でいいよな」と、だれもが思いがちです。しかし、相手も実はそう思っていることが多いものです。
 第一段落は、要約と意見。「相手もまた自分たちと同じなのだと思うべきだ。」
 第二段落は、方法と体験実例。「そのためには、相手の立場に対する想像力を持つことだ(方法)。私もこの前、初めてアルバイトをして、郵便配達をする人たちの苦労がわかった。」
 第三段落は、方法2と歴史実例。「また、もう一つの方法としては、自分たちだけの狭い世界に安住しないことだ。日本の文学界で私小説という独特のジャンルが盛んなのは、近代以降の文学者の多くが、文学しかできないという人たちによって占められていたからだと言われている(歴史)。実生活でもたくましく生きる力のある人が文学を志さないと、文学自体も豊かにならないだろう。」又は、具体的な人物などを例に、「勝海舟が、幕府という狭い視野にとらわれなかったのは、子供のころから幅広い階層の人たちと交流をしてきたためであった」など。
 第四段落は、反対理解と自作名言、又はことわざの加工。「確かに、ある分野を深く究めるということは大切だ。しかし、それが自己満足に陥る理由になってはならない。自分とはいつでも自分なのではなく、時には他人の目に映った他人なのである。わが身をつねられなければ、やはり人の痛みはわかりにくい。」
 
 

2.2週 
●私たちは旅、未知と偶然の要素を(感)
 解説:旅によって生き生きとした感受性をとりもどすことができる、という話です。自分の旅行体験などを書いてもいいでしょう。修学旅行などで、ただみんなについていっただけの旅行というのは、夜中の枕投げ以外にそれほど印象に残るものはありませんが、自分ひとりで行った旅行の場合は、細かいところまで鮮明に記憶しているものです。

 修学旅行と言えば、先生(森川 林)も、高校3年生のときの修学旅行は確か九州か京都に行ったはずですが(それとも奈良だったかな)、行った場所などは何にも覚えていず、覚えているのはバスガイドさんがきれいだったことと、夜中にみんなで電気を暗くして話をしたことぐらいです。

 主題は、単なる知識よりも、生きた関心が必要だということで大きく考えていくといいでしょう。

 社会実例は、主人公が旅に出て成長する物語などで考えてみましょう。例えば、「浦島太郎」。「平凡な生活を営んでいた太郎は、亀を助けたことから、海の中の竜宮城に旅立った。地上では何百年もたつ時間がわずか数日にしか感じられなかったのは、それだけ太郎の感受性が生き生きとしていたからにちがいない。云々」

 ことわざは、「かわいい子には旅をさせよ」などのようにすぐに当てはまりそうな表現だと、かえって加工しにくいものです。「ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない」は逆の意味のことわざなので、この方が加工しやすいでしょう。全く関係のなさそうなことわざで、「猿も木から落ちる」のようなものを主題に関連させて加工していくと、頭の体操になりそうです。「『猿も木から落ちる』『カッパの川流れ』とは言うが、決して『猿の川流れ』とは言わない。つまり、慣れているものには注意力も散漫になるが、初めて出合うものには集中力も高まるということである。家と学校(会社)の往復だけでは得られない新鮮な感受性を非日常的な旅行で手に入れることが必要なのかもしれない」のように。しかし、猿が川を流れている場面というのは、想像しにくいなあ。
高1 2.2週のヒント ●私たちは旅、未知と偶然の要素を(感)
 第一段落は要約と意見。「私たちは、旅をすべきだ。」
 第二段落はその方法。「まず、何にでも新鮮な好奇心を持つことだ。私も、学校に行く途中の道は、ときどき経路を変えて変化を出している。」
 第三段落は、方法2と歴史実例。「第二は、若者が旅に出やすい環境を作ることである。明治時代にヨーロッパに留学した夏目漱石や森鴎外など日本の若い知識人たちは、そこから多くのものを得てきた。(歴史)」
 第四段落は、反対理解とことわざの加工、又は自作名言。「確かに、日常生活を大事にするという考えもわかる。しかし、人間は環境の変化によって精神も活性化する。時どきはころがらないと、人間の精神も苔を生じてしまうのである。」
 
 

2.3週 
●どこかへ旅行がしてみたくなる(感)
 旅行が題材になっていますが、無難で安全な既成のやり方でなく、危険もあるが発見もある自分独自のやり方の方がよい、という意見を主題にして考えてみるといいでしょう。

 体験実例はいろいろありそうです。数学の問題を解くときでも、ゲームをするときでも、ほかの人に教えてもらってうまくやってもあまりうれしくありません。自分の力でやろうとすると失敗も増えますが、そのかわりうまくいったときの喜びは何にもかえがたいものがあります。

 社会実例は、歴史上の話でいろいろありそうです。義経のひよどり越え、信長の桶狭間の戦いなど、捨て身のオリジナルな戦法が成功した例と言えます。エジソンやライト兄弟なども、みんなに認められる歩きやすい道でなく、自分の考えであえて狭く困難な道を選んだ人たちです。桃太郎も、村でのんびり畑仕事をしていたほうがずっと楽だったのに、あえて鬼退治という困難な道を選びました。みんな、自分の意志で自分らしい人生を歩こうとした人たちです。

 もし、桃太郎の昔話が、「桃から産まれた桃太郎は、若者になると、おじいさんのかわりに毎日山へ柴刈りにでかけましたとさ。めでたし、めでたし」となったら、めでたくもなんともないでしょう。

 ことわざは、第一次南極観測隊の西堀栄三郎さんの著書名「石橋を叩いていては渡れない」などが加工の例として使えそうです。自分でほかの例を考えてみましょう。
高1 2.3週のヒント ●どこかへ旅行がしてみたくなる(感)

 
 第一段落は、要約と意見(当為の主題)。「既成の安全なやり方ではなく、危険もあるが成長もある自分らしいやり方で物事に取り組むべきだ。」
 第二段落はその方法と体験。「そのためには第一に、失敗を恐れないことだ(方法)。私も、旅行に行くときに、みんなとは違う道を行き一人だけ道に迷ったことがある(笑)。」
 第三段落は、方法2と歴史実例。「第二には、周りの社会が、自分らしいやり方というものを評価してあげることだ。歴史的に見ても、偉大な発明や発見は、それまでの常識と思われていた考え方を否定したところから始まったことが多い。パスツールがワクチンを発見したのも、捨て忘れたウィルスをニワトリに注射したことが発端だった。」
 第四段落は、反対理解と自作名言。「確かに、これまでの先人が残してくれた遺産をしっかりと継承することは大切だ。車輪を発明する人は一人でいいという言葉がある。しかし、時には新しい車輪を発明しようとする人も必要なのである。」
 

3.1週 
●もう一度、教室の光景へと(感)
 内容:現在の子供に見られる問題として、まず他者への無関心と気配りのなさがある。次にモノとの出合いの経験に乏しく道具の使用が未熟であることが挙げられる。言葉という道具についても活字離れが進行している。
 解説:現在の子供と言われても、比較する基準のない高校生のみなさんには納得しにくいと思います。むしろ現在の社会の問題としてとらえるといいでしょう。
 都会では、隣人に対する無関心が広がっています。昔は、朝ご飯を作るのにお味噌が足りなくなったから隣のうちから借りてきてというようなことがありました。いまは、そのような光景はまずありません。それどころか、道端で人が倒れていても、「お、ちょっとごめんよ」とまたいで通り過ぎてしまうような光景があちこちで見られます。(ないない)
 また、モノとの出合いの少なさや、道具使用の未熟さもよく見られます。昔は、夏は汗をかくもので、冬は寒くてふるえるもので、鉛筆はナイフで削るもので、ご飯はかまどで炊くものでしたが、今は、夏はクーラー、冬はホットカーペット、セブンイレブンでシャーペンを買って、おかずはレンジでチンという生活です。自動車の免許なども、昔はエンジンの仕組みを知らなければ試験に合格しませんでしたが、今のようなハイテクのエンジンになると、なまじ仕組みを知らないほうが操作しやすいという皮肉な状態が生まれています。
 しかし、道具の使用が未熟になるというのは、時代の流れを見ればある意味で当然のことです。今では、自分で矢じりを作って、木と木をこすりあわせて火をおこし、落とし穴を掘ってイノシシをつかまえるというような生活をする必要はないからです。問題は、道具の使用が未熟になったり、他者との関わりが希薄になったりしていることそのものではなく、そのことによって、生きる実感や生きる喜びが失われているのではないかということにあります。
 他者、モノ、道具、言葉との関わりの薄さということを社会問題として考えてみましょう。
高1年 3.1週 ●もう一度、教室の光景へと(感)
 第一段落は、要約と意見(当為の主題)。「もっと物との関わりを持つべきだ。」
 第二段落はその方法と体験実例。「そのためには、手作りの価値を見直すことだ。私もこの前、バレンタインデーのチョコレートを自分で作って、みんなにあげた。」
 第三段落は、方法2と歴史実例。「また、学校教育では、実験や調査など、物や人との関わりを必要とする授業に、もっと力を入れていくべきだ。エジソンは、小学校をやめたあと、母親の用意してくれた実験道具でさまざまな実験をした。そのことが後年の発明王の基盤を築いた(歴史)。」
  第四段落は、反対理解と自作名言、又はことわざの加工。「確かに、今日では情報処理のセンスを身につけておくことも大切だ。しかし、その根底には物や人との関わりがなければならない。情報に意味があるのは、情報そのものに価値があるからではなく、その情報が背後の実体に結びついているからである。鵜(う)の真似をする烏(からす)は、水に溺(おぼ)れる。カラスは、真似をするのではなく、実際に泳ぐ練習をするべきだったのである。」

3.2週 
●私はこの数年間テレビ、ラジオ(感)
 解説:世界でもまれなほど自由が保障されている日本の言論環境と、それにも関わらず驚くほど画一化されているマスコミの商業主義的な報道というのがテーマです。ベマ・ギャルポ氏のこの短い文章の中に、日本のマスコミをめぐる問題点の本質がわかりやすく説明されています。

 テレビの番組を見ていると、「どうしてこんなにくだらない番組をやっているのかなあ」と怒りたくなることがあるでしょう。なら、見るなって。品の悪い番組ほど人気があるというのは、作る人ばかりでなく見る人にも原因がありそうですね。
●私はこの数年間テレビ、ラジオ(感)
 第一段落は、要約と当為の主題。「日本のマスコミは過剰な商業主義とステレオタイプな報道を克服すべきだ。」

 第二段落は、その方法と体験実例。「そのためには第一に、マスコミが報道の使命を自覚するとともに、私たちも商業主義のマスコミに乗せられないことであう。私もついセンセーショナルな記事を最初に読んでしまうが。」

 第三段落は、方法2と歴史実例。「第二の方法は、マスコミに対するチェック機能を設けることである。また、マスコミが権力に抗して報道するような伝統を作ることも大切だ。歴史的に見ても、日本のマスコミのほとんどは、第二次大戦で大本営発表をそのまま流していただけだったと言われている。」

 第四段落は、反対理解と自作名言。「確かに、マスコミにはみんなの関心のあるものを大きく取り上げるという面も必要だ。しかし、言論の使命というものを忘れてはならないと思う。マスコミに野次馬精神は必要だが、野次馬精神しかないマスコミであってはならない。『人の噂も七十五日』という言葉があるが、マスコミの影響力は七十五日で終わるわけではない。」

3.3週 
●先進国の後を追いかける(感)
 知識偏重の画一的な教育が、これからの時代に合わなくなっているという指摘です。みなさんの小中学校のころを思い出してみましょう。画一性というのは、日本のこれまでの教育の美点でしたが、それが今、生徒の自由な創造性を抑制するようになっています。
 現在は、上から与えられた課題を、先生が決めたスピードでこなしていくことが優秀な生徒の条件で、勉強も量的な尺度で評価されています。みんなと同じものをほかの人よりも大量に早く吸収している人が優秀だということです。しかし、これからは「みんなと違うものをどれだけ身につけているか」という質的なものがより重要になってきそうです。
 レストランでも、戦後すぐのころは、安くて量が多ければよいというような時期がありました。今は、そういうレストランは流行りません。ほかとは違うものがあるというのが、選ばれるレストランの条件になっています。
 最近、企業の倒産が相次いでいますが、失業した人たちの新しい就職先について、他の企業の幹部が、「優秀なだけの人ならうちでも十分いる。欲しいのはほかにない特技を持っている人だ」と言っているのが印象的でした。もちろん、特技といっても、ケン玉チャンピオンとか鼻で牛乳を飲めるとかそういったものではありません(いるのか)。
 こう考えると、高校までの勉強は基礎学力をつけるという意味である程度画一的になるのはやむを得ないのかもしれませんが、大学や社会に出てからの勉強は、ほかの人と違うものをどれだけ身につけるかにかかっているようです。つまり、ほかの人と同じことをちょっと熱心にやっているぐらいで満足していてはだめだということですね。
●先進国の後を追いかける(感)
 第一段落は、要約と意見(当為の主題)。「日本人は、欧米の後追いをやめて、創造的になるべきだ。」

 第二段落は、その方法と体験実例。「そのためには、第一に、失敗を恐れないことだ。私も、図工の時間に、教科書にある模範とは全く違ったものを作って失敗したが、いい経験になった。」

 第三段落は、方法2と歴史実例。「また、第二には、反対意見をのりこえる力を持つことが必要だ。織田信長は、当時の商工業者の反対を押し切って、楽市楽座という制度を設け、経済を発展させた。」

 第四段落は、反対理解と自作名言、又はことわざの加工。「確かに、模倣する力は評価すべきだ。しかし、これからの時代には創造力が必要だ。創造とは、単に新しいものを生み出すのではなく、古いものを壊して新しいものを生み出すという勇気の必要な営みである。鵜の真似をするカラスは水に溺れる。カラスにはカラスらしい泳ぎ方があるのである(ないか)。」