ムベ の山 10 月 2 週
◆▲をクリックすると長文だけを表示します。ルビ付き表示

○自由な題名
○風

○Many years ago 英文のみのページ(翻訳用)
Many years ago the people of a town in South America had a big problem. Their cats were dying, and no one knew the reason. Not long before, every house had its own cat--sometimes even two or three. They killed the mice that came into the town from the forests, but suddenly the cats were dying. It was very strange. First the cats began to shake all over. Then they stopped eating, and after a few days they died. The people didn't know why so many cats were dying.
Like other areas in the country, many insect pests were found in this town. These pests often carry dangerous diseases. But at that time there were no insect problems in the town, because people were using a new poison called DDT to kill insects. They thought DDT was a very useful poison. It did a good job of killing insects. Several times a year they spread DDT in every house in the town, so they thought that the diseases carried by insects were not killing the cats.
Soon a strange thing began happening in the town. The cats were dying, and a lot of mice appeared in the town. Then some of the people suddenly became very ill. The doctors discovered that it was a disease called black typhus. The doctors knew the mice were carrying black typhus. So people caught all the mice they found and killed them. After that black typhus disappeared from the town.
Did the cats also die because of black typhus? The doctors did not think so, because they found that cats didn't have black typhus.
A team of doctors came to the town and began to study why the cats were dying. One of the doctors in the town still had a few dead cats' bodies. At last they found there was enough DDT in the cats' bodies to kill them. The DDT spread in the house went into the cats and killed them.
Now the doctors knew everything: At first the mice couldn't come into the town because many cats lived there. Then DDT was spread in the town to kill insects, and the cats began to die. After all the cats were dead, there was nothing to keep the mice out of the town. Hundreds of mice came into the town. The black typhus disease the mice carried was spread through the town's food and water. Soon the people became ill and died.
The scientists invented a wonderful poison that killed insect pests. But these scientists forgot that everything in this world is connected. The poison that kills insect pests also kills cats, birds and fish. By solving one problem, people sometimes create new and more dangerous problems.

★子供の世界は(感)
 【1】子供の世界は「ふしぎ」に満ちている。小さい子供は「なぜ」を連発して、大人にしかられたりする。しかし、大人にとってあたりまえのことは、子供にとってすべて「ふしぎ」と言っていいほどである。【2】「雨はなぜ降るの。」「せみはなぜ鳴くの。」あるいは、少し手がこんできて、飛行機は飛んで行くうちにだんだん小さくなっていくけど、中に乗っている人間はどうなるの、などというのもある。(中略)
 【3】子供の「ふしぎ」に対して、大人は時に簡単に答えられるけれど、一緒になって「ふしぎだな。」とやっていると、自分の生活がそれまでより豊かになったり、面白くなったりする。
 【4】子供は「ふしぎ」と思うことに対して、大人から教えてもらうことによって知識を吸収していくが、時に、自分なりに「ふしぎ」なことに対して自分なりの説明を考えつくときもある。【5】子供が「なぜ。」と聞いたとき、すぐに答えず、「なぜでしょうね。」と問い返すと、面白い答えが子供の側から出てくることもある。
 「お母さん、せみはなぜミンミン鳴いてばかりいるの。」と子供が尋ねる。【6】「なぜ、鳴いてるんでしょうね。」と母親が応じると、「お母さん、お母さんと言って、せみが呼んでいるんだね。」と子供が答える。そして、自分の答えに満足して再度質問しない。これは、子供が自分で説明を考えたのだろうか。【7】それは単なる外的な説明だけではなく、何かあると「お母さん。」と呼びたくなる自分の気持ちもそこに込められているのではなかろうか。だからこそ、子供は自分の答えに納得したのではなかろうか。【8】そのときに、母親が「なぜって、せみはミンミンと鳴くものですよ。」とか、「せみは鳴くのが仕事なのよ。」とか、答えたとしても納得はしなかったであろう。【9】たとい(たとえと同じ)、せみの鳴き声はどうして出てくるかについて正しい知識を供給しても、同じことだったろう。そのときに、その子にとって納得のいく答えというものがある。そのときに、その人にとって納得がいく答えは、物語になるのではなかろうか。【0】せみの声を聞いて、「せみがお母さん、お母さんと呼んでいる。」というのは、すでに物語になっている。外的な現象と、子供の心の中に生じることが一つになって、物語に結晶している。
 人類は言語を用い始めた最初から物語ることを始めたのではないだろうか。短い言語でも、それは人間の体験した「ふしぎ」、「おどろき」などを心に収めるために用いられたであろう。
 古代ギリシャの時代に、人々は太陽が熱をもった球体であることを知っていた。しかしそれと同時に、彼らは太陽を四頭立ての金の∵馬車に乗った英雄として、それを語った。これはどうしてだろう。夜の闇を破って出現して来る太陽の姿を見たときの彼らの体験、その存在の中に生じる感動、それらを表現するのには、太陽を黄金の馬車に乗った英雄として物語ることが、はるかにふさわしかったからである。かくて、各部族や民族は「いかにしてわれわれはここに存在するのか。」という、人間にとって根本的な「ふしぎ」に答えるものとしての物語、すなわち神話をもつようになった。それは単に「ふしぎ」を説明するなどというものではなく、存在全体にかかわるものとして、その存在を深め、豊かにする役割をもつものであった。
 ところが、そのような神話を現象の説明として見るとどうなるだろう。確かに英雄が夜ごとに怪物と戦い、それに勝利して朝になると立ち現われてくるという話は、ある程度、太陽についての「ふしぎ」を納得させてくれるが、そのすべての現象について説明するのには都合が悪いことも明らかになってきた。例えば、せみの鳴くのを「お母さんと呼んでいる。」として、しばらく納得できるにしても、次第にそれでは都合の悪いことがでてくる。
 そこで、現象を説明するための話は、なるべく人間の内的世界をかかわらせない方が、正確になることに人間がだんだん気がつきはじめた。そして、その傾向の最たるものとして、自然科学が生まれてくる。「ふしぎ」な現象を説明するとき、その現象を人間から切り離したものとして観察し、そこに話を作る。このような自然科学の方法は、ニュートンが試みたように、「ふしぎ」の説明として普遍的な話(つまり、物理学の法則)を生み出してくる。これがどれほど強力であるかは、周知のとおり、現代のテクノロジーの発展がそれを示している。これがあまりに素晴らしいので、近代人は神話を嫌い、自然科学によって世界を見ることに心をつくしすぎた。これは外的現象の理解に大いに役立つ。しかし、神話をまったく放棄すると、自分の心の中のことや、自分と世界とのかかわりが無視されたことになる。
 せみの鳴き声を母を呼んでいるのだと言った坊やは、科学的説明としては間違っていたかも知れないが、そのときのその坊やの「世界」とのかかわりを示すものとして、最も適当な物語を見出したと言うことができる。 (河合隼雄「物語とふしぎ」による)