ムベ の山 12 月 2 週 (5)
★今日の都市生活に(感)   池新  
 【1】今日の都市生活に欠かせない行列という社会現象がある。行列という形式そのものは、カラハリ砂漠の狩猟採集民サン人が狩りなどで遠出するときにも組まれ、西洋では戦争の捕虜を行列させたことが古代の歴史書にもみえる。【2】しかし、モノを手に入れたりサービスを受けたりする順番を待つ行列は、近代の工業化社会に特有のものだろう。【3】小さな個人商店では並ぼうとする買物客はいないが、スーパーマーケットでは工場のアセンブリィ・ラインのように、客がレジで列をつくることが前提にされていることは行列の工業社会的性格を端的にしめしている。
 【4】駅の切符売場やタクシー乗り場や学生食堂などでの行列は以前からあったが、近ごろではデパートのトイレの前や、昼食時の都心の食堂でも行列はあたりまえの光景になった。【5】今日の大都会がそうであるように、一般にモノやサービスの需要―供給関係に一定程度以上の不均衡があるところではどこでも行列ができる可能性がある。【6】難民キャンプの行列ではモノの供給の不足が強調され、モノやサービスの供給に不足はないはずの現代日本のアイスクリーム店やコロッケ屋の前の行列では需要が浮き彫りにされる。
 【7】しかしながら、たとえ需要―供給に顕著な不均衡があっても、身分や地位にかかわらず先着優先の原則がなければ、だれも列をつくって順番を待とうとはしないだろう。【8】行列が頻繁にみられる現代の公共的場面では、年齢や社会的地位や性差や人種差などは体系的に無視されるが、そうした先着優先の平等主義がないところでは行列は生まれない。【9】行列をつくって順番を待つという習慣は、たとえば士農工商の身分制社会ではかんがえられないように、元来が西欧の近代社会に特有な行動様式なのである。
 さらにいえば、行列は用件をひとつずつかたづけるという近代的事務処理の発想に根ざしている。
 【0】以前ギリシアで調査中に気づいたことだが、ギリシアの役所や銀行などでは、相談事をもってくる人を、先客にかまわずつぎつぎと自室に入れ、用件を聞いて、処理しやすいものから答えていくというやり方をとることが多い。アラブ社会でも伝統的には同様な方式がとられるようだが、このような事務処理の習慣をもつ社会には行列はなかなかなじまないようだ(ギリシアなどでは、行列は後ろの者もやりとりがみえるように横並びになる傾向がある)。∵
 このようにすぐれて近代的慣行である行列には独特の論理と構造がある。
 行列はもちろんその前段階、「行列以前」からはじまる。飛行機の国内便に乗るために出発の一時間半くらいも前に空港にいって待機してみたりするとわかるが、そんな早い時間にもチェックイン・カウンターのあたりには、たいてい何人か様子をうかがうようにして立っている人がいる。だれかがカウンターの前に立つと、すぐ後ろに行列ができる。あまり人が少ないと早くから並ぶのもバカバカしくて苦痛だが、その間にもたがいの着順と位置を目で確認していて、だれかが並んだとたんに心配になって並ぶのだろう。電車を待つ駅のホームなどでもおなじようなことがおこることがある。サービスを受ける側がサービスを与える側より先にあつまり、需給関係がさほど切迫していないときにこのような「半行列」が胚胎する。
 また、客がひとりのあいだは、待つ側の客と待たせる側の店員や係員との心理的関係だけが問題だが、客がふたり以上になって列ができると、そこに待つ者同士の社会的関係の問題が加わってくる。ひとりで待たされているあいだは、無力感や退屈や苛立ちとたたかっていればよいのだが、行列ができたとたんに、割りこまれないように、礼儀の範囲内で相互監視しなければならない。新聞や雑誌をひろげてみても、目を周囲にくばり、とくに前方に一定以上の間隔をあけないよう徐々に前にすすまなければならないから、落ちついて読むことはできない。待つことは副次的活動ではありえず、どうしてもその場の「主要関与」にならざるをえないのだ。
 (中略)
 イギリス人やアメリカ人は行列をあたりまえのように考えるようだ。しかし、ギリシアなどヨーロッパでも工業化がおくれた社会の人びとには、そんな行列もヒツジの群れのようにみえるらしい。
 民主主義には一定の均質性が必要だが、行列を見ていると、工業化社会が近代民主主義の母胎であることがよくわかる。

 (野村雅一『身ぶりとしぐさの人類学』より)