ムベ2 の山 12 月 3 週 (5)
★二一世紀を資源循環型社会に(感)   池新  
 【1】二一世紀を資源循環型社会に転換させていくために守らなくてはならない常識を広く浸透させるためには、環境倫理の確立が望まれる。具体的には、環境倫理を国民の守るべき最優先モラルのひとつとして位置づけ、幼児から環境教育を徹底させることが必要だ。
【2】『大江戸リサイクル事情』『大江戸エネルギー事情』などの著書がある作家の石川英輔氏によると、江戸時代は、世界に例のないような見事な資源循環型の社会をつくりあげていたとして、様々な事例を紹介している。【3】資源を大切に使う、無駄なくリサイクルさせるといった「もったいない精神」が、人々の心の中に自然な形で息づいていた。
 たとえば、農産物の消費地である江戸と、人間の排泄物である下肥を肥料として使う農村との間では、完壁といってよいほどのしっかりしたリサイクルの輪ができていた。【4】下肥を運ぶ「部切船」が頻繁(ひんぱん)に江戸と農村を行き来していた。下肥を使う習慣のなかった西洋では、同じ時代、排泄物を川や排水用の溝に一方的に捨てていたので、たとえばパリのセーヌ川やロンドンのテームズ川は汚物が腐敗し、住民は悪臭に悩まされた。【5】このころの江戸は、資源のリサイクルが徹底し、世界一清潔な都市だった。
 明治に入ってからも、日本人の伝統的な節約心、もったいない精神は脈々と生き続けてきた。それがすたれてしまったのは、第二次世界大戦後、高度成長の時代に入ってからである。【6】「大きいことはいいことだ」といったテレビコマーシャルが一世を風靡し、バブル期には、ガソリン消費量の大きい三ナンバー(大型車)がもてはやされた。冷蔵庫も電力消費量の大きい大型のものがよく売れるようになった。【7】使い勝手のよい「使い捨て商品」が奨励され、家電類やワープロ、パソコンなども頻繁(ひんぱん)にモデルチェンジが行われ、新製品が次々登場した。
 【8】大量生産、大量消費の経済の歯車が順調に回転するためには、製品を量産することが欠かせなかったし、そのためには、まだ使える製品をせっせと捨てさせることが、新しいマーケティングの手法∵として歓迎された。【9】消費者も、便利な使い捨て文化に浸ることが、時代の先端を行く消費行動と思い込んでいた。それが、当時を支配する時代の空気だったのである。だがそうした一方通行型の経済システムが長く続くはずはなかった。地球の資源は無限ではなく有限であり、酷使すれば劣化する存在でもあるからだ。
 【0】日本人にとって、環境倫理の確立はそれほど難しいことではないだろう。日本人にはもともと、資源を大切に長持ちさせて使う、無駄をなくす、リサイクルさせる、環境を悪化させない――といったもったいない精神が伝統的に身についている。それが戦後の数十年の間、脇道に逸れてしまった。それを元の軌道に戻せばよい。今でも、地方に行くと、もったいない精神を身につけたお年寄りが多い。彼らは、小さい時から、親や小学校の先生から物を大切に使うこと、環境を汚さないことなどを徹底的に学びながら育った。同じような環境教育が今、再び求められている。

(三橋規宏()「ゼロエミッションと日本経済」より)