ゲンゲ の山 1 月 3 週 (5)
★首飾りというものは(感)   池新  
 【1】首飾りというものは、まず第一に財貨であり、第二に地位や富の象徴であり、そして第三にお守りである。といったさまざまな機能をもってきたようだし、今日もなお、これら三つの機能はそれぞれにはたらき続けている。だが、この第三の機能は、さらに世俗化して第四の役割をも受けもっているように思われる。【2】もちろん、真珠のネックレースとか、高価な宝石をちりばめたペンダントとか、要するに貴金属というカテゴリーにはいる首飾りもたくさんあるし、宝石店をのぞいてみると、何百万円、ときには何千万円、といった値段のついたおどろくべき首飾りがならんでいたりする。【3】どういう人が買うのか、見当もつかないけれども、こういうものを首にかけるご婦人はおそらくそれを見せびらかし、わたしはこれだけお金持ちなのよ、ということを無言のうちに語ろうとなさっているに違いない。
 【4】しかし、たとえば、パチンとフタのひらくロケットといったようなものを考えてみよう。それは決して高価なものとはかぎらないけれども、ロケットのなかには、愛する人の写真などがひそかに入っているものであるようだ。【5】このごろの世相は、そんなにロマンチックなものではないかもしれないけれども、昔はそういうものであったらしい。あるいは、母から娘へと伝えられる首飾りなども、それと似た性質をもっている。たとえそれが小さな銀のチャームであっても、それは母親という特定のひとの思い出とつながっているからだ。【6】貴金属としては全く無価値であっても、特定の人間が特定の人間とのかかわりのなかでかけがえのないものとして主観的に絶対の価値をあたえるもの――そういう種類の首飾りもある。【7】ややほろ苦い感傷をこめてこうした種類の首飾りをえがいた小説があったし、またグレン・ミラーの作曲になる「真珠の首飾り」などもあった。この種類の首飾りは決して財宝でもなく、富の象徴でもない。それはどちらかといえば、お守り系の首飾りである。【8】とはいうものの、これは神様からの加護という意味でのお守りではない。それは特定の人とむすびついた人間的な記憶や感情にかかわるものであって、しいて名づけるなら、安心型の首飾りとでも呼ぶべきであろうか。【9】それを首にかけることで、空間的あるいは時間∵的にへだたった特定の人間が、擬似的存在として感じられるからである。その擬似的存在感は安心の根源になってくれるのだ。別段、特定の人間だけがそうした安心の根源になるわけではない。【0】たとえば、旅先でみずから買い求めたペンダント、などというものもあるだろうし、なにかの折の記念に、と贈られたチャームなどもあるだろう。そういう首飾りは、その場だの、できごとだのの思い出をたぐりよせるための糸口として作用するのである。
 なんでもない「物」に深く思い入れをしてしまうことを哲学用語では物神崇拝(フェティシズム)という。そして物神崇拝は馬鹿げたこと、と断定する人たちもすくなくはない。しかし、俗に、イワシの頭も信心からという。第三者からみて、全く無価値、かつ無意味であるようなものが特定の人間にとっては、絶対の価値と意味をもつこともすくなくないのだし、われわれはおしなべて、なんらかの物神崇拝の対象をもっているものなのだ。いや、わたしにいわせれば、むしろ物神崇拝の対象をなにも持っていない人こそが、実は不幸なのだ。

(加藤秀俊「衣の社会学」より)