グミ の山 12 月 2 週 (5)
★九二年度末の時点で(感)   池新  
 【1】九二年度末の時点で、この国には一万九四二個もの規制があったといわれる。規制は、政官業癒着の構造を磐石のものとする主因でもある。近時、「規制緩和」の大合唱が巷間にこだまするようになったが、すべての規制が「悪」というわけでは必ずしもない。
 【2】規制の中には、安全、環境保全、弱者保護、経済的不正の防止、景観保全、自然保護などをねらいとする「必要」な規制が数多くある。【3】しかし、あってもなくてもいいような規制、健全な自由競争を阻害する規制、不必要にきびしすぎる規制、利権の温床となる規制など、緩和ないし撤廃することが望ましい規制が、少くとも過半を占めているとみてよい。
 【4】そうした規制の多くは、中央官庁の許認可権限につらなり、許認可権限があるからこそ、中央官庁は民間企業へのにらみを利かすことができる。【5】とどこおりなく許認可を獲得するためには、好むと好まざるとにかかわらず民間企業は、監督官庁からの「天下り」を受け入れざるをえないといわれる。また、ここ一番というときには、族議員のたすけを借りるのがいちばん手っとり早かった。
 【6】要するに、許認可行政の肥大化こそが、政官業三者の癒着を強固なものとする接着剤の役割を果たしたのである。【7】「官」と「業」とのあいだに橋をかけるのが「政」の役割であり、その役割を果たしてきたうえで、ひとかどの報酬を「政」が「業」に要求するのは、少なくともついこのあいだまでは常識と目されていた。
 【8】あらためて指摘するまでもなく、許認可権限を核とする政官業癒着の構造こそが、市場を不透明かつ不公正なものにする元凶のひとつに数えられる。とはいえ、先に指摘したように、あらゆる許認可が「悪」というわけではない。【9】問題なのは、許認可をめぐっての族議員の暗躍が、行政を不透明化し、民間企業に途方もない時間的コストと経済的コスト(そのツケは消費者に回される)を支払わせ、許認可のサジ加減の次第が行政を不公正にするという点である。【0】もし仮に許認可権限がまったくフェアに執行されるならば、規制の緩和・撤廃の大合唱が起きたりはしないはずである。∵

(佐和隆光()『平成不況の政治経済室』)