ズミ の山 11 月 3 週 (5)
★クリントンの(感)   池新  
 【1】クリントンの税制案はお決まりの言いまわしで修飾されていた。いわく、「金持ちは富みすぎ、貧しい人は貧しすぎる」、「彼らは不相応な報酬を得ている」、「それこそ公平というもの」云々。
 政治家がこのような言いまわしを使うのは、それを望む選挙民がいるからにほかならない。【2】おそらく、政治家にそのような言い方をしてもらうことで、隣人の働きをあてにするうしろめたさが少しは軽くなるからではないか。自分が貪欲な人間と見られるよりは、隣人はしぼり取られて当然と見せかけておくほうが、たしかに気は楽だ。
 【3】ここでのキーワードは「見せかけ」である。つまり、所得再分配といえば聞こえはいいが、実際には、そのようなレトリックを本気で信じる人などいないということである。所得再分配は、ときにより、ある人たちをごまかすためのレトリックとして使うことはできる。【4】人によっては、それでいい場合があるからだ。しかし、それをいついかなる場合でも信じるという人はいないし、ときにそれでよしとする人も、じつは心底から信じているわけではない。本気で信じるには、所得再分配はあまりにもおかしな話なのだ。
 【5】なぜここまで断言できるかというと娘を持った経験からである。娘を公園で遊ばせていて、私はなるほどと思った。公園では親たちが自分の子どもにいろいろなことを言って聞かせている。【6】だが、ほかの子がおもちゃをたくさん持っているからといって、それを取り上げて遊びなさいと言っているのを聞いたことはない。一人の子どもがほかの子どもたちよりおもちゃをたくさん持っていたら、「政府」をつくって、それを取り上げることを投票で決めようなどと言った親もいない。
 【7】もちろん、親は子どもにたいして、譲りあいが大切なことを言って聞かせ、利己的な行動は恥ずかしいという感覚を持たせようとする。【8】ほかの子が自分勝手なことをしたら、うちの子も腕ずくでというのは論外で、普通はなんらかの対応をするように教える。たとえば、おだてる、交渉をする、仲間はずれにするのもよい。だが、どう間違っても盗んではいけない、と。【9】まして、あなたの盗みの肩を持つような道徳的権威をそなえた合法政府といったもの∵は存在しない。いかなる憲法、いかなる議会、いかなる民主的な手段も、またこのほかのいかなる制度といえども、そのような道徳的権威をそなえた政府をつくることはできない。なぜなら、そのようなものはこの世に存在しないからである。【0】(中略)
 数年前、娘のケーリーと彼女の友だちのアリックスも連れて夕食に出かけたことがある。二人ともたしか六歳のときだったと思う。デザートとして、いまアイスクリームを注文するか、あとで風船ガムを買ってもらうか、ということになった。アリックスはアイスクリーム、ケーリーは風船ガムを選択した(これから親になる人に。デザートを安くあげたければ、風船ガムもまたデザートであることを早期教育によって認識させよう)。
 アリックスがアイスクリームを食べ終わるのを待って、ケーリーのガムを買いに出た。ケーリーは念願のガムにありついたが、アリックスには当然のことガムはない。アリックスは、そんなのずるいと言って泣き出した。第三者のおとなから見れぱ、アリックスに正当性がないのは明らかだった。彼女にはケーリーとまったく同じ選択の機会が与えられ、先に楽しみを味わったにすぎない。
 これと同じ問題はおとなの世界でも起きる。ポールとピーターは青年時代に同じ機会を与えられていた。ポールは無難な人生を選択し一週間に四〇時間だけ働き、決まった給料をもらっていた。ピーターは青春を新事業にかけリスキーな報酬を求めで一日中働いた。中年までにピーターは金持ちになったが、ポールはそうならなかった。ポールはこんなつもりではなかったと泣くことになり、この不平等は社会の制度がいけないからだとぼやいた。(中略)
 では、選択の結果ではなく、機会の結果として収入に差がついた場合にはどう考えればよいか。ここでもまた、親として自分が子どもにどう言っているかを思い返してみてほしい。二人以上の子どもに同時にケーキを出した場合、かならず「ずるいよ、こっちのほうが小さい」という声が上がるだろう。そのとき、もしあなたに忍耐心があるなら、「妹のケーキの大きさなんか気にしないで、自分のケーキをおいしく食べたほうがいいよ。そのほうが、いつも人と比べっこをしないと気がすまない子どもより、何倍もしあわせな人生を送れるから」と言い聞かせるかもしれない。