ズミ の山 12 月 2 週 (5)
★現代は高度情報化社会で(感)   池新  
 【1】現代は高度情報化社会であるといわれる。湾岸戦争では、多国籍軍のステルス戦闘機によるバグダッド市内爆撃が、あたかもTVゲームのように茶の間にリアルタイムに映し出された。【2】今ではインターネットを通じて、過去では考えられない量の情報が、瞬時に手に入る時代になっている。情報量の増大は、意思決定を単純化するであろうか。事態はそれほど簡単ではない。情報量の増大は情報のパラドックスという現象を引き起こすからである。
 【3】つまり、情報があればあるほど、我々の事実認識があいまいになり、相対的な問題解決能力を喪失するということである。情報が多量にあるということには、三つの意味がある。まず、情報が細分化されるということである。【4】「木を見て森を見ず」という諺通り、樹木に対する知識の増大は、森全体の構造的な認識を失わせることになる。情報の細分化は分析によって行なわれることが多いため、これを分析麻痺(アナリシス・パラリシス)と呼ぶこともある。【5】医学の専門分化の進展について考えれば分かりやすいかもしれない。
 また、情報の送り手が媒体を通して伝える情報は、元の情報とは必ず異なる部分が生じる。【6】これを情報スラックというが、情報システムの複雑化、ネットワークの錯綜化の進行によって、この情報スラックが増大する。情報の送り手と媒体が複雑になれば、情報スラックも多く発生することになり、結果として真の情報がよりあいまいになる。【7】誰でもやったことのある伝言ゲームを考えれば理解しやすい。伝言が伝わっていくに従い、余分な情報が加わったり、情報の一部が歪められたりすることはよく経験することである。
 【8】第三は、そもそも我々の受け取る情報は、誰かの意思決定の結果であるということである。TVで流れる情報は、現場の撮影者が意識的・無意識的に選択し、TV局が選択し、あなたがチャンネルを選択した結果の情報である。【9】ニュース性が高いもの、人気のあるもの、もともと受け入れやすいものが優先される。切り捨てられた選択肢に関する情報は、はじめから隠蔽されていると見ることもできる。∵
 【0】さらに情報操作というやっかいなものが存在する。情報操作は、国家による情報統制のみならず、株の仕手戦、商品広告、あるいは個人レベルでの学歴詐称など、ありとあらゆるレベルで行なわれている。しかも、意識的になされている場合もあるが、中には無意識に近いもの、指摘すれば情報操作なんてとんでもないという反論が返ってきそうなものもあろう。例えば、某社の「植物物語シャンプーa」の宣伝文句は、「洗浄成分の九九%以上を植物生まれに」と謳っている。植物という言葉によって、髪への優しさ、安心感等を訴え、購買意欲を高めようと狙った宣伝かもしれない。実は、洗う成分の九九%以上が植物生まれなのであって、匂いや他の成分も含めた、シャンプー全体の成分の九九%以上が植物生まれであるとは言っていない。指摘されれば、このように嘘はついていないと反論するであろう。某官庁の交通事故死亡者とシートベルト着用率に関する広報も同様である。
 さらに、テレビコマーシャル等で、シチュー鍋に具があふれ、グツグツと煮立ち、湯気が立ち込めているシーンを観ることがある。しかし、本物のシチューの料理では、プロが作ってもこのようにはならない。実際には、鍋の中を底上げして具を表面に出し、パイプで泡を送り、横から水蒸気を吹き付けるなどの苦労をして、いかにもという「シチュー」のシーンを見せているのである。
 このように、悪意に満ちた情報操作とまではいかなくとも、意図的に計算された誤解、情報の一部のみの提供による認識操作、我々のステレオタイプに合致するよう歪められたり脚色されたりした情報などが、我々の周りには満ちあふれている。しかもこれらの情報量が極めて多いのが現代の特色である。我々は情報の海の中で生きているといっても過言ではない。
 
 (印南一路「すぐれた意思決定」より)