ルピナス2 の山 11 月 3 週 (5)
★まねる力は(感)   池新  
 【1】まねる力は、生きる力の基本だ。狼少女として有名なアマラとカマラが、狼の中で生きながらえたのは、狼の生活様式をまねる力があったお陰である。アマラとカマラは発見された当時、狼のように四つんばいでうなり声をあげていた。【2】物の食べ方も人間というよりは狼のようであったという。こうした狼少女の様子には人間らしさが全く感じられないと指摘する人もいるだろうが、私は人間と狼という種の違いを乗り越えて、相手の生活様式をまねして身につけることができた学習能力に、むしろ人間の能力の器の大きさを感じる。【3】さまざまな異文化社会で生き抜く力が最近よく強調されているが、狼の社会でさえも、時に人間は生きぬくことができるのである。そして、その生きる力を支えているのが、まねる力である。
 【4】この場合のまねる力は、明晰な反省的思考によって捉えなおされたものではもちろんない。むしろ、身体と身体のあいだの想像力、すなわち間身体的想像力とでもいうべき力であろう。【5】アニメの『クレヨンしんちゃん』を見た子どもがしんちゃんの独特な口調をまねてしまうので、番組を見せないようにした親もいたようだ。大人でも、広島弁が飛びかう映画『仁義なき戦い』を見終わったときには、すっかり「わしは……じゃけん」といったしゃべり方が移ってしまっている。【6】そうした無意識のうちに身体から身体へと移ってしまうという現象は、人間の適応力の基本となるものだ。
 コンドンという研究者によれば、私たちは会話の最中に、相手の発話に応じて微妙に身体を動かしているという。【7】とりわけコンドンが注目したのは、相手が発話するほんの百分の数秒前に、聞く側の人間の身体がかすかに動いて先に反応しているという現象であった。これは、人間のレスポンス(応対・対応)能力の高さを示す現象だ。【8】レスポンスは、相手からの働きかけが終わったところから始まるというよりは、それと同時に、あるいはその直前から始まっているのである。こうしたレスポンスの構えは、身体の生き生きとした働きを抜きにしては考えられない。【9】こうした生きて働く身体の力が阻害されたときに、私たちは気が通いあわないという拒絶感を味わうことになる。
 他者の身体の動きが自分の身体の動きに移ってくるという間身体的な力は、人間として、あるいは生物としての基礎的な力である。∵【0】これは、誕生以降の莫大なやりとりによって培われる力である。保育器の中で他者とかかわることなく長期間放置された子どもは、通常の子どもよりもレスポンス能力の弱いことが報告されている。レスポンスすることも、多くの反復練習によって強化される技だと見ることができる。
 かつての徒弟制度では、技は言葉で教えられるというよりは、実際に見てからだで覚えて盗むものであった。「見習い」期間は、文字どおり見て習う期間であり見取り稽古という言葉もある。「からだで仕事を覚える」という表現は、言葉で説明されるのではなく、見よう見まねで試行錯誤しながら自分の技を身につけていくという意味だ。「からだで仕事を覚える」というのは、かつて職人の仕事の上達法としては当然のことであった。
 こうしたことは、伝統的な職人芸においては、共通して語られるが、現代社会の産業構造からすれば、必ずしも万能というわけではないであろう。しかし、情報が氾濫する一方で、仕事を見て積極的に自分で技を盗むという構えが希薄になっているという意見をさまざまなところで耳にするようになっているのも事実だ。

(齋藤()孝著「子どもに伝えたい「三つの力」」より)