ツゲ2 の山 10 月 2 週 (5)
○今までの実験では(感)   池新  
 【1】今までの実験では、問題をクレバー・ハンスに示すときに、その場にいる人たちはもちろん、その問題をいっしょにみて知っているわけですが、こんどは、問題をその場にいる人たちには知れないようにして、クレバー・ハンスだけがわかるようにします。【2】たとえば一枚一枚のカードに問題を書いてごちゃごちゃにし、その中から一枚を抜き出して、それがどの問題を書いたカードかがその場にいるだれにもわからないようにして、ハンスに示します。【3】そうすると、もうウマはまったく答えることができません。一番やさしい問題にも答えられないのです。クレバー・ハンスは、とめどなくヒヅメで床をたたいたり、わけのわからない仕方で床を打ったりするだけです。【4】そのようすは、ちょうど、問題を解こうとしているというよりは、問題を出した人が床をたたくのをやめろという合図をするのを今か今かと待っているようにみえます。これはどうしたことでしょうか。
 【5】クレバー・ハンスが習ったのは、問題のほんとうの解き方ではなかったのです。答えに相当する数を打ちおわった瞬間に、まわりの人が知らず知らずにちょっと動いたりする、この微妙な動きを見ぬくことを習っていたのです。
 【6】実験を行う質問者の立場になって考えてみましょう。質問者は、必要な打ち数をあらかじめ知っているわけです。床をたたく打ち数を正確に数えるためには、質問者自身が数えなければなりません。【7】それですから、最後の打ち数になった瞬間には質問者は自然にほっとすることになります。そういうときには、頭やからだをおもわずちょっと前へ出すとかうしろへ引くとかするものです。【8】クレバー・ハンスは、まわりの人びとがするこの微妙な運動に答えていたのです。
 プングストはこういう運動を問題の答えと関係なく、少々大げさにやってみましたところ、クレバー・ハンスの答えを自由に変えることに成功しました。【9】このウマは、もともとこういう運動をわざわざ習ったわけではないのですが、訓練中に自然にそうならされてしまったものでしょう。∵
 アマガエルはじっとしている獲物には気がつきませんが、それが動きだすと、急にとびつきます。【0】動物は静止しているものには鈍感ですが、運動には、それがほんのわずかな運動でも、気がつくことができます。ウマについても同じことです。
 ウマが人間と同じ知恵をもっているという信念を確かめるためにやった大さわぎは、ただ、ウマが微妙な運動をすばやくみわけられることを確かめていたにすぎなかったわけです。世間の人たちや学者たちまでがそれに気がつかなかったのは、クレバー・ハンスの答えの正確なことにまどわされて、答えがえられる仕方がまったく人間の場合と同じだと思いこんでいたからです。
 動物が人間と同じような表情をしたり、行動をするように思えることがありますが、そのときにすぐ、人間になぞらえて考えてしまいがちです。しかし、その行動にとらわれない心で観察し、前後のすじ道を考えてみますと、まったく当たらないことがあるものです。
 クレバー・ハンスの大さわぎは、このうえもなくばかげたことのようですが、動物が人間と同じ知恵をもっていて、人間と同じように教育ができるというのはまちがいだということをはっきりわたくしたちに教えてくれたのです。それでわたくしたちはこのことを、「クレバー・ハンスの誤り」とよんでいます。その意味は、クレバー・ハンスが答えをまちがえたからではありません。クレバー・ハンスが、人間がもっているような知恵で答えられると信じていた人たちのまちがいという意味です。

(「動物とこころ」 小川隆著 大日本図書より)