ペンペングサ の山 2 月 1 週 (5)
★ある書物がよい書物であるか(感)   池新  
【二番目の長文が課題の長文です。】
 【1】手に触れるものをすべて金にしてほしい。そう願った王様は、食べるものも、着るものも、すべて金にしてしまい、やがて最愛の娘までも金にしてしまう。ギリシャ神話に出てくるミダス王の話である。【2】豊かな社会を追い求めてきた人類の歴史も、このミダス王に何か似ていないだろうか。強い国を願って作られた核兵器は、相手を滅ぼすばかりか、地球をも滅ぼすようになった。豊かな資金運用を願って作られた金融工学は、その資金の何倍もの返せない借金を生み出した。【3】そしてまた、豊かな社会を作るための経済活動の発展は、環境破壊という人類にとっての新たな貧困を生み出している。私たちは、量を追い求めるあまり、制御することの大切さを忘れているのではないか。
 【4】その原因は、第一に、世界の戦後の歴史が、不足からの自由という観念につき動かされてきたからだ。昔話に出てくる意地悪なおばあさんは、必ず大きい箱をもらう。しかし、大きい箱に入っているのはガラクタであり、本当の宝物は小さい箱に入っている。【5】これは、昔の人たちが、大事なのは大きさではないということを、よりよく生きるための知恵として身につけていた証拠ではないだろうか。不足から過剰へと一直線に進んできた私たちの生活も、今一度先人たちの知恵に立ちかえって見直す必要がある。
 【6】第二の原因は、量の拡大を求める心理には、必ず競い合う他者がいるということである。国と国との関係で言えば、どの国のGDPが世界で第何位かということが、さも重要なことであるかのように論じられることが多い。大事なことは、GDPの額ではなく、その国に住む人が自分たちの生活をどのくらい幸福と感じているかどうかであるはずなのにである。【7】飽食のニワトリの群れに飢えたニワトリを入れると、その飢えたニワトリにつられてすべてのニワトリが再びえさを食べ出すという。基準を自分の中に持たず、他者との比較の中に見る私たちも、このニワトリたちと変わらないのではないだろうか。∵
 【8】確かに、世界にはまだ貧困に苦しむ国も多い。量の問題は、人類全体として考えれば、まだ解決されていない課題だと考える人もいるだろう。しかし、その貧困でさえ、原因のほとんどは政治の貧困であって量の貧困ではないのである。【9】科学者は、長い間量の問題に取り組んできた。しかし、これから求められるのは制御の問題である。手に触れるものが金になるのは素晴らしいことだ。しかし、そのためには、あるものは金にして、あるものは金にしないという制御を自分自身でできなければならない。【0】制御の問題が解決されたとき、初めて人類は、金と、おいしい食事と、最愛の娘とが両立する、真に豊かな社会を作り出すことができるのである。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)∵
 【1】ある書物がよい書物であるか、そうでないかを判断するために、普通私たちがやっていることは誰でも類似している。自分が比較的得意な項目、自分が体験などを総合してよく考えたこと、あるいは切実に思い患っていること、などについて、その書物がどう書いているかを、拾って読んでみればよい。【2】よい書物であれば、きっとそういうことについて、よい記述がしてあるから、大体その箇所で、書物の全体を占ってもそれほど見当が外れることはない。
 だが、自分の知識にも、体験にも、まったくかかわりのない書物に行きあたったときは、どう判断すればよいのだろうか。【3】それは、たぶん、書物に含まれている世界によって決められる。優れた書物には、どんな分野のものであっても小さな世界がある。その世界は書き手の持っている世界の縮尺のようなものである。【4】この縮尺には書き手が通りすぎてきた「山」や「谷」や、宿泊した「土地」や、出会った人や思い患った痕跡などが、すべて豆粒のように小さくなって籠(こ)められている。どんな拡大鏡にかけてもこの「山」や「谷」や「土地」や「人」は目には見えないかもしれない。そう、事実それは見えない。見えない世界が含まれているかどうかを、どうやって知ることができるのだろうか。
 【5】もしひとつの書物を読んで、読み手を引きずり、また休ませ、立ち止まって空想させ、また考え込ませ、要するにここは文字のひと続きのように見えても、実は広場みたいなところだなと感じさせるものがあったら、それは小さな世界だと考えてよいのではないか。【6】この小さな世界は、知識にも体験にも理念にもかかわりがない。書き手が幾度も反復して立ち止まり、また戻り、また歩き出し、そして思い患った場所なのだ。彼は、そういう小さな世界をつくり出すために、長い年月を棒にふった。【7】棒にふるだけの価値があるかどうかもわからずに、どうしようもなく棒にふってしまった。そこには書き手以外の人の影も、隣人もいなかった。また、どういう道もついていなかった。行きつ戻りつしたために、そこだけが踏み固められて広場のようになってしまった。【8】実際は広場というようなものではなく、ただの踏み溜りでしかないほど小さな場所で、そこから先に道がついているわけでもない。たぶん、書き手ひ∵とりがやっと腰を下ろせるくらいの小さな場所にしかすぎない。【9】けれどもそれは世界なのだ。そういう場所に行きあたった読み手は、ひとつひとつの言葉、何行かの文章にわからないところがあっても、書き手をつかまえたことになるのだ。
 私は、なぜ文章を書くようになったかを考えてみる。【0】心の中に奇怪な観念が横行してどうしようもなく持て余していた少年の晩期のころ、しゃべることがどうしても他者に通じないという感じに悩まされた。この思いは、極端になるばかりであった。この感じは外にもあらわれるようになった。父親は、お前このごろ覇気がなくなったと言うようになった。過剰な観念をどう扱ってよいかわからず、しゃべることは、自分をあらわしえないということに思い患っていたので、覇気がなくなったのは当然であった。われながら青年になりかかるころの素直な言動がないことを認めざるをえなかった。今思えば、「若さ」というものは、まさしくそういうことなのだ。他者にすぐわかるように外に出せる覇気など、どうせ、たいした覇気ではない、と断言できるが、そのとき、そう言いきるだけの自信はなかった。そうして、しゃべることへの不信から、書くことを覚えるようになった。それは同時に読むようになったことを意味している。
 私の読書は、出発点で何に向かって読んだのだろうか。たぶん自分自身を探しに出かけるというモチーフで読みはじめたのである。自分の思い患っていることを代弁してくれていて、しかも、自分の同類のようなものを探しあてたいという願望でいっぱいであった。すると書物の中に、あるときは登場人物として、あるときは書き手として、同類がたくさんいたのである。
 自分の周囲を見わたしても、同類はまったくいないように思われたのに、書物の中では、たくさん同類がみつけられた。そこで、書物を読むことに病みつきになった。深入りするにつれて、読書の毒は全身を冒しはじめた、と今でも思っている。
 ところで、そういうある時期に、私はふと気がついた。自分の周囲には、あまり自分の同類はみつからないのに、書物の中にはたくさんの同類がみつけられるというのはなぜだろうか。ひとつの答えは書物の書き手になった人間は、自分と同じように周囲に同類はみつからず、また、しゃべることでは他者に通じないという思いに∵悩まされた人たちではないのだろうか、ということである。もうひとつの答えは、自分の周囲にいる人たちもみな、実はしゃべることでは他者と疎通しないという思いに悩まされているのではないか。ただ、外からはそう見えないだけではないのか、ということである。後者の答えに思いいたったとき、私は、はっとした。私もまた、周囲の人たちから見ると思いの通じない人間に見えているにちがいない。うかつにも、私は、この時期に初めて、自分の姿を自分の外で見るとどう見えるか、を知った。私は私がわかったと思った。もっとおおげさに言うと、人間がわかったような気がした。もちろん、前者の答えも幾分かの度合で真実であるにちがいない。しかし、後者の答えの方が私は好きであった。目から鱗が落ちるような体験であった。
 私は、文章を書くことを専門とするようになってからも、できるだけそういう人たちだけの世界に近づかないようにしてきた。つまり、後者の答えを胸の奥の戒律としてきた。もし、私が書き手として少しましなところがあるとすれば、私が本当に畏れている人たちが、他の書き手ではなく、後者の答えによって発見した、自分を自分の外で見るときの自分の凡庸さに映った人たちであることだけに基づいている。

(吉本隆明『詩的乾坤』による)