ペンペングサ2 の山 1 月 3 週 (5)
★(感)「寄物」という言葉を   池新  
 【1】「寄物(よせもの)」という言葉を覚えたのは柳田国男の『海上の道』を読むことによってであった。はるか沖から吹ききたる風に名前を与える身振りから始まるあの美しい幻想小説。【2】「アユは後世のアイノカゼも同様に、海岸に向かってまともに吹いてくる風、すなわち数々の渡海の船を安らかに港入りさせ、または、くさぐさの珍(めず)らかなる物を、渚に向かって吹き寄せる風のことであった」。【3】そうした風に乗ってわれわれの国に訪れる「くさぐさの珍(めず)らかなる物」、それが「寄物」だ。そして、その代表として柳田がまず第一に挙げたものは、周知の通り、三河の伊良湖崎の浜に打ち寄せられていたのを彼が目撃したというあの神話的な椰子の実であった。
 【4】島崎藤村はこの柳田の見聞を材に採り、ただちに人口に膾炙することになったあの俗謡の歌詞を作ったわけだが、『海上の道』の著者は島崎藤村の「椰子の実」に対してやや不満げな感想を洩らしている。【5】「そを取りて胸に当つれば/新たなり流離の愁い/という章句などは、もとより私の挙動でも感嘆でもなかったうえに、海の日の沈むを見れば云々の句をみても、或いは、詩人は今すこし西の方の、寂しい磯ばたに持って行きたいとおもわれたのかもしれないが……(後略)」。【6】晴れやかな朝陽の中で珍しい「寄物」を発見するのは柳田にとって喜ばしい出会い以外のものではなく、「流離の愁い」も寂しい日没も「詩人」の汚(けが)れた筆が捏造した受け狙いの感傷にすぎない。【7】「千曲川旅情の歌」にしてもそうだが、既成の欲情に媚びることを恬として恥じない自称「詩人」の輩は今も昔も尽きることがない。
 「海上の道」において、柳田の想像力が透視しているのは、「日本人」もまたこうした幸運のアイノカゼに吹き寄せられてきた「寄物」そのものだという独創的な命題である。【8】「もしも漂着をもって最初の交通と見ることが許されるならば、日本人の故郷はそう∵遠方ではなかったことが先ずわかる。人は、際限もなく椰子の実のように、海上にただようては居られないのみならず、【9】幸いに命活きて、この島住むに足るという印象を得たとすれば、一度は引き返して必要なる物種をととのえ、ことに妻娘を伴のうて、永続の計を立てねばならぬ」。【0】この「そう遠方でもない」場所とはいったいどこなのか、それを柳田は、厳密な文化人類学の学術論文の装いからははるかに隔たったこの文章の中で、具体的に明言しているわけではない(中略)。だが、そう遠方でもないというこの奇妙に生々しい限定が、柳田の詩的な直観に異様な迫真性と説得力を賦与していることは否定できない。
 漂着をもって最初の交通と見る――しかしそれにしても、これは何と美しい言葉ではないか。この端的な断言を受けて、わたしはもう一歩進んでこう言ってみたい、漂着こそ唯一の交通ではないのかと。実際、漂着する以外のどんなやりかたでわたしたちは世界と結びつくことができるだろう。なるほど、あてどない「漂流」の時間の快楽というものはある。だが、単にそこにとどまるかぎり、たとえいかほどロマンティックな孤独の抒情がそそられはしても、そこで人はあの「流離の愁い」の場合と同じく結局は単にひとりよがりの詩情の内部に閉ざされてあるほかない。「漂流」が意味を持つのは、それがどこかに、逢着するかぎりにおいてのことだろう。
 詩は「投壜通信」でしかない、あるいはそうあるべきだといった言いかたがされることがときたまあるが、そうした命題がもし何らかの意味を持つとしたら、海上に放たれた壜がどこかの浜辺に漂着し、それが拾い上げられる現場に想像力を働かせたうえのことではないか。良き風に吹き寄せられ、未知の浜に打ち上げられた言葉を、拾い上げてくれる手があるということ。それこそ、ありうべき真のコミュニケーションの唯一の形態であるはずだ。
(松浦寿輝「漂着について」)