プラタナス の山 11 月 2 週 (5)
★私は長いこと京都に(感)   池新  
 【1】私は長いこと京都に住んで毎日のように道で僧侶と出会ったし、時には寺院をおとずれて、そこに住む僧職の方と対面することも多かったが、どのお顔もなべて、迷いも悩みも知らぬ(と見える)平穏無事な、ふっくらとしたお顔ばかりであるのが、昔から不思議に思われてしかたがなかった。【2】僧服をまとう身とあれば、日々これ仏法、「日々これ好日」、さればこそこのような満ち足りたお顔がそろうことになるのだろうか。
 【3】しかし私からすると、僧という身分であることほど怖いことはない。臨済和尚は、「自分を救う者は自分のほかにはない」と言ったが、一個の人間が僧服をまとう身になることを決断するに当たっては、まず他者への救済者として自立できるより前に、それに先立つ自分自らの始末がつけられているはずである。【4】あるいは僧となることそのことによって、自らの在りかたに決着をつけようとする覚悟あってのことであるはずだと思われる。それなのに、あののびやかな、時には堂々と俗臭を漂わせたお顔は、一体どういうことなのであろう。
 【5】思うに、現代日本の僧侶は、ほとんど例外なく、宗教者・求道者たることを自らの天職として選び取ったという人びとではなく、いわば職業人として僧職に就くことを他律的に条件づけられてそうなったという人びとが大半を占めるであろう。【6】そして、ひとたび僧衣をまとい、僧の座に坐ることになると、僧たることのステータスそのものがその人を安住させ定着させることになって、自らを突き放して見すえる眼も心も失われてゆく、という成りゆきになるのではなかろうか。【7】まして、その人が或(あ)る宗門や教団のなかで一つの職位に就くことにでもなれば、その地位自体がその人の護符(ごふ)となって、安定度はいよいよ高まり、その風格はいよいよ板につき、その説法もいよいよ堂に入った巧みさを加えるであろう。【8】そして、それと反比例して、自らを一個の人間に戻し、その裸身を改めて見つめ直すという宗教者としての基本的な心構えは、霧のように消えてゆくであろう。∵
 【9】このことの怖(おそ)ろしさを、私はかつて旧制中学の教師だった時に身に沁みて体験した。赴任してから一週間たって気がついたことは、教員室の空気の退廃であった。【0】彼ら教師たちの話題の下劣さと、それに引きかえての高慢なエリート意識、そして陰にこもった個人や派閥の間の反目などなど……。これは大きなショックだった。そして、なぜこうなのだろうと考えてみた。ハタと思い当たったのは、教師たちが日ごろ相手にしているのが、自分たちよりも年齢の低い生徒たちばかりであるという環境そのものにその理由がありそうだということだった。そう思い当たって、私は背すじがぞっとする思いだった。幼い子を相手に同じことを教えてばかりいると、自分自身の勉強はおろそかになるばかりか、自分の今の在りようや生き方を省みるということもしなくなる。それをしなくても、教師という職業は結構つとまるからである。こんな怖いことはない。見回したところ、「背に負うた子に教えられる」といった初心を忘れずにいそうな教師は、一人も見当たらない。みんな教室での教え方は堂に入ったその道のベテラン教師ばかりである。しかし、その人たちの世間話のなんと低劣なことか。これでは、長く教師をつとめたら、人間の成長は止まってしまうこと必定(ひつじょう)だと、私は思い知った。そして三年で退職してしまった。
 およそ人間として成長するためには、絶えず現在の自分の生き方を恥じることが必要であろう。自らを恥じるとは、自らを客観視する別の眼をもち得ることである。現在の環境に埋没することなく、つまり現在の職業や地位に腰を据えてしまうことなしに、自分の新たな可能性を絶えず開拓しようとする気魄をもち続けること、このことこそが、およそ道を求める者の――社会人たると宗教者たるとを問わず――もっとも基本的な要件であろう。まして人に向かって法を説き、ひとかどの救済者として自立するほどの人であれば、なおさら、自らをその道の完成者として完結させてしまってはならぬはずである。もし、いささかでも自己完成者としての意識が残っていたら、その人はすでに救済者たる資格はない。しかし、この痛切なディレンマを乗り越えるための苦悩を知らぬ説法者が、今は余りにも多い。 (入矢義高「人を救うということ」)