ビワ の山 8 月 4 週
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○自由な題名

★清書(せいしょ)

○この文章の著者は、
 この文章の著者は、幼いころ、父の言いつけを破って、ひどくしかられたことが三度あったという。一度目は、外国人をもの珍しそうにじろじろ見るなという言いつけを破った時、二度目は、家の人にことわりもなしによその家に行ってはいけないという言いつけを破ったとき、そして、三度目が次の文章である。
 もう一度は、大腸カタルを病んだ病み上がりに、「こりゃあ道(みっ)ちゃん、とってもわるいんだ。おいしそうに見えるけどね、これを食べるとせっかくよくなったのにさ、またおなか痛くなるよ。道(みっ)ちゃんは痛くて苦しむし、パパとママは心配して寝られないし。だから食べるんじゃないよ。」
と、かたく言われたその梅の木の実の青いのを、これまた色彩のつややかな美しさにほだされて、つい取って食べたときだ。運わるく、梅の木は、彼が執筆する書斎の真正面に植えられていた。
「パパがかいていらっしゃるときは邪魔するんじゃなくってよ。パパは一生けんめいだからね。」
と母はつねづね言っていたし、実際、一生けんめいに書くときの父がどんなに他のことに対してうわのそらになるかを、私自身、たしかめて知っていたから、梅の実を取るのも見られまいと、たかをくくったのである。
 ところが、彼はちゃんと見ていた。今にして思えば、私の計算不足というもので、まっ赤なメリンスがちらちら動けば、いくら一生けんめい書いていても、視界にはそれが入るはずであった。
 青い小さな球が口の中で、酸っぱいほろにがさをキュッと押し出したそのとたん、ガラリと開いたガラス戸の向こうから、
 「ばか! 何をする!」
 雷がおちたかと思われる音声に、私はだらしなく尻餅をついた。彼はなかなかのスポーツマンで、水泳は教師免許を持っていたし、学生時代は「早稲田を負かした」ピッチャーだった。だから走るのもたいへん速かった。あっと言うまに、逃げる間もあらばこそ、彼ははだしで飛んで来て、私の口に乱暴に手を突っ込むと青梅の実をひきずり出した。それから茶の間の方をむいて、「ママ! ママ!」と叫んだ。
「ひまし油!」∵
 ひまし油が、拒もうとする歯と歯の間に流し込まれて、その臭さに吐きそうになっている私は、容赦なくひきずられて、納戸の戸だなに押しこめられた。
「あれだけ言ってわからんやつは――座ってろ。」
 いつもならひまし油の「お口なおし」のドロップが与えられるはずだった。しかしその日はドロップはいくら待っても来なかった。ぬるぬると、いくら唾をのんでも舌にまつわってはなれない油に辟易しながら、私は何となくカビ臭い戸だなの中に座っていた。ネズミ、出て来やしないかしら、お化け、いないかしら……
 三度とも、考えてみれば約束違反であった。
「わかったね。」
「うん。」
「どう、わかった? 言ってごらん。」
 そんなやりとりのあとで、約束違反したのだから、まあしかたないと、私はらちもなく悔いながら、しかし不思議にも何かせいせいしたさっぱりとした感じを心のどこかで味わいながら、罰を受けた。
 あのせいせいした感じは、いま、分析してみれば、「罪」への正当な「贖(つぐな)い」の機会を与えられた者の味わう一種の安堵感でもあったろうか。その三度の罰のとき、彼が意外に見せつけた権威はまた、私の幼く漠(ばく)とした世界に、ひとつのはっきりした線を引いて見せたとも言える。
「ここまで。ここから先はまだ。」
 その線は、子供心に信頼感を植えつけた。安心感をも植えつけた。
広がりすぎる自由は不安なものである。渺とはてしない、枠なき世界は自由の世界とは異なる。
「よし、立ってろ。」
 その言葉と罰とが私に、自由というもののほんとうの意味を教えたのではなかったかしらと、今になって思うときがある。
(犬養道子「白樺(しらかば)派文士としての犬養健」)