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言葉の森新聞2006年7月3週号 通算第943号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.夏休み中の授業について(再掲)
  ■2.読解力を高めるコツ
  ■3.国際感覚のある人(イルカ/かこ先生)
  ■4.「やんちゃなモーツァルトのまじめな手紙」(はちみつ/おと先生)
  ■5.分かった?(うさぎ/きら先生)
  ■6.習っていない漢字(いろは/いた先生)
 
言葉の森新聞 2006年7月3週号 通算第943号
文責 中根克明(森川林)

枝 1 / 節 2 / ID
1.夏休み中の授業について(再掲) 枝 4 / 節 4 / ID 9799
夏休み中の授業についてのご連絡です。

 言葉の森の7−9月の予定は、課題フォルダの中の予定表に書いてあります。

 夏休みは帰省したり塾の夏期講習に行ったりするために、通常の時間に授業を受けられない場合も多いと思います。その場合は次のようにしてください。

(1)通常の電話指導を受けられない分を、他の曜日や時間に振り替えて受講できます。平日午前9時〜午後7時50分、土曜午前9時〜11時50分の間に、直接教室にお電話ください。希望の週の課題の説明をします。事前の予約などは必要ありません。授業の振替は、7〜9月の間いつでもできます。電話0120−22−3987(045−830−1177)

(2)山のたよりの送付先や電話の宛先を、自宅以外にすることができます。帰省先や滞在先などで授業を受けることを希望される場合はご連絡ください。ただし曜日や時間を変更する場合は、先生から生徒にはお電話しませんので、生徒から直接教室にお電話をして説明を聞くようにしてください。

(3)8月のみ休会されるという場合でも受講料の返金はしませんので、できるだけほかの曜日や時間に振り替えて授業を受けてくださるようお願いします。ただし、(A)海外にホームステイで出かける場合、(B)病気治療のため入院する場合など、電話連絡のとれない状況での1ヶ月以上の休会は受講料の返金をしますのでご相談ください。

 なお、8月12日(土)より8月18日(金)までは、振替などの電話の受付もお休みとなりますのでご了承ください。
枝 6 / 節 5 / ID 9800
作者コード:
2.読解力を高めるコツ 枝 4 / 節 6 / ID 9801
 読解マラソンを行っている生徒(今のところ通学生のみ)に週に1回国語の問題を出しています。かなり難しい問題だったので、どの学年でも10点台から100点近くまで点数に大きな差が出ました。
 国語力というものは、易しい問題のときはあまり差が出ません。だれでも日常生活で日本語を使っているので、極端にできない生徒がいないからです。英語や数学のように日常生活とは異なる勉強の時間を必要とする教科との違いです。しかしそれでも、難しい問題になると、今回のテストのように大きな差が出ます。
 その理由の一つは、難しい問題になると、量的質的に読み取れない子が出てくるからです。つまり、日常生活で使っている読解力よりもはるかに高い読解力を要求されると、読み取ることができなくなるのです。
もう一つの理由は、問題自体に素直に答えられないような仕組みがあるからです。つまり、合っていそうな間違いがたくさん埋め込まれていると、そういう問題に慣れていない子はすぐに引っかかってしまうということです。
 したがって、読解力をつけるための対策は三つあります。
 まず、読む基礎力をつけることに関してです。基礎力の第一は、滑らかにすばやく読む力です。これは、多読によって身につきます。極端に基礎力のない子の場合は、漫画さえ億劫がって読みません。図の多い本やテレビのような映像ばかり見ていると、活字からイメージを呼び起こすことができなくなります。そういう子の場合は、まず漫画からでも読みなれるようにしておく必要があります。
 基礎力の第二は、難しい語彙のある文章を読むことに慣れるということです。これは難読によって身につきます。難読というものは、ある意味で悪文であることが多いので、国語の勉強をしていると悪文の癖がつくことがあります。しかし、そういう文章を読むことに慣れておかないと、読解力はつきません。このような文章は日常の読書の中では十分に接することがないので、問題集読書などを独自に進めておく必要があります。
 次は、問題を解く応用力です。これは、問題の解き方のコツを学ぶことです。解答は常に設問の前後5行ぐらいの範囲にあること、文中の言葉を使って答えること、合っているものに○をつけるのではなく間違っていないものに○をつけること、などです。これらは、実際の問題集に当たって説明すれば1時間程度で理解することができます。
 次回の国語のテストでは、この問題の解き方などを説明しながら実行していきたいと思っています。
枝 6 / 節 7 / ID 9802
作者コード:
 
枝 61 / 節 8 / ID 9812
3.国際感覚のある人(イルカ/かこ先生) 枝 4 / 節 9 / ID 9803
 中学3年生の長文の中に、「国際感覚のある人」として、「自分なりの意見をきちんともっている人」「それを正確に伝えることのできる人」「つねにステレオタイプ(型どおり)の発想をさけようと努めている人」「異文化と正面からむかおうと心がけている人」という文章がありました。外国に行かなければ国際感覚なんて身につかないと思うかもしれませんが、私はそうでもないのではないかと思っています。もちろん、外国で生活をしたことがあれば、それだけ経験上は有利かもしれません。しかし、日本国内で暮らしていても、その感覚を身につけることはできると思います。では、どうしたら国際感覚を身につけることができるのでしょう。
 まず、最初の二つに注目してみましょう。「自分なりの意見をきちんともっている人」「それを正確に伝えることのできる人」とあります。自分なりの意見を持つためには、いろいろな体験をすることが大事だと思います。体験を通して様々な感情を味わうことができます。辛いことも悲しいことも楽しいことも。憤りを感じることもあるでしょう。そうした中で、自分はこうでありたい、こういうふうに思うという自分自身の意見を確立していくことが可能になってきます。確立した意見を正確に伝えることは難しいことではありますが、口頭でできなければ書くことから始めればよいのです。書くことは訂正ができるからです。相手に正確に伝わるように、いろいろな表現法を使って書いてみることです。
 次に、残りの二つを見てみましょう。「ステレオタイプの発想をさけようと努める」「異文化と正面からむかおうとする」この二つには、柔軟性が求められます。こうでなければいけないという考えでいたら、この二つの姿勢を持つことはできませんね。この考えもOK,その考えも有り得る、どんな意見をも受け止められるようになるには、やはり体験が必要になってくるでしょう。どんな体験もプラス思考で受け止めていくと、柔軟に物事を考えられるようになると思うのです。プラス思考と言うと、悪いことも良いことと考えなければいけないのかと思うかもしれませんね。そうではなく、たとえ悪い体験であっても、その体験も自分のものにしてしまうということです。つまり、悪い体験も体験としての事実を受け止め、その体験を自己成長の栄養としてしまうのです。そうすることによって、考えに柔軟性が出てくる。一方的な考えではなく、方向転換もできるし、多方面から考えることができるようになると思うのです。そうなれば、自ずと異文化に対しても正面から向かうことが可能になってくるでしょう。
 皆さんは毎週作文(感想文)を書くことを勉強しています。体験実例を挙げたり、自分の意見(思ったこと)を書いたりしていますね。それらを書くには、やはり体験をしなければいけません。しかし、何かをしなければ体験にならないのではなく、何もしなくても、それは「何もしない」という立派な体験になるのです。日常生活の中で、様々な体験を私達はしています。たくさんのことを体験し、感じてほしいと思います。その中から生まれた意見は、説得力があります。どんな意見でもよいのです。恥ずかしいと思わずに書いてみましょう。その意見を相手により正確に伝えられるように、皆さんは言葉の森で学んでいるのです。国際社会の中で生きていくために、国際感覚を養うための第一歩をここでしているのです。


枝 6 / 節 10 / ID 9804
作者コード:kako
4.「やんちゃなモーツァルトのまじめな手紙」(はちみつ/おと先生) 枝 4 / 節 11 / ID 9805
 いよいよ梅雨入り。雨が好きな人。ゆううつになる人。しっとり。じめじめ。どちらの印象が強いでしょう。
 さて、今年はモーツァルト250歳。ドイツでのワーキングホリディから戻った人の話を聞くと、オーストリアはモーツァルトグッズで溢れていたそうです。レコード店でもモーツァルトのCDが並び、脳波にプラス影響があるとかで、頭脳鍛錬のブームも追い風に、売れ行きも良いようです。その科学的根拠も議論になっているとか。
 みなさんは、モーツァルトと聞くと、どんなイメージを持つでしょうか? 明るくて、軽快な旋律。早熟の天才。破天荒な生き様と悲劇的な死に様。自由闊達。あまりシリアスなイメージは無いかもしれませんね。
 吉田秀和という人のエッセイ「音楽の光と翳」に様々な音楽家の手紙が紹介されています。この人の文章は、難しいことを噛み砕き、平易な言葉で分かりやすく説明していて、クラシックファンでなくとも読み物としておもしろいのです。
 そこに取り上げられていた少年モーツァルトの手紙は、みなさんとなんら変りの無い、子供らしい率直な手紙です。食いしん坊の聖職者の食べに食べる様子を子供の言葉遣いで書いています。チョコレート(ココア)、お酒、メロン、桃、梨、コーヒー5杯、鳥、レモン汁入りミルクを次々に平らげるドミニカン派のお坊さん。ものすごい食欲です。それにしても、モーツァルト、よく観察していますね。誰しも目の前でこんなに食べられるとびっくりするでしょうけど。「これもおつとめと思って、我慢して食べているのかもしれないけど、ぼくにはそうは思えない。」と感想を述べています。モーツァルト少年の、大人のこっけいさをおもしろがるやんちゃな目と、人間の弱みを覚めた目で鋭く見つめる姿がありありと伝わってきます。
 モーツァルトの音楽の秘密がそこにあるかもしれません。清らかな旋律と裏腹に不真面目と思われがちなモーツァルト。あの澄み切った音の元には澄み切った目と心があったんだなぁ、とCDを倍に聞く楽しみが広がりました。 

枝 6 / 節 12 / ID 9806
作者コード:oto
5.分かった?(うさぎ/きら先生) 枝 4 / 節 13 / ID 9807
 6月は、休日も少なく、テストの多い月になるようです。受験勉強にいそがしい子どもたちに刺激されて、私も勉強することにしました。といっても、やはり昔とった杵柄が気楽で、国語国文学関連です。大学時代に傾倒していた松岡正剛氏の日本文化論を読んでみました。久々に考える面白さを味わうひと時です。
 
 「あ い う え お」の五十音図ができたのは、いつごろだと思いますか? 「いろは歌」は空海の作と言われていますね。しかし、五十音図はイメージとして明治以降(教育が制度化された頃)かという気がします。ところが、これは中世のころにはできあがりつつあったそうなのです。空海と同じく、やはり僧侶達によってです。
 インドから伝わったありがたいお経が、まず中国語に翻訳され、それを日本人が読み上げます。それを、日本語としてテキスト化するために、音を文字にするシステムが考えられたのです。
 私たちは、ごくあたりまえに日本語を話しますから、ひらがなもカタカナも(漢字は中国から来たとして)すうっと自然に出てきたように思っています。しかし、それらが生み出されるためには、たくさんの僧侶たちの長年の研究があったのです。
 発音を区別して整理して、文字に当てはめる。気の遠くなるような作業だった事でしょう。ここで、ひとつ心に留まった文章があります。

「日本では、読むとは声を出すことです。分かるとは、声を自分の体で震わせることです。分かるは、声を分けることなのです。」

 「分かった?」と聞いているのは、「分けられた?」なのですね。
 なーるほどなあ。悟りが啓けました。

 よく、お母様からご相談として寄せられるのが
「うちの子は、なんだかたどたどしく音読していますが、あれは、意味が分かってるのでしょうか。」
ということです。我が子でもよく実感することです。親としては心配でもあり不満でもありますよね。
 しかし、安心なことにそれらは全て「分かって」いるのです。
 思い出してみましょう。はじめて、何かの言葉を使うとき。私たちは戸惑いながら勇気を出して、ある気持ちや考えに言葉をそわせるのではなかったでしょうか。トンチンカンなことになって笑われたり、気まずくもなったり、しかし素晴らしく威力を発揮した新しい言葉に胸を張って、つぎのステップにむかうのです。
 「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがあります。
これを言うと、養育環境の大切さであるとか、継続の成せる業とか、さまざまイメージがうかびます。けれども、これはじつは「分かる」ということの本質をわからせてくれる情景なのではないでしょうか。

 音読が納得の行く流暢なものかどうかを吟味しても、なんにもなりません。それよりは、ひとつひとつ分けられ心のなかで響かせていくさまを見守り、はげましましょう。

 分かるということが分かって、なんだか勇気がわいた私です。言葉の持つ意味のはじまりに迫っていくと、いつもこんないい気持ちになれます。日本語が大好きです。
枝 6 / 節 14 / ID 9808
作者コード:kira
 
枝 61 / 節 15 / ID 9811
6.習っていない漢字(いろは/いた先生) 枝 4 / 節 16 / ID 9809
 みなさん、こんにちは。いよいよ6月、梅雨の季節です。毎日学校へ通っているみんなにとって、なかなか大変な一ヶ月になりそうですが、是非このときにしかできないことをしてみてください。
雨の降る日は、雨音以外はしません。いつもはふとんをたたく音が聞こえてきたり、カラスの鳴き声が聞こえてきたり、近所の人の声が聞こえてくるものですが、このときばかりは雨が全て消してくれるようです。雨の日は「読書デー」と決めているわたし。雨音をBGMにし、読書にふける時間はなかなかぜいたくなものです。ぜひおためしあれ!

今回は「教育」について書きたいと思います。ちょっと時期を逸した内容ですが、お許し下さい。
さくらの花が満開を過ぎたころに始まった新学期。その日は我が家の子供達が教科書を持って帰ってくる日でした。「教科書に名前を書くのが宿題」ということで食卓を囲んでペンを持ちました。心なしかうれしそうな息子。思わず
「どうしたの?」
と聞くと、
「○○くんが『習っていない漢字を書いてもいいんですか?』って聞いたら先生が『漢字に習っている、習っていないはないぞ。知っている漢字はドンドン書きなさい。』って言ってた。だからぼくの名前も漢字で書いていいんだって。」
と、とびきりの笑顔をむけました。

悪戦苦闘の末書いた難しい漢字。その字だけが一つ自分の存在を主張しているようです。それもそのはず。今まで「習っていない」という理由だけで、書くことを許されなかった字なのですから……。常日頃から習っている、習っていないなんて小さいことにこだわって、漢字から遠ざけているのもおかしな話だ、と思っていた私。今までしいたげられてきた息子の名前に光を当ててくれてありがとう! 先生の意見に大きな拍手!という気持ちで一杯になりました。
 漢字というのは一文字でいくつもの意味を有するすばらしいものです。また漢字を使うことで読みやすい文章にする効果もあります。漢字をたくさん覚えて損をしたという話は聞いたことがありません。そんな便利な「漢字」を覚える一つの方法にたくさんふれるということが挙げられると思います。
教科書、ノート、持ち物に難しい漢字が使われていたら……。きっと名前と照らし合わせてすぐに他の子もその字を覚えるでしょう。自分の漢字と一緒なのに読み方が違うことに気づいたらそこでまた漢字の世界が広がります。なんてすてきなことでしょう。

 しかし、「まだ習っていない漢字をどうして書くの?」と、怒る先生っているんですよね。
習っていないことを知っているのは、その子がそれなりに本で読んで得た知識かもしれない、親に教えてもらって覚えた字かもしれない。他の子より少しがんばった結果なのに、それを誉めるよりも先に怒ってしまうなんて悲しい教育です……。
       
 教育というものは「知的好奇心」を刺激するものでなければならない。私は常にこう考えています。人と同列でなければならないという発想からはこの「知的好奇心」を奪ってしまうと思うのです。どんな子にもそれぞれ「伸びる芽」がある。その芽が漢字という部分にあるのならば、小さいことにこだわらず存分に誉めてあげればいいと思いませんか? その芽を伸ばさず、「習っていないのに」というちっぽけな理由でつむという行為は避けたいものです。
日本人が存分に意見を言えない理由の一つにはこうした「同列」の教育から始まっていると考えられます。人は認められることで相手の価値を認めることができるもの。まずは子どもの努力を「認める」ことから入るべきなのではないでしょうか。汚い字を懸命に書いている息子を見ながら、伸びていく芽を育む大切さを感じました。
           
枝 6 / 節 17 / ID 9810
作者コード:ita
枝 9 / 節 3 / ID 9810
 
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