https://youtu.be/nAIbwfp6hMs
●夢判断をAIに聞いてみた
最初はヒマネタからです。
あるとき、夢を見ました。それがあまりにはっきりした夢だったので、試しにAIにその夢の意味を聞いてみました。
夢の内容は、次のようなものです。
====
車を運転して西に向かっているときに、だんだん道が細くなり、いつの間にか人が歩くような山道になっていた。
先に行っている人たちは、みんなその山道を登っているが、自分は引き返して元来た道まで戻ろうと引き返した。
戻る道の途中で滑りやすい坂道があったが、なんとか坂の上まで行けそうというところで目が覚めた。
====
AIは、夢判断でいろいろ教えてくれました。まず「西に向かうというのは過去に戻ろうとすること」という説明から始まり、なるほどと思うことがたくさんありました。
●星占いをAIで推理する
そこで思いついて、星占いも聞いてみようと思いました。
しかし、誕生の年月日はわかりますが、生まれた時刻がわかりません。
昔、母に聞いたところでは、「次の日の朝は大雪だった」とのことなので、たぶん夜中に生まれたのだろうと思いました。
そこで、生まれた日の夕方から未明にかけての時間帯の中で、それぞれの時間帯に生まれた人がどういう性格なのかを教えてもらうことにしました。
すると、時間帯によってかなり性格が変わることが分かり、最終的に、自分の性格から考えて、夜中の午前1時ごろに生まれたらしいという結論になりました。
以上、当てのない話ですが、夢判断や星占いのような不確かなことは、人間に聞くよりもAIに聞くほうが一定の再現性があるのではないかと思いました。
●森リン3.0に広がるAI評価の可能性
さて、ここから本題です。
現在、森リン3.0では、作文評価に関して、単に作文の中身について一般的な感想を書くような講評ではなく、内容の「個性、挑戦、感動、共感」と、項目の「構成、題材、表現、主題、表記」を一定のルールで評価して書いてもらうことにしています。(現在まだ開発中です。)
これまでは、私自身がAIを過小評価していた面もあって、内容や項目の微妙な評価は、結局人間でしか十分にはできないと思っていました。
しかし、だんだんと、AIにも人間レベルのことができるのではないかと思うようになったのです。
●AIとの徹底対話で見えた突破口
ちょうど連休の2日間があったので、朝から晩までAIと対話をしながらプログラムを作り直すことにしました。
その結果、内容と項目の評価もAIが人間並みにできることがわかったので、その内容評価と項目評価の結果をもとに、全体の講評も書いてもらうようにしました。
したがって、これからの森リンの講評は、作文に対する漠然とした感想のようなものではなく、作文指導に直接結びついた講評評価になります。
まだ手直しするところがあるので、すぐには森リンに実装できませんが、いずれ森リン3.0による評価が出るようになります。
●検索を超えるAI活用の時代へ
ここから考えられることは、これからは、AIの活用が単なる検索エンジンの代わりのようなものではなく、使い方によってこれまで考えつかなかったような可能性が出てくるということです。
今、車の自動運転や人間なみの動きをするロボットが開発されていますが、これはプログラミングとして動かしているのではなく、AIで動かしているのですから、コストも手間も大幅に減っているはずです。
●日本のロボット開発とソフトの壁
日本は、昔、ロボット犬アイボやホンダのアシモのようにロボット作りが先行していましたが、その後、ハードのコストよりもソフトのメンテナンスやソフトの改良に費用がかかるため、開発の継続を断念したと言われています。
●AI活用は“進化の爆発”になるか
大昔、地球上で生物の爆発的な進化がありましたが、大げさに言えば、これからAIの活用法によって爆発的な進歩があると思われます。
現代は、若者のチャンスが大きく広がっている時代だと思います。
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https://youtu.be/6ieKOkOFy1Y
●学校という場所への違和感
学校は楽しい場所だったと今では思い返しますが、当時の私は、茨木のり子さんの詩にあるような「蛇蝎(だかつ)のごとく嫌ったところ」ほどではないにしても、それに近い感覚を抱いていました。
いつも硬い木の椅子に座り、先生の話を聞くともなく聞きながら、窓の外ばかりを見ていました。
そして、グラウンドを自由に飛び回るスズメたちを見て、「スズメはいいなあ」と毎日しみじみ思っていたことを覚えています(笑)。
●楽しい時間は「自由」があるとき
学校で楽しかったのは、休み時間に友達と遊ぶことと、自分の好きな図工や体育の授業を受けているときでした。
また、意外かもしれませんが、テストの時間も好きでした。
それは先生の話を聞く必要がなく、自分のペースで作業に取りかかればよかったからです。
●不登校という選択が認められる時代
今、不登校の生徒が増えていますが、私が小中学生のころには「不登校」という概念そのものがほとんどなく、学校に行くことは当然のことだと思われていました。
しかし、不登校が一つの選択肢として認められるようになると、これからさらに学校に行かない子が増える可能性はあるでしょう。
●解決策1――少人数オンライン学習
では、どうしたらよいかというと、解決策は三つあります。
第一は、自宅でのんびり学習ができるオンライン環境の中で、親しい友達数人と一緒に勉強する機会を持つことです。
●解決策2――自分で選ぶ学びと定期的な評価
第二は、その学びが一律に決められた授業ではなく、自分で自由に選べるものであることです。
ただし、定期的な学力テストを受ける必要があり、その結果によって、必要な知識や技能をバランスよく身につけることを条件とします。
●解決策3――地域に根ざしたリアルな交流
そして第三に大切なことは、オンラインの少人数対話型学習があったとしても、リアルな場で、友達や上級生、下級生、大人、小さな子供たちと接する機会が必要だということです。
それは遠足やサマーキャンプのような大掛かりな行事でもよいのですが、それと同時に、日常的に近所の子供たちと集まれる場所があることが重要です。
これが現代の寺子屋教室です。
近所の気のいいおじさんやおばさんがいる家に、三々五々、子供たちが集まり、おしゃべりをしたり遊んだりするのです。
●未来の教育モデルの三本柱
つまり、
(1)オンラインの少人数であること、
(2)AIを利用した自学自習の学習であること、
(3)日常的に交流できる地域に根ざした場所があること、
です。
こうした未来の教育が広がれば、「不登校」という言葉そのものが、いずれ意味を失っていくのではないかと思います。
▽参考リンク
不登校の背景分析や増加要因についての記事例
https://news.yahoo.co.jp/articles/76bdf8af291d399e9545e165775f6dc8275a56c5
(不登校35万人時代の考察)
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https://youtu.be/8bCVUc2KFZg
作文検定は、単なる作文力の評価ではなく、その次の指導につながる指導に結びついた評価です。
●なぜ作文の指導と評価をセットにすることが大事なのか
では、なぜ作文の指導と評価がセットになっていることが大事なのでしょうか。
作文の評価には、これまでは明確なものがありませんでした。ほとんどの作文評価は、読み手の主観的な評価として行われてきました。客観的な部分があるとしても、それはキーワードとして決めたものが入っているかどうかという初歩的なレベルのものがあったのです。だから、当然指導についても、評価につながる指導はあまりありませんでした。
これが同じ検定試験である英語検定や漢字検定と異なるところです。英検や漢検には、明らかな答えがあります。したがって、過去問を研究すれば対策は立てられます。
作文試験に関しては、過去問はあったとしても、模範解答のような一律の答えはありません。それぞれの解答が、書いた人の個性によって書かれているからです。そのため、過去問対策の勉強というよりも、事前の学習を行うための指導が必要になってくるのです。
●学年が上がるにつれて必要な指導の質が変わる
例えば、小学5年生の「体験実例」「たとえ」「前の話、聞いた話」「自分なりに分かったこと」などの項目は、ある程度書く力のある子であれば、事前の準備なしにその場で書いても何とか形にすることができます。
しかし、例えば、中学2年生の「複数の意見」「総合化の主題」「昔話の引用」「光る表現」などの項目は、かなり文章力のある子であっても、その場で項目に合わせて書くことはまずできません。しかし、何度か練習する中でほとんどの生徒ができるようになります。
この指導と評価がセットになっていることが、これからの作文教育に必要な条件になります。
指導のための小1から高3までの「項目集」は、作文検定を受講する予定の団体にお渡ししています。
この指導項目があるだけでも、小学1年生から高校3年生までの日常的な作文指導が、毎週充実したかたちでできるようになるのです。
●AI時代に必要な「身体化された知識」と文化力
これからの学力は、テストの答えを書くような一夜漬けで対応できるような表面的な知識を覚えることではなく、考える力をつけることになります。
考える力をつけるために大事なこととは、何か考えようとするときに、自分の中から自然に出てくる身体化された知識を身につけていることです。身体化された知識とは、ある程度若い時期に、特に小中学生の時期に、暗唱のように何度も繰り返し反復することによって、自分の身体の一部として身につけていくような知識です。
そう考えると、小学生時代の学習の課題は、AIでカバーされるような知識の学力ではなく、大人になったときにも身体化された知識又は習慣として持っているような学力と文化を身につけることです。
身体化された学力や文化とは、読書、しつけ、ものの考え方、前向きに生きる姿勢、人に対して優しく接すること、正直に生きること、いつも明るく前向きに考えること、文章を手で書く技術、そろばんのように数字を自分の身体化された操作として習得する技術、音楽や運動のような直接的な感覚と身体の技術、さらに幸福感を育む土台となる自然と日常的に接する習慣、友達と楽しく遊ぶ経験などです。
そういう学力と文化の総合力がこれから必要になります。これらが、AI時代の学力です。
●入試の変化と作文検定の役割
やがて、入試問題は、知識のペーパーテストは一定の水準まで習得していればそれでよく、それ以上は、作文と面接中心になっていきます。
しかし、作文試験に関しては、すでにAO入試、総合選抜、推薦入試などで試みられていますが、いずれも不十分です。それは、作文評価の負担が、採点する側にとって大きすぎることと、評価自体も、客観的な評価にはなりにくかったからです。
これが、今後、作文検定によって解決されていくと思います。
▽関連リンク
AI時代と読む・書く力に関する記事例
https://www.asahi.com/thinkcampus/pr_yozemi_3
(朝日新聞の特集で、AI時代に読み書きの力が重要と議論)
ハーバードのライティング教育関連
https://toyokeizai.net/articles/-/884934
(AI時代でも文章力が超重要という視点)
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「学習グラフ」に自分の生徒コードを入れて表示すると、森リンベストに自分が載っていた場合は太字の赤字で表示されるようにしました。
しかし、プログラムの一部にミスがあり、たぶん昨日から森リンベストが表示されなくなっていました。
しばらく考えてもミスの箇所がわからないので、ChatGPTに丸投げしたら、一瞬でミスの箇所とその理由を教えてくれました(笑)。
現在は正しく表示されています。
どうも申し訳ありませんでした。
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https://youtu.be/mUYIr92r_3M
●従来の作文評価のブラックボックス性
私が40年以上前に子供たちの作文教室を始めたときに感じたことは、これまでの作文評価の弱点でした。
私は小さい頃から読書好きだったので、文章を書くような勉強は自然と好きになっていました。
小学2年生のあるとき、学校で作文の授業があったのだと思いますが、その授業のあと、先生に自分の作文を読まれて、「中根君は本をよく読んでいるから」と言われて褒められたのを覚えています。
しかし、どういうところが良かったのかということは、もちろん分かりませんでした。
従来の作文評価は、褒められれば嬉しいが、なぜ褒められたのかが分からない、褒められない子はどうしたら褒められるようになるのかが分からない、という「先生の評価」というブラックボックスの中で行われてきたのです。
●指導と言葉を一致させた評価の原則
そこで、自分が作文指導をする場合、子供でも明らかに分かるような言葉で指導し、その明らかに分かる言葉だけで評価をすることにしました。
つまり、指導したことができていたら褒めるが、指導していないことができても、特にそれを評価するわけではないということにしました。
このやり方のいいところは、作文が得意な子はもちろん、作文が苦手だという子も努力できるということです。
●努力が報われる評価が継続を生む
この指導法と評価法によって、どの子も作文を書くことに負担を感じにくくなり、長く勉強を続けるようになりました。
作文力の上達は、長く続けることにありますから、その結果、苦手だった子が次第に楽に上手な作文を書けるようになっていったのです。
このように、評価は必ずその評価の前提としての指導を伴うこと、指導に対応した評価のみをすることを、教育の基本とすることが大切だと分かったのです。
●「パターン化」批判への考え方
しかし、このように「指導の型」を決めてその型に沿った評価をしていくと、反発する人も出てきます。
反発する人の多くは、書くことを職業にしていたり、書くことに自信を持っていたりする人たちです。
そういう批判の多くは、「パターン化した書き方になっている」という言葉です。
しかし、パターン化は目的ではなく手段です。
誰もが書きやすくなるための手段も、その型に慣れるまでは、自分の文章として消化されずに、取って付けたような型となることがあるのです。
しかし、その型をもとに書くことによって、どの子も文章が上手になっていきます。
●教育は結果ではなく過程である
教育とは、成長する過程であって、最初から結果を求めることではありません。
大事なことは、教育の結果だけを見ることではなく、教育を過程として考えることです。
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https://youtu.be/j_2jjTJ-8Yo
森リン3.0に内容評価も組み込むようにしました
連休明けまでに、完成する予定です。
評価する内容とは、次の5種類です。
・個性(その人らしい、ほかの人にはない、個性的な経験、感想があること)
・挑戦(その人にとって新しいことや難しいことに挑戦したこと、又は挑戦しようとしていること)
・感動(その人が感動したこと、又は、感動的に見たり聞いたり感じたりしていること)
・共感(その人が、自分の弱点や失敗や後悔や葛藤などを正直に書いていることで、読み手が共感するようなこと)
・笑い(その人らしいユーモアや笑いが感じられること)
試しに、ある作文を取り上げて森リンに講評(150字)を書いてもらいました。
以下は、森リンの講評です。
「成果のために頑張り続けることに疑問を持ち、やる気を失ったこともしばしばあった。」という一文には、迷いや葛藤を正直に見つめる姿勢が表れており、読み手の強い共感を呼びます。また「入試は自己推薦での挑戦だ。」と自ら道を選び取ろうとする姿には、あなたの前向きな挑戦心がはっきりと感じられます。揺れながらも自分の価値を問い続けるところに、この作文の大きな魅力があります。
対象にした作文は、1月の中3の森リン大賞第1位の作品です。
====
いざというときに
久しぶりに学校へ行くと、クラスは受験一色になっていた。その勢いに少し怖気付くも、動じていないふりをして席につく。本の上の小さな文字たちがぼやけてくるのを眺めながら、焦らなくてはいけない時が来たのだとじわじわ気づくのだった。
人間はふだんはのんびりやっておき、いざというときに全力を出せるように生きていくべきだ。
第一の方法として、いざというとき全力を出すために、ふだんから幅広い教養を身につけておくことだ。調べてみると、教養とは「学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。またそのことによって得られる豊かさ」だそうだ。思っていたより抽象的である。振り返ってみると、私が行っている教養を深めいそうな活動は多い。ギターや語学学習、針仕事に幅広い読書、茶道など日々毎日行うことに加え、交流会や講座にも足を運んでいる。
学校に行かない日々というのは案外暇で、自分のしたいことを心ゆくまま追求できる。一生懸命勉強するわけでもなく、スケジュールを管理するわけでもない私は、一日の大半を興味のあることに費やしてきた。
しかし、毎日知識や技術を高めても、蓄えたものを披露する場がなく、感じることのできない成果のために頑張り続けることに疑問を持ち、やる気を失ったこともしばしばあった。
そんな葛藤を抱えながらも、この春私は高校生になる。入試は自己推薦での挑戦だ。学校の成績は出なくても、今まで深めてきた教養を生かして挑戦した数検や英検、中国語に習字などを武器に頑張りたいと思う。今まで蓄えたものたちがようやく披露される時が来たのは喜ばしいことである。
いざというときに自分の出せる札を多く揃えるために、後悔しないためにふだんから幅広い教養を深めることが大切だと強く感じた。
第二の方法として、社会が成果だけでなく、意欲や好奇心、可能性も評価することだ。
トーマス・エジソンは幼い頃、好奇心が強すぎるあまり、小学校を退学させられ、その後は家庭で学び「発明王」になったそうだ。
現代においても依然として私たちは目に見える結果で人を判断しがちである。受験に就職、転職などといった自己アピールの場では、皆資格や実績を並べ、自分の価値を示そうと必死になる。
だが、私たちはその人の本質を見抜けているだろうか。私たちは表面的な成果だけを評価していないか立ち止まって考える必要があると考える。例えば、大きなキャベツを買ったものの中身がスカスカだった、という経験は珍しくない。また小さいキャベツでも中身が詰まっていておいしいということもある。
人の価値も同様に、肩書きや見た目だけでは測れない。エジソンも学校では評価されなかった好奇心や探究心、意欲が強みとなり、1300個にも上る発明をした。好奇心や可能性を評価することで、新たなものが生まれる社会、成長できる社会づくりにつながると思う。
確かに日々の努力が評価されると嬉しい。
しかし、「知識がはしごを作ったのではなく、2階に上がりたいという熱意がはしごを作ったのだ」という言葉があるように、日々内申点を気にする生活より、自分の好奇心を探究し、熱意を蓄えていく方が大切なのではないかと考える。目まぐるしく変わる世界だからこそ、私はふだんから教養と熱意を育て、いざというときに自分らしく全力を出せる人でありたい。
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都立文京高校 O.M.さん
<担当講師より>
小2から中3まで8年間、作文を本当によく頑張りました。
中学生になると部活が忙しくなったけれども、事前に課題を読み、授業では自分の考えをしっかり述べてくれました。「自分の頭で考え、自分の言葉で伝える力」を身につけたことは、これから先の人生において、Mさんの武器になるはずです。
大好きなバレーボールでの活躍も楽しみにしていますよ。
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https://youtu.be/FZmr6BDbTI4
●項目指導という作文の指導法
言葉の森は、作文教室の創設当初から項目指導を行ってきました。
その理由は、子供自身にわかるような客観的評価でなければ、作文を書くための学習意欲に結びつかないと考えていたからです。
●作文の表現を分解して項目化する取り組み
その項目指導を充実させるために、子供たちの作文が多数掲載されている作文集の本を何冊も読み、その中に共通する表現項目を抜き出しました。
そのうちのいくつかが「たとえ」や「会話」や「思ったこと」です。
また、同じ「会話」でも、「長い会話」や「味のある会話」があります。
また、「思ったこと」でも、「自分らしい思ったこと」や「口に出さないが心の中で思ったこと」などがあります。
そうしたさまざまな表現を項目化しました。
●学年に応じて変わる評価の視点
もちろん、「たとえ」や「会話」は小学生の作文の場合ですから、中学生の意見文や高校生の小論文ではまた別の項目になります。
最初は、これらの指導項目を数多く載せていましたが、子供たちがその項目に習熟するよりも、次々と新しい項目を求める面が出てきたので、項目の数は本質的なものだけに絞るようにしました。
それが言葉の森の現在の項目指導です。
●森リンへの項目指導の組み込み
この項目指導は、言葉の森の独自の指導法でしたから、当初は森リンに組み込むことは考えていませんでした。
しかし、作文指導を行う場合、項目指導があるかないかで指導のしやすさが大きく変わります。
たとえば、単に「この課題で作文を書きなさい」と言うよりも、「この課題でこういう項目を入れて作文を書きなさい」という方が、生徒も書くための目安ができるので書きやすくなります。
そして、書きやすくなることによって、その生徒の本来の実力が発揮できるのです。
●森リン3.0での進化
これまでの森リン2.0は、一部に項目評価を入れていましたが、今後の森リン3.0では、それぞれの級の評価に、項目評価を本格的に組み込む予定です。
項目評価が組み込めるようになったのは、AIが単に言葉の上だけで評価するのではなく、その言葉に込められた内容面も評価できるようになったからです。
例えば、「たとえを使って書く」という項目でも、ありきたりの「たとえ」とその人らしい「たとえ」の違いがあります。
「たとえ」が書いてあること自体を褒めて評価する点は共通ですが、その褒め方が普通の褒め方だったり、大きな褒め方だったりという違いが出るのです。
●内容評価は点数化せず講評で扱う
また、森リン3.0では、この項目評価に加えて内容面の評価も取り入れることにします。
ただし、内容の評価については点数はつけません。
講評の中でその内容の良さに言及するという形にとどめます。
その理由は、内容というものが、作文に取り上げた題材に左右されることが多いからです。
作文力の基本は、平凡な内容であっても非凡な内容であっても、同じように表現豊かに書くことのできる力です。
だから、内容の評価は講評だけ、語彙力と項目の評価は点数化してわかりやすくするという指導法にしていくのです。
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