2024/12/13
Online作文小論文教室 言葉の森
成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本

小学1年生から始める楽しい作文

 小学校の低中学年は学力の土台を作る時期にあたります。この時期に、テストに出るような知識をつけてもあまり意味がありません。英語、数学、国語などの知識の差は、高学年になって本格的な勉強が始まるとすぐに逆転してしまうからです。
 ですから、小学校の低中学年で大事なことは、勉強の成果を出すことではなく、勉強の習慣をつけること、日本語力(国語力)を育てること、楽しく生きること、などになるでしょう。
 このうち日本語力を育てるためには、三つのことが必要になります。一つは読書、もう一つは対話、そして最後の一つは、同じ文章を繰り返して読む練習です。同じ文章を繰り返し読むためには、自分の好きな本を何度も読むことが大切ですが、言葉の森ではこれを読書以外に音読や暗唱の自習として取り組むようにしています。この毎日の音読や暗唱の勉強は、勉強の習慣を作ることに役立ちます。
 音読は最近、学校などでもよく行われるようになっていますが、子供があまり意欲的に取り組まないという問題があります。言葉の森の音読や暗唱の仕方はオリジナルなもので、どの子も楽しく取り組めるように工夫しています。
 日本語力をつけることと勉強の習慣をつけることを、作文を通して実現していくのが、言葉の森の勉強の特徴です。
 言葉の森の生徒の中には、小学1年生から言葉の森で作文の勉強を始めて、中学高校と楽しく勉強を続け、一流大学に合格したという生徒がたくさんいます。なぜかというと、国語の力、つまり思考力がしっかりついているので、英語や数学など、ほかの教科の勉強もすぐに力がつくからです
 小学校の低学年の時期は、自習の習慣を作るための最適な時期です。この時期に作文の勉強を始めて自習の習慣をつけておくと、それがすべての勉強力の確実な土台になっていきます。

書く力が国語力を引き出す

 国語力は、あらゆる学力の基礎であるとともに、あらゆる学力の集大成であるとも言われています。数学や英語の勉強は、たとえ遅れていてもて比較的短期間で取り戻すことができます。しかし、国語力を取り戻すには、きわめて長い期間がかかります。このため、理科系の大学や学部でも、国語力を入試の採点の基準にするところが増えています
 国語の力というものは、漢字の読み書きの力ではありません。漢字の読み書きはもちろん大切ですが、その基礎力だけを伸ばしても、国語力が伸びるわけではありません。国語力の中心は、文章を読む力と文章を書く力です。その中でも特に文章を書く力に、日本語力の本当の実力が表れます。
 現在の入試のシステムでは、書く力を評価する試験は、採点に時間がかかるためあまり取り入れられていません。しかし今後、少子化によって採点に時間が取れるようになれば、作文力はもっと大きく評価されるようになってくるでしょう。また入試に限らず、作文力は、大学でも社会でもますます必要になってきます。
 作文力を高めるためには、作文の勉強だけをしていても限界があります。書く力を高めるためには、書く力の土台となる読む力をつける必要があるからです。言葉の森の指導の特徴は、長文を読んで感想文を書くという形で、読む力と書く力を組み合わせているところにあります。
 言葉の森で作文の勉強することによって、書くことが苦にならない、書くことが好きになる、書くことが得意になるという子が増えています
 言葉の森の作文の勉強は、単なるテストのための国語の勉強を超えた本当の国語力を育てるための勉強なのです。

担当の先生が毎週の電話で優しく指導

 言葉の森の通信指導の特徴は、担当の先生が毎週電話でその週の作文の書き方を説明することです。
 一般に通信教育は、教材だけが送られてくる形がほとんどです。ところが教材だけが届く形だと、教材の内容はどうしても取り組みやすいドリル形式になります。
 次々と問題を解く形の勉強は、いかにも勉強をしているような感じ受けます。しかし実は、どんどんできるような問題は、もともとやらなくてもできた問題です。
 なかなかできない問題がやっとできるようになるときに本当に力がつくのですから、やりにくい勉強に取り組むことが実はいちばん大切なのです。やりにくい勉強をするためには、担当の先生による具体的なアドバイスが必要になります。
 作文の勉強は、1、2ヶ月ならばだれでも楽しく教えることができますが、1年も2年も楽しく教え続けることはなかなかできません。小学校1年生から高校3年生まで、長期間継続して指導できるというのが、言葉の森の作文指導の特徴です
 毎週の電話指導では、担当の先生が作文の書き方をそれぞれの子供に応じて優しく指導します。お母さんやお父さんの役割は、書いたあと褒めてあげること、毎日の自習ができるようなスケジュールを作ること、作文のテーマに合わせてお母さんやお父さんの似た話を聞かせてあげること、などです。生徒と保護者と講師の三者が一体になって、作文の勉強が楽しく進んでいくのです
 言葉の森の講師の採用基準は、文章力だけではなく、明るさ、優しさ、信頼性があることです。そして、日々の研修でさらに指導力に磨きをかけるようにしています。

中学受験から大学入試小論文まで対応

 言葉の森では、小学校1、2年生のころから作文の勉強を始める子が多くいます。
 私立小学校に通っている生徒も多いので、受講する生徒の多くは、最初から中学受験を考えているわけではありません。しかし、勉強をする中で書く力読む力がついてくるので、小学校高学年になるころには、結果的に、中学受験にも対応した国語力がついています。
 小学校3、4年生のころは、書くことが楽しくなってくるので、新聞やコンクールに自主的に応募する子もかなりいます。言葉の森では、入選を目的にして指導しているわけではありませんが、小学生新聞では、作品の入選欄のほとんどが言葉の森の生徒という日もよくあります。
 最近、受験で作文の試験を出す学校が増えてきました。言葉の森では、作文入試に関しては、それぞれの学校の過去問に対応した問題を個別に指導しています。海外からの帰国子女で、入試に作文を使うというケースも年々増えています。これらの入試にも、志望校に合わせた形で対応しています。
 言葉の森で国語力をつけていると、入試に作文試験がないところであっても、受験前の国語の勉強は特にしなくてもよいというメリットがあります。例年、多くの生徒が、私立中、中高一貫公立中、高校、大学の入試に合格しています。
 言葉の森で作文の勉強をすることによって、子供たちは、文章を書くことが好きになり、書くことに自信がついてきます。これが言葉の森の勉強の大きな成果で、入試の結果はそのあとから自然についてくるものです。
 言葉の森の生徒は、大学に入学したあとも、レポートを書くのは得意です。また、作文を書く力がついていると、会議の司会進行などみんなの話を整理をすることも上手になります。これは社会に出てから更に役に立つ力になっています。

言葉の森だけの独自の教材

 言葉の森の教材は、すべてオリジナルです。20年以上の指導の蓄積が、いろいろな形で教材の中に盛り込まれています
●構成作文と項目指導
 作文の構成の仕方と表現の項目を事前に説明するので、難しい感想文も楽に書き出すことができます。
●10分間暗唱と高速聴読
 普通の音読や暗唱ではない、やり方を工夫した10分間の暗唱です。この暗唱に、速聴や暗唱チェック問題を組み合わせて楽しく勉強できるようにしています。暗唱や速聴に使う文章は、入試にも対応した高度な内容の説明文が中心です。
●ウェブ添削
 作文の送信は郵送が中心ですが、手間や時間を節約するために、スキャナーで読み込んだJPG画像をアップロードすることができます。このメリットは、郵送と違ってリアルタイムに添削ができること、ファクスと違って添削がカラフルできれいになることです。
 先生の評価と講評は、毎週郵送されますが、ウェブでも見ることができます。
●構成図と音声入力
 中学生以上は、マインドマップ風の構成図をもとにして、作文を書く指導をします。この方法によって、作文を書くために考える時間の能率が飛躍的に高まります。
 通学生でよく書けるようになっている生徒には、音声入力の方法を指導しています。
 

PISA型読解力が要求されるようになった背景
 英語や数学は、たとえ苦手であっても、必要性を感じてから本気でやれば、数ヶ月で得意になるというレベルまでの勉強ができます。
 しかし、国語の差は、いったんつくと埋めがたい差になります。ところが、点数の差でいうと国語の点数の差は小さく、英語や数学の差は大きいというのが普通です。そこで、多くの人は国語の点数の差を過小評価しがちです。
 国語は点数の差があると思ったときには、もうすでにかなり重症の状態になっています。国語力は、現在の日本では、小説の読み方のような教科と考えられている面がありますが、実は思考力そのものです。
 わかりやすい想像をしてみましょう。例えば、西郷隆盛と勝海舟と福沢諭吉が、現代の中学生になったとします。かなり想像しにくい話ですが。
 それらの偉人たちが準備なしに英数国理社のテストをすると、結果はどうなるでしょうか。まず英語は0点でしょう(勝海舟や福沢諭吉も、まだオランダ語の勉強を始める前のころなので)。数学もかなり0点に近い点です。理科も社会もあまり点数はよくありません。ところが、国語の読解問題だけは高得点なのではないでしょうか。しかし、国語以外の他の教科の成績が最初は悪かったとしても、それから本格的に1年間勉強すれば、他の教科もたぶん高得点を取れるようになるはずです。
 このように、勉強で何か一ついちばん大事なものを挙げるとすればそれはやはり国語力なのです。ところが、国語力の差は、表面にはあまり大きく出てこないので、多くの人は、表面に差の出やすい教科の勉強を優先してしまうのです。
 2006年のOECDの学習到達度調査(PISA)で、日本の生徒は読解力表現力の得点が低く、クイズの番組に出るような知識問題の得点が高かったことが明らかになりました。この結果は、きわめて重要な問題を示しています。つまり、日本の子供たちの本当の学力が低下していたのではないかということです。
 2009年のPISAでも、日本の生徒の読解力は、上海、韓国、フィンランド、香港、シンガポール、カナダ、ニュージーランドに次いで、65か国中8位にとどまっています。今の子供たちの読解力が将来の日本の国力を支えると考えると、8位なら上位だからいいということは言えません。このような事情を背景として、現在の読解力、表現力、思考力を重視した試験が出てきました。
 国語力の本質は考える力ですから、あらゆる勉強の基礎になっています。読解力、つまり読む力というものは、多様なものできるだけ早く理解し読み取る力です。表現力、つまり書く力というものは、様々に異なるものの関連性を見つけそれらを創造的に結びつける力です。
 国語の力をつけるためには、書く勉強としての作文の勉強が欠かせません。現在の国語の勉強は、選択式の読解の問題が中心になっています。それは、その方が採点しやすいからという理由によるものです。子供たちの国語力を本当につけるためには、もっと書く時間を増やしていく必要があります。書く力の評価をすべて人間が行うのは時間がかかるので、文章の自動採点ソフトなどを活用しながら書く勉強を学校で増やしていく必要があると思います。
 

国語力とは何か――学問の母としての国語
 国語力の大切さが見直されています。京都大学の工学部では、二次試験に国語を必須としました。ある大学の数学の教授は、「国語力のある生徒を入れたい」と言っています。
 新聞のコラムの中に、いろいろな人が順番に書くというスタイルのものがあります。読んでいて面白くかつうまいと思わせるものに、なぜか科学者や経営者の文章が多いように思います。国語的な仕事に就いている人だけが、国語力があるのではありません。国語力のある人は、様々な専門の仕事の分野でその国語力を生かして活躍しているのです。

 では、国語力とは何でしょうか。
 その前に、世間一般で言われている国語力についての誤解を挙げたいと思います。
 まず第一に、古文や漢文は、国語力と似ている面と重なる面がありますが、国語力の本質とはあまり関係がありません。
 第二に、漢字の読み書きも同じです。どちらかと言えば、書きの力よりも、読みの力の方が国語力と結びついています。読む力は、読む経験の量と質に比例しているからです。それに対して書き取りは、勉強としてやらなければできるようにはなりません。従って勉強量と真面目さに比例しているのが書き取りで、読書量に比例しているのが読み取りです。
 ですから例えば、読みがよくできるが書きはだめという子は、むしろ将来性のある子です。つまり磨かれざる玉だということです。
 入試では、テストの成績によって合格者が決められます。漢字の読み取りがその学年で習わない漢字までよくできているが、書き取りがあまりができていないという生徒は、将来伸びる可能性があります。ただし、伸びるのは、本人がやる気になったときの話ですが。
 第三に、語彙力も国語力とはあまり関係がありません。もちろん、準備なしの語彙力は読む経験に比例しているので、読む力に結びついています。しかし現在は、語彙力の参考書で準備することができるので、語彙力は多くの場合、単に知識の勉強になっている面があります。例えば、熟語やことわざをたくさん知っているから、国語力があるとは言えないということです。もちろん、知っていることはとてもよいことですが、それが国語の勉強の本質ではありません。
 第四に、小説や物語本を読む力は、国語力と結びついていますが、日本の国語の勉強の中では、やや行き過ぎた形で過大評価されています。国語の問題に出てくる物語文の内容は、登場人物の「ああでもないこうでもない」という心情の動きを拡大しすぎています。これが志ある若者の国語嫌いの一つの原因になっていると思います。
 確かに、悩みは人間を深める面があります。しかし、健康な発想は、悩んでいる暇があったら行動せよ、ということです。日本の文学は、行動せずに悩むことが多すぎるのです。
 例えば、昔よく読まれていた評論文の著者で亀井勝一郎という人がいます。若い時期に、この人の評論を読むと、行動するよりも迷うことの方が尊いというような感覚を持ってしまいがちです。行動力のあることを軽薄だと見なすような面が、日本の近代文学の中にはあるのです。
 では、真の国語力とは何でしょうか。それは、思考力です。言い方を変えれば物事を構造的に見る力です。哲学力と言ってもいいでしょう。ただし、哲学の知識の有無とは関係がありません。
 哲学は、かつてギリシャで「知を愛する学問」と言われていました。ヨーロッパでは今も哲学は、学問の母と言われています。同じように、日本においては国語が、あらゆる学問の母になっているのだと思います。
 言語による認識の構造化が国語力だとすると、国語力を高める方法は、次のようなことになります。第一は、難しい文章を繰り返し読む難読の復読です。第二は、自分の好きな本をたくさん読む多読の速読です。第三は、関心のあるテーマについて家族や友人と行う知的な対話です。第四は、すぐれた内容の文章の音読と暗唱です。第五は、構成を意識した作文と小論文です。
 
学力の基本は、読書と対話と愛情
 子供たちの学力にとって最も大切な読書と対話と愛情について説明します。
 第一は、読書です。読書は、毎日50ページ以上読んでいくことを目標とします。もちろん、小学校低学年では、もっと少ないページ数になります。
 生活の中で、何か機会があれば読書をするという形にしていきます。例えば日曜日、子供が暇になってすることがない、子供としてはゲームをしたい、というようなとき、読書を50ページしたらゲームを15分するというようなことにします。読書好きになるのは、読む量が増えるからです。このように生活の隅々に読書を組み入れていくと、子供は必ず読書好きになっていきます。
 勉強は、よく学びよく遊べという形で進めていく必要があります。ゲームもさせない、インターネットもさせない、勉強だけをいつまでもさせる、というようなやり方では、学力はつきません。そして何よりも、そのような生活が楽しい生活であるとはいえません。子供が小学生の間に、親子でよく学びよく遊べの習慣を家庭生活の中に作っていくことが大切です。
 第二は、対話のある生活です。
 言葉の森の長文音読を話題にしたり、作文の題名を話題にしたりして、親子の対話を進めていきます。
 例えば、食事のときに、今度の作文は何の題名かを聞き、その題名に合わせて、例えばお父さんが、「お父さんが子供のころはなあ、……」というような話をしていきます
 この時にもちろん、母親の協力も大切です。母親が「なるほど」と関心を示したり、「私もそういうことがある」という似た話をしたりすれば話がはずみます。子供と両親が一つの話題で話をはずませるという勉強ができれば、子供の頭は必ずよくなっていきます。
 第三は、愛情です。
 叱られながら100点を取るような勉強させられた場合、半年後にその知識は50点ぐらいにまで下がってしまいます。逆に、笑いながら80点取るまでの勉強した子は、半年後もその80点の知識が生きています。幼稚園や小学校低学年のころの記憶がたくさんある子は、そのころに愛情のある楽しい生活をしていた子です。このような愛情のある生活を小学校低中学年の時期に作っていくことが大切です。
勉強の習慣は小学校低学年までにつく
 言葉の森では、暗唱の自習をすすめています。しかし、自習の時間が確保できるかどうかは個人差もあるので、本人が無理のない範囲でやるようにしています。
 暗唱のような勉強の習慣がつくのは、小学校低学年のころまでです。小学校3年生以降になると単純な勉強はなかなか定着させにくくなります。
 しかし、これは子供のせいではなく、親の子育ての習慣が固定化してくるためです。
 例えば、暗唱などの短時間の毎日やる勉強は、朝ご飯の前にする方が続けやすくなります。食事の前は、頭の回転がいいからです。逆に、食後の勉強は、なかなか進みません。
 ところが、朝食前に暗唱の勉強するとか、食後は読書のような軽い勉強にするとかいう習慣は、親がそのような子育てを低学年の間にしていなかった場合、途中から変えていくのがなかなか難しいのです。
 読書は、くたびれていても、食後でも、いつでもできます。そして読書は、いつまでも続けやすくなる性質を持っています。ですから、勉強の前や勉強の途中に読書入れるというのは、あまりよいやり方ではありません。勉強の最後に読書の時間をあて、その読書50ページ以上が終わればあとは自由に何でもしていいとします。
 よく勉強に長い時間をかける子がいます。その原因の一つに、早く終わると次の勉強させられるということがあります。親が、勉強を内容ではなく時間で決めているために、集中して勉強するメリットが子供には感じられないのです。勉強のさせ方というような習慣も、子供が小学校低中学年のころに作られます。ですから、小学校3年生以上になると、勉強のさせ方という習慣を直せなくなるために、暗唱の自習などが定着させにくくなるのです。
 しかし、これは逆に言えば、これまでの習慣を変えるつもりで取り組めば、高学年になってからでも勉強の習慣はつけ直すことができるということでもあるのです。
 
小学1年生は、書く習慣をつける時期
 小学1年生のころは、まだ作文を上手に書くことができません。聞く生活には慣れていますが、読む生活には慣れていないので、「わ」と「は」の区別などもよくできません。また、会話にカギカッコをつけるということも、読む生活が増えてきて初めてわかることなので、最初はできないのが普通です。
 このような時期に作文を書く練習をするのは、楽しく書く習慣をつけるためです。
 作文自体は、ゆっくりと正しく書けるようにしていけばいいのですが、読む勉強は書く勉強よりも先行して進めることができます。
 言葉の森の毎日の自習は、長文の暗唱が中心です。小学1年生から、説明文の暗唱に慣れていると、その後の語彙や表現が豊かになります。
 作文の勉強というと、文章を書かせてそれを直すというやり方を思い浮かべがちですが、小学1年生の場合はそういう勉強法はあまりいいやり方ではありません。むしろ、長文暗唱や読書や読み聞かせでたっぷり日本語の読みと聞きの力をつけ、それが作文に反映されるようになるまで、褒め続けてじっと待つという勉強の仕方をしていくべきです。
 毎日褒められれば、子供は書くことが楽しくなります。逆に、毎日書くたびに直されたり注意されたりすれば、書くことが負担になります。
 保護者や先生に求められるものは、読む力をつけること、書かれたものをあまり直さないこと、そして、よいところを褒め続けることです。
小学2年生は、作文の勉強が軌道に乗る時期
 小学校2年生も、作文を始めるのにいい時期です。それは第一に書く力が安定してくるからです。第二に学校生活にも慣れてくるからです。そして第三に勉強の習慣が作りやすい時期だからです。
 書く力が安定してくることと学校生活に慣れてくることから、学校では夏休みに初めて感想文の宿題が出ることもあります。しかし、小学2年生では感想文は無理をして書かない方がいいようです。
 小学校2年生では、難しい感想文よりも楽しい作文を書くことに重点に置いていきましょう。
 また、作文でも、「わたしの○○」というような説明的な題名は、この時期はまだ書きにくいものです。
 小学校2年生の作文は、身近な出来事が中心です。例えば、「今日のこと」「この前のこと」というような題名です。小学校2年生のころは、日々感動のある人生を生きているので、毎日同じ題名でも書くことにあまり困りません
 また、小学2年生の時期は、内容的によいことを書こうという意識はあまりありません。書くこと自体がうれしい時期です。
 この時期の勉強で大事なことは四つあります。第一は暗唱、第二は読書、第三は両親との対話、第四は作文です。
 暗唱については、長文を読んだときにお父さんやお母さんが面白い話をしてあげてください。言葉の森の長文は科学的な内容が多いので、更に詳しい話や具体的な例などを挙げることができます。子供にとっては、身近なお父さんやお母さんから知的な話を聞くことがとても楽しいのです。
 作文については、楽しんで書かせることが大事です。この時期に他人と比較することは意味がありません。小学校2年生で文章が上手な子は、例外なく本をたくさん読んでいます。文章力は読む量に比例していますから、作文に弱点があった場合でも、作文で直すのではなく読書で直すと考えておくことが大切です。
 小学2年生のころは、面白く読める本はたくさんあります。この時期に本を読まないという子はまずいません。しかし、そういう時期のうちに、読書は勉強の中でいちばん優先して取り組むものだという考えを持たせることが大事です。つまり、どんなに忙しい日があっても、読書だけは毎日欠かさないという生活を送っていくということです。
 このように、作文、自習、読書などが生活の中に溶け込むようになると、この小学校2年生の勉強の延長で、高学年まで作文や読書の勉強を続けていけるようになります。
 
小学校3、4年生は、作文を上手に書ける時期
 小学校3、4年生のころは、一言でいうと、作文を上手に書ける時期にあたります。
 これは、子供たちが学校生活に慣れてくるとともに、書く力もさらに自由に使えるようになってくるからです。このころはギャングエイジとも呼ばれるとおり、作文にもいたずらっぽい楽しさが出てきます。この時期の子供たちは、表現の工夫を楽しんだり、内容の面白さを意図して書こうとしたりします。
 小学校3、4年生の時期の作文指導で、大事なことは三つあります。
 第一は、表現の工夫を楽しむ指導をすることです。例えば、たとえを使ったり、ダジャレを使ったりして書く練習をします。
 第二は、出来事を個性的に書く指導をすることです。この時期は、子供自身にも面白いこと書こうとする意識がわいてきます。この面白さは、その時期にその子供が読んでいる本の影響もあります。時には、家族の話をおもしろく書きすぎることもありますが、あまり目くじらを立てないことが大切です。
 第三は、感想を個性的に書く指導をすることです。感想の個性は、大人との対話の量に比例しています。お父さんやお母さんがいろいろな話を聞かせてあげると、それに比例する形で、子供の感想を書く力も深まってきます。
 小学3、4年生のころは、作文全体にその子らしい個性が出てくるので、小学校時代の記念に残る作文を書ける時期にもあたります。この時期は、自主的にいろいろなコンクールに応募させるようにするのもいいことです。ただし、二重投稿にならないように保護者が注意しておく必要があります。小学校3、4年生の時期に作文コンクールなどに入選すると、そのことで書くことにさらに自信がついてきます。
 小学校1年生のころは、まだ子供自身にうまく書こうという意識がありません。そのため、作文コンクールなどに入選しても、あまり嬉しいという実感がわかないようです。また、学年が上がって小学校5、6年生になると、今度は、入選してみんなの前で話題になることが恥ずかしいという気持ちが出てきます。ですから、コンクール入選をいちばん無邪気に喜べるのは、小学校3、4年生の時期になります。
 小学校4年生は、親のいうこと聞く最後の年齢にあたります。小学校5年生になると、だんだん子供の自己主張がはっきりしてくるので、親のいうことをそのまま素直には聞かなくなってきます。しかし、親のいうことを素直に聞く小学校3、4年生の時期にこそ、大人のペースで強引に何かをさせるのではなく、子供の自主性を尊重して、いつもよいところを評価していくという姿勢が大切です。
 
小学5、6年生は考える力のつく時期
 小学校5、6年生は、考える力が育ってくる時期にあたります。それは、このころから物事を構成的に考える力がついてくるからです。従って、文章の要約などができるようになるのも、この小学校5、6年生のころからです。物事を構造的にとらえる力がついてくるので、作文の構造も、立体的なものになります。立体的な作文とは、単に時間の順序に書いていくのではなく、過去にさかのぼったり似た話と結びつけたりしながら展開していく作文です。
 小学校5、6年生のころは、作文以外の算数、理科、社会などでも、考える要素が出て難しくなる時期です。従って、小学生の勉強は、小学校5、6年生からが本当の勉強らしいものになります。
 逆にいうと、小学校3、4年生までは、成績と学力はあまり一致しません。真面目であれば誰でもできるのが小学校3、4年生までの勉強です。ですから、小学校中学年のころまでに、表面的に真面目にやりすぎないということが大切です。わかりやすく言えば、テストの点数で90点を100点に上げようとするよりも、その10点アップさせるための時間を読書に充てるというような考え方をするということです。これが本当の学力につながっていきます
 小学校5、6年生で伸びる子は、小学校3、4年生のころに実力を蓄えた子です。例えば、小学校3、4年生までの時期に本をたくさん読んだ子は、速読力がついてきます。これが小学校5、6年生の国語力の基礎になっていきます。
 小学校5、6年生の作文の課題は、身近な説明文と感想文が中心になります。
 感想文のもとになる文章は、中学入試レベルのかなり難しい長文です。ここで家族の似た話などを取材すると、長文の内容がより具体的に理解できるようになります。また、課題の長文を繰り返し読むことで難しい文章を理解する力が備わってきます。
 このほかに国語の力を上げるためには、難しい文章を繰り返し読むことが必要です(難読の復読)。具体的な勉強法としては、中学入試の国語の問題集の問題文を読書がわり読むという方法です。
 また、実力はあるのに点数がよくないという子は、解答のテクニックを知らないから、というケースがよくあります。国語の問題を解くテクニックは、1、2時間もじっくり説明すれば、すぐに理解できます。
 国語力を上げるもう一つのポイントは、速読力です。小学5、6年生で、ゆっくりやればできる問題なのに、後半になると×が多くなるという場合は、速読力がついてないために時間切れになっていることが原因です。速読力をつけるためには、中学年のころまでに本をたくさん読んでおくことが必要です。
 国語の勉強に対する家庭での取り組みは、模擬試験のチェックです。模擬試験が戻ってきたときに、×のところをもう一度家族でチェックします。ここで大事なことは、点数に目を奪われないということです。点数よりも大事なことは、できなかったところの原因を探ることです。できない原因は三つあります。一つは難読力の不足です。もう一つはテクニックの不足です。三つ目は速読力の不足です。国語の試験の中には、大人でも間違えてしまうあいまいな答えのものもあります。親ができない問題は、子供もできていなくてよいと割り切って考えておきましょう。
 作文試験のある生徒は、時間内に必要な字数ぎりぎりまで書くという練習をしていく必要があります。作文の書き方は、構成の仕方を優先させて全体の構造をあらかじめ考えてから書くようにします。構成の仕方は、言葉の森のホームページを参考にしてください。
 
中学生は意見を深める時期
 中学生は、意見を深める時期にあたります。中学生以上の課題は、意見文と意見中心の感想文です。
 しかし、中学生の時期は、書くのが苦手になる時期でもあります。その理由は第一に、作文の勉強というものが学校で行われなくなるので、勉強の意義を感じにくくなるからです。ただし最近は、高校入試の推薦で作文の試験が課せられるところも増えています。
 第二に、中学生のころは、作文のような内面に関わることは身近な人に読まれたくないという時期だからです。いわゆる反抗期ないし自立期という時期です。
 第三に、いちばん大きい理由は、意見文を書くのにふさわしい語彙がまだ備わっていないということです。中学生の時期は、読む力があるほどには書く力がないという時期なので、文章を書いていて、自分の文章がうまくないと漠然と感じてしまうのです。
 このため、中学生は大部分の生徒が小学校5、6年生のときよりも作文が下手になるというような印象を受けます。ただし、それは書いているジャンルが違うからです。例えば小学校5、6年生のときは、「私のあだな」という題名で実例を中心に作文を書いています。中学生になって、「あだなはよいか悪いか」という題名で意見とその理由を書くという書き方をすると、語彙力が育っていない時期はどうしても内容が味気ないものになってしまうのです。
 しかし、中学生のころに上手に書ける子ももちろんいます。その子たちの共通点は、読書量があるということです。この読書は、必ずしも難しい本の読書とは限りません。自分の好きな本をたくさん読んでいる子は、作文力がついてきます。ですから、中学生の時期は、作文や国語の勉強として読書と長文暗唱の二つを進めていくことが大切になります。
 さらに、中学生のころは、全体に作文を書くことは苦手であるにもかかわらず、時に非常にすぐれた文章を書くこともあります。このころは、物の見方が誠実で鋭いので、ほかの時期では書けないようなすぐれた内容の文章を書くこともあるのです。中学生の時期に自分なりに考えた文章を書くことは、ものの感じ方や考え方を豊かにすることにつながっています。
 意見文、小論文を書く力が安定してくるのが中学3年生のころです。このころはちょうど反抗期の終わりにあたります。親に依存している時期から抜け出て、だんだんと自分の自立に自信を持っていく時期です。孔子は「吾(われ)十有五(じゅうゆうご)にして学に志す」と言いました。中学3年生15歳の時期は、自分というものの自覚が始まり、本格的な小論文を書けるようになる時期です。
 
高校生の現代文と小論文
 高校生の現代文と小論文の勉強について説明します。
 まず、現代文です。現代文の力は、土台となる読解力とテストの点数を上げる成績力に分けられます。
 土台となる読解力をつけるためには、全国の大学の過去問1年間分の問題集を読んでおくことです。読んでいてどうしても内容がつかめない意味不明のところだけ、国語の先生などに聞いておきましょう
 テストのための成績力をつけるためには、三つのことが大事です。
 第一は、問題文の全文を、一息で、味わいながら、ところどころに線を引きながら、読んでいくことです(複雑そうに聞こえるかもしれませんが、そうでもありません)。物語文などでは、特にこの味わって読むことが大切です。問題文の世界に没入して味わって読んでおくと、そのあとの選択問題を答えるときにも、改めて問題文を読み返す必要がなくなります。
 第二に、選択問題の解き方です。選択肢のどこがなぜ違うのかということを記録に残しながら解いていきます。記録を残さないで解いた場合、うまく合っていても力がつきません。間違っていた場合でも、なぜ間違えたのかということが反省できなくなります。他の教科と同じように、国語も理詰めに解いていくことで力がつきます。
 第三に、志望校の過去問の性格を知ることです。性格というのは傾向とは少し違います。
 過去問の傾向とは、どういう問題が出ることが多いかということです。この傾向を知ることによって、どの参考書や問題集をやるのかを決めていきます。
 過去問の性格とは、わかりやすい性格、ひねっている性格など、問題自体の性格のことです。志望校の過去問の性格を知っていると、選択に迷ったときに、役に立ちます。

 次は、小論文です。小論文も土台となる表現力とテストのための成績力に分かれます。
 まず、土台となる表現力です。表現力は三つあります。
 第一は、時間内に書き上げる力です。
 第二は、字数ぎりぎりまで書く力です。
 時間と字数の力をつけるためには、慣れと根性によるしかありません。1週間に1本、時間と字数を決めて書く練習していきましょう。そのために例えば、図書館に原稿用紙と筆記用具だけを持って入り、書き上げるまで出てこないというようなことを自分に課すのも有効です。
 第三は、漢字を正しく書く力です。漢字の間違いは意外に多いものです。特に、高校生の場合は、小学校の中高学年でうっかり間違えたまま覚えている誤字がかなりあります。直し方は、身近な他人、例えば家族や兄弟に見てもらうことです。自分だけで直す場合は、書いた文字すべてについて、自分で合っていると思ったものも含めて全部辞書を引き直すことです。誤字を完璧に直すには、1年ぐらいかかります。また、小論文が上手になるのもやはり1年ぐらいが目安です。
 次に、小論文の成績力です。成績力は三つあります。
 第一は、いい表現を蓄積しておくことです。これは、いい主題(意見や感想)につながります。
 第二は、いい実例を蓄積しておくことです。この実例には、体験実例と社会実例があります。
 第三は、わかりやすい構成で書くことです。わかりやすい構成で大切なことは、一つには見やすいレイアウトで書くということです。それぞれの段落がだいたい同じぐらいの長さで展開されていると、文章全体が見やすくなります。段落の平均的な長さは150字ぐらいですので、そのぐらいの長さを目安にしておくとよいでしょう。
 もう一つは、構成を予測させる言葉を使ってわかりやすく書くということです。例えば、「○○は三つある。それは」というような書き方をすると、読む人は先の見通しがわかるので読みやすいという感じを受けます。

 現代文の場合も、小論文の場合も、共通する力は難読力です。
 高校生の小論文は、高校3年生になると、どの子も上手になります。これは普段の勉強の量が増えてくるからで、難しい文章を読むようになると、小論文も上手になるということです。

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