読解検定5月
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言葉の森のビジョン

 言葉の森のホームページで2010年9月に掲載した記事です。




 言葉の森の今後のビジョンを絵で説明します。

 現代の日本の問題は、二つの面から考えることができます。
 ひとつは、社会的な面です。日本は、戦後、アメリカからずっとマネーの面でコントロールされてきました。
 しかし、今、アメリカの力が後退する中で、中国からの圧力が強まっています。中国の圧力の源泉は人口です。
 日本は、アメリカと中国のはざまで自立をしなければならないという状況に置かれています。
 日本は、国土の面積は世界第60位ですが、排他的経済水域も含めた領海の面積になると世界第6位になります。そして、日本の近海には多くの貴重な鉱物資源が眠っています。
 弱肉強食の国際社会の中で、核を持つ大国にはさまれて、軍備を持たないお人よしの日本が、豊かな土地で平和に暮らしている、というのが日本の置かれている状況です。
 この中で、日本の自立をどう守っていくのかというのがひとつの問題です。
 もうひとつは、歴史的な面です。現代の社会は大きな曲がり角に来ています。主な行き詰まりは経済の面に現れていますが、その根底にあるのは、もっと大きな文化的な変化です。
 しかし、その曲がり角の先にある新しい時代の展望がまだはっきりとは見えていないというのがもうひとつの問題です。

 まず、社会的な面から考えると、国際社会の中で日本の自立を守るということが大きな課題になります。
 日本は、隣国中国から人口の大きな圧力を受けています。また、日本自身がこれから国際社会で生きていくときに、ある程度の移民を好むと好まざるにかかわらず受け入れざるをえません。
 しかし、移民が日本の社会に同化せずに、移民独自の社会を日本の中で作るという方向に進むなら、その移民政策は日本の社会の安定と調和にとって大きな脅威となるでしょう。
 移民は受け入れるが、その移民を強力に同化するだけの経済的な豊かさと文化的な豊かさを持つことがこれからの日本に求められています。
 その要になるのは、日本語教育です。

 今、世界の共通語は英語です。それは、英語が国際的なコミュニケーションのツールとして、ほかのどの言語よりも大きな欠点が少なかったという消去法的な選択によるものです。
 しかし、いったん成立した世界共通語としての英語の役割は、今後も永続するでしょう。
 ところが、人類の歴史はツールの改良の歴史です。英語がコミュニケーションのツールであるかぎり、その役割は、時間はかかっても必ず機械が代替していくものになります。

 英語がツールとしての言語であるのに対して、日本語は文化としての言語になる可能性を秘めています。
 将来の世界の人々は、自国語と日本語を子供時代からの教育でバイリンガルとして学ぶようになるかもしれません。
 それは、日本語には、母語として学ぶ大きなメリットが3つあるからです。

 日本語の第一の特徴は、視覚的言語という点にあります。
 日本語は、漢字かな混じり文なので、見た感じで全体の印象をつかむことができます。そして、この見た感じが、文章の内容を理解するのを助けます。
 他の言語でも、書かれたものは視覚的に読まれますが、基本は音声を通して理解することに向いている言語です。日本語は聞いて理解するよりも、読んで理解することに向いている言語です。
 そして、この読んで理解しやすいという性質が、今後のインターネットの文字情報の世界では大きな利点となるのです。

 日本語の第二の特徴は、母音言語だという点にあります。
 英語や中国語など日本語以外の他の言語は、左脳で子音を処理し、右脳で母音、自然音、楽器音、雑音などを処理します。しかし、日本語は、左脳で子音、母音、自然音を処理し、右脳で楽器音、雑音を処理します。
 この結果、日本語では擬声語や擬態語が発達し、雨がザーザー降る、川がさらさらと流れる、星がきらきら光る、スズメがチュンチュン鳴く、などという表現が多用されるようになりました。
 これらの擬音語を使うとき、日本人は無意識のうちに、雨の音や川の様子や星の光やスズメの声を擬人化しています。つまり、雨や川や星やスズメの語る言葉としてこれらの擬音語を使っているのです。それは、自然の音が左脳の言語脳で処理されることから生じる自然な結果です。
 このため、日本人は、自然の事物や動植物に対して、人間に対するのと同じような一体感をごく普通に持つようになり、それが日本独特のアニミズム、八百万の神という発想、異なるものの共存を受け入れる調和の精神を生み出しました。
 そして、今日の世界が必要としているのは、まさしくこういう調和と共存の見方です。それを理性の力で実現させようとするのではなく、言葉を使う中で自然に育てることができるという点で日本語は大きな利点を持っています。

 日本語の第三の特徴は、膠着言語というところにあります。
 他の言語が、主に語順によるか、言葉自体の活用によって、単語どうしの関係を表すのに対して、日本語は名詞のあとにつく助詞や、動詞のあとにつく助動詞によって単語の関係を表します。
 いわば、助詞や助動詞という変化しやすい水の上に、名詞や動詞という形の決まった葉っぱが浮かんでいるという状態です。
 この単語どうしの関係を容易に変化させることのできる性質が、日本語の持つ創造性を生み出しているのではないかと思います。
 これら三つの特徴のほかに、日本語には、最後まで聞き取らないと意味が通じないという特徴もあります。これは、見方を変えれば、微妙な差異に注意を払わないと肝心なことが伝わらないという微妙さに対する感受性を生み出していると考えられます。
 余談ですが、このために、日本語は難しい話を耳からだけ聴いていると眠くなるという性質があるのだと思います。
 また、他の言語に比べて音素数の少ない日本語には同音異義語が多く、単語をその前後の文脈から理解する必要がしばしばあります。日本人は人の話を聞いているとき、同音異義語の単語を頭の中で該当する漢字に視覚的に変換しながら理解しているのです。
 酸素濃度の少ない高地に住む人の心肺機能が自然に鍛えられるように、日本語は使っているだけで自然に頭脳の理解機能が鍛えられる言語なのです。
 また、音素数の少なさは、日本語に独特のダジャレの背景にもなっています。このだれでも気軽にダジャレを楽しめるというのも日本語の大きな特徴で、このダジャレ的なものの見方によっても、日本人の創造性は更に鍛えられているのです。
 以上が、国際社会の中で日本の自立を守るために日本の文化を豊かにする要として生かしていく日本語の特徴です。

 次に、歴史的な面から、現代という時代が経済的にどういう時代なのかということを考えてみます。
 最初に、個人の消費生活に対する欲望があります。自動車を持っていない人が自分の車を持つということに対する憧れは、今の日本人はもうほとんど忘れていますが、実はとても大きなものでした。同様に、テレビのないうちがテレビを買うというときの感動は、今では想像できないほど大きなものでした。
 その未来の夢のために、個人は仕事をし収入を手に入れようとします。
 この仕事は、古代の人が舟に乗りたいから自分で丸木舟を彫るというような自給自足的なものではありません。自分で自動車を作るということは当然できないので、個人は企業で分業の一部として働くことによって収入を得ます。
 この分業が、実は企業にとって利益の源泉になります。企業は、決して労働者を搾取して利益を上げるわけではありません。分業という仕組み自体が個人の労働の投入量の総和よりも大きな価値を生み出すことから利益が生まれるのです。
 この利益を更に大きくするために、企業は技術革新を行います。利益が技術革新に使われ、ますます質量ともにすぐれた分業体制を作った企業は更に利益を上げていきます。
 そして、この企業の作った製品が、労働によって収入の増えた消費者によって購入されるというのがこれまでの経済の流れでした。
 松下電器(現パナソニック)がアイロンを作ったころ、アイロンという商品はかなり高価なものでした。しかし、多くの人がアイロンのある生活に夢を見る一方、松下電器がその夢に応えて庶民の手に入る価格のアイロンを作ることによって(昭和2年)、個人の企業も豊かになっていったというのが、日本の資本主義が発展し始めたころの社会の姿でした。そして、このアイロンが、カラーテレビ、自動車、クーラーへと対象を変えて発展してきたのがこれまでの社会でした。
 「言葉の森のビジョン」の後半を簡単に書くつもりがだんだん長くなってきました。(^^ゞ
 まだ画像が十数枚あり、この調子で書いていると何の話かわからなくなりそうなので、以下急いで(笑)。

 現代の日本の社会は、個人に消費したいものがなくなっているという状態にあります。しかも、それが格差社会の拡大の結果、お金のない人は消費したいものがあるのに仕事と収入が増えない結果消費したいものがない、お金のある人はただ単にこれ以上消費したいものがないという形になっているところに問題があります。
 消費したいものがない結果、物が売れないため、企業は売上の減少の中でも利益を上げるために省力化を押し進めます。省力化が進めば進むほど、個人の働き口がなくなり、それが消費と設備投資を更に低下させるという縮小スパイラルの状態に今の経済は陥りつつあります。
 拡大スパイラルが縮小スパイラルに転換した大きな要因の一つは、企業の利益、言い換えれば社会全体の利益が新しい生産を創造するための投資に向かわずに、軍事費や社会保障費やマネーゲームという価値を生み出さない分野に吸収されていったことです。
 しかし、もう一つの大きな要因は、個人の欲望を喚起するような大きな魅力のある商品が現代の社会、特に先進国の社会で見つからなくなったことです。

 では、先進国、例えば日本に暮らす個人の欲望の対象は、今どのように変化したのでしょうか。
 これまでは、よりよい家、よりよい車、よりよい服、よりよい食事という豊かな消費生活が個人の欲望の焦点になっていました。
 今は、そうではありません。もちろんよりよい消費生活への希望はまだだれにでもありますが、それらが大きな感動を伴う消費ではなくなったのです。
 今、個人が大きな夢を持って求めている対象は、物ではなく自己の向上です。それは、より美しい自分、より健康な自分、より知的で、魅力的で、能力があり、人気があり、自己を実現し、社会に貢献できるような自分自身なのです。

 さて、これまでの経済の特徴の一つである工業の発達によって豊かになった社会を工業社会と呼ぶと、工業社会の教育は次のような形で進められてきました。これが、現在まで行われていた教育です。
 個人は、豊かな消費生活を実現するだけの収入を得るために企業に勤めます。その企業で求める人材は、工業生産の優れた歯車として使える広範な基礎学力を持ち、企業の特定の専門分野で高度に能力を発揮できるような人材です。
 広範な基礎学力と優れた専門能力は、企業が求める人間像であるとともに、個人が自ら求める人間像でもありました。
 そのため、教育のスタイルは、ある目標をめざして全員が同じ方向で努力するものになり、その目標を達成するためにテストによる競争と勝敗が教育の中に自然に組み込まれるようになりました。
 同じ方向とは言っても、小中学校では比較的幅広い教科にわたって、高校大学ではある程度専門化された教科の枠の中で行われるという違いはありました。しかし、基本的な仕組みは、共通する目標に向かって一本道を進むという点で同じものでした。

 では、新しい時代の社会の仕組みはどうなるのでしょうか。
 自己の向上を欲望の焦点にした社会は、次のようなサイクルで成り立ちます。
 まず、個人はよりよい自分を求めて生きていきます。そのために、自分を向上させる何かを習おうとします。
 何かを習うことによって自分が次第に向上するとともに、やがて自分自身もほかの人に何かを教えることができるようなレベルにまで向上していきます。それは、向上をつきつめていくと創造が生まれてくるからです。
 その習い方を修行と呼び、習う場所を道場と呼ぶとすると、その道場での修行が権威を持つようになるにつれて、更に多くの優れた人がそこに参加するようになります。
 その修行者の増加によって生まれるものは、その修行自体の質の向上と修行の方法における技術革新です。その技術革新の結果、ますます多くの人がより高いレベルの修行に、より短期間で到達するようになります。
 工業社会では、技術革新によって生まれるものは主として省力化で、それは人間の労働力を不要とする方向で発展しました。それは、ある面では労働時間の短縮というプラスの面を生み出しましたが、他方では就業機会の減少や失業というマイナスの面も生み出しました。
 修行社会では、技術革新によって生まれるものは修行自体の発展で、それは人間の修行を効率化する方向で発展していきます。それは、修行の到達レベルの上昇と、修行の多様化を生み出します。工業社会では、技術の進歩につれて人間の労働が不要になるのに対して、修行社会では、技術の進歩につれて人間の修行内容がより豊かになっていくのです。
 このような時代は、人類の過去の歴史でも何度かありました。
 古代ギリシアでは、自由民と男性だけに限られてはいたものの、哲学や芸術やスポーツや政治の分野で市民が自由に自己を向上させることが社会のダイナミズムの中心になっていました。
 江戸時代の日本では、武士階級から町人階級まで広がる形で、武道、茶道、歌道などさまざまな分野の芸術や技能や武術や学問が多様に発展していました。
 しかし、江戸時代は、その修行文化を更に押し進め完成させる前に、近代ヨーロッパの科学技術文化に遭遇し、列強の植民地化の脅威に対抗するために、自らの文化を工業社会の文化に変容させざるを得なかったのです。
 簡単に書くつもりが、どんどん長くなっていく。(^^ゞ

 さて、新たに生まれようとしている修行社会の教育はどのようなものになるでしょうか。
 一つは、全面的な基礎教育です。工業社会の教育は、英数国理社美技音体と一応バランスのとれた多くの教科によって成り立っていますが、工業社会の人材を生み出すためにある限られた範囲で競争する必要があるため、点数の差のつきやすい英語、数学、国語などの主要教科が勉強の中心になります。
 しかし、修行社会の教科は、個人が将来どの方面に自分を開花させるにせよ、その可能性を広げるためにできるだけ多様な教科を身につけておく必要があることから、本質的に全面的な教科を学ぶという性格を持っています。
 もう一つは、個性を生かしたオンリーワンを目指す教育です。工業社会では、個性を生かすということは、往々にして趣味の分野で生産活動から離れた形で一種の逃避に近い活動として行われことがありました。修行社会での個性とは、そのような根のない個性ではなく、その個性がそのまま社会での仕事に結びつくような個性です。
 したがって、学校教育も、学校の中での教育として完結したものではなく、常に、個人が社会で個性的に活躍するために何が必要かという観点から行われるようになります。それは教える教育ではなく、アドバイスする教育であり、生徒の側も、教わる勉強ではなく自ら学ぶ勉強として学習に取り組むようになります。
 未来の教育では、一斉授業とテストによる評価というものは、基礎教育の初期には行われるものの、その後の教育の大部分は、自学自習と人生設計の相談という形で行われるようになるでしょう。

 現在の教育には、まだ工業社会の影響が色濃く残っており、ある決められた範囲の教育内容を競争を通して学ぶということが主流になっています。
 その反対に、自己の向上のために学ぶという未来の社会の教育は、まだ小さな流れにしかなっていません。

 しかし、今後、急速に競争教育の前提そのものがなくなっていき、それとは逆に、自己の向上のための教育が大きな流れになっていくでしょう。
 これからの教育、特に子供時代の教育は、どのような形で行われるのでしょうか。
 これまでの学校の一斉授業形式の教育は、現在既に行き詰まっています。それは、消費生活の多様化に伴って家庭環境が多様化し、ある子供はゲーム漬け、ある子供はテレビ漬け、逆にある子供は豊かな読書や対話の環境と、子供たちを取り巻く家庭環境の格差が拡大してきたためです。
 学校の一斉授業は、均質の子供たちを教えることを前提にしていたため、同学年でも出発点に大きな相違のある子供たちの教育に対応することができなくなっていったのです。
 しかし、一斉授業の人数を少なくするという方向は、ある程度の効果はあるものの事態の本質的な解決にはつながりません。少人数化の到達点はマンツーマンの個別教育ですが、1人の子供を教えるために1人の大人が必要になるという状態を小中学校の基礎教育の分野で行うというのは、やはり不自然です。
 ここで参考になるのは、江戸時代に行われていた寺子屋の教育法です。寺子屋では、先生1人が小1から小6のころまでの年齢の異なる生徒十数人を毎日早朝から昼過ぎごろまで休みなく教えていました。しかし、そのころの寺子屋の絵を見ると、教える先生はいかにも暇そうに本などを読んでいます。一方子供たちは思い思いに遊んだりふざけたりしています。
 そのように雑然として学ぶ生徒と、特に何を教えるでもないような余裕のある先生という光景にもかかわらず、江戸時代の寺子屋教育は日本の子供たちの教育に大きな成果を上げていました。それは、寺子屋教育の基本が、教える教育ではなく学ぶ教育だったらからです。
 未来の社会の基礎教育も、このように子供たちの自学自習を基調としたものになるでしょう。そして、勉強の喜びは、競争に勝つ喜びではなく、自分の勉強の成果を発表する喜びに変わっていきます。
 また、教育が子供たちの人生に結びつくという点から、教育は学校の中に閉ざされたものではなく、地域と家庭にもっと深く結びついたものになるでしょう。更に、教える役割は先生が一手に引き受けるものではなく、年長の生徒が年少の生徒を教えるなど、生徒どうしの交流や協力を生かしたものになるでしょう。

 このような未来の教育の費用はどのようになっているのでしょうか。基礎教育は、すべての子供の教育を保証するという立場から、限りなく無償に近いものになっていきます。
 しかし、すべての教育がより低価格になるかというとそうではありません。教育が修行社会のダイナミズムの中核になるためには、ある意味で限りなく高価格になっていく必要もあるのです。
 さて、ここで、話は変わって、価格というものについてのこれまでのいくつかの考え方を見てみます。
 第一は、「よりよい品をより安く」というダイエー型の価格の考えです。この考えは、豊かな消費生活を万人が享受できるようにするという哲学に根ざしたものでした。
 第二は、これとは反対に、「適正価格で適性利潤を」という松下電器型の価格の考えです。松下幸之助の考えは、技術の発達のためには適度な価格と適度な利潤が必要だという哲学に基づいたものでした。
 第三は、「付加価値をつけてより高く」というバブル時代の考えです。日本でも、不要なおまけやサービスをつけて価格を高めることが企業の戦略のように考えられていた時期がありました。
 第四は、「価格破壊でひとり勝ち」という考えです。低価格を可能にする低コストは、多くの場合何らかの形で人件費の低下と結びついています。低価格は、消費者にとっては恩恵ですが、低コストを生み出すために不要になった労働力を、より高コストで活用する場を社会が作り出していかないかぎり、恩恵とともに失業という摩擦も伴っています。
 明治政府は、急速な近代化の波で多くの職業が不要になる際に、さまざまな工夫で失業対策を行いました。例えば、大井川に橋がかかるようになった結果不要になった川渡しの新しい職業として、近隣の山々の茶畑開墾を押し進めました。
 企業は、自社の利益のために低価格・低コストを追求します。しかし、それに対して個人が自助努力でリストラされないように工夫するというだけでは、社会の仕組みとしてはあまりにも不安定です。政治の役割は、規制を緩和するとともに、その規制のない自由競争の結果生まれる摩擦を、より高い次元で新しい発展に結びつけて個人を救済することです。
 さて、以上のように考えると、望ましい価格の考え方がわかってきます。それは、一つには、古い経済を代表する分野に対してはできるだけ低価格で、しかし、低価格による摩擦の少ないように社会全体で工夫していくということです。もう一つは逆に、新しい経済を代表する分野に関してはできるだけ高価格で、人も物も金もふくらませて更に発展させていくことです。

 現在の教育には、三つの面があります。
 第一は、基礎教育の面で、これは、江戸時代の寺子屋のように、能率のよい低価格と低コストと高い効果を目指していく分野です。
 第二は、これからもしばらく続く受験競争の面で、これは、高い効果を優先する結果、中価格と低コストで成り立つ分野です。
 第三は、これから生まれる向上と創造の教育という面で、これは、新しい発展の可能性を拡大していくために、人と物と金を集める高価格と低コストを目指す分野です。つまり、未来の産業は高価格の魅力のあるものになることによって、社会全体の利益を新たに生み出していくのです。
 共通しているのは低コストですが、その低コストを低い人件費で成り立たせるのではなく人件費はむしろ高めに設定するとともに、基礎教育については低価格・低利潤で、受験教育については中価格・中利潤で、向上と創造の教育については高価格・高利潤で対応するというのが今後の教育の価格の考え方になっていくと思います。

 言葉の森の目指す将来のビジョンはどういうものでしょうか。(やっとタイトルとつながった(^^ゞ)
 それには四つの面があります。それを山の姿になぞらえて説明してみます。
 第一は、山の頂上にあたるところで、ある特定の分野におけるダントツに優れたオンリーワンの教育です。
 第二は、山の中腹を取り巻く雲にあたるところで、その教育を言葉の森だけが直接担うのではなく、一般の多くの指導者を養成することによって行うという仕組みです。
 第三は、山の裾野(すその)にあたるところで、頂上のダントツの教育を支えるために全教科のバランスのとれた学力を育てる教育です。
 第四は、山の麓(ふもと)の湖にあたるところで、教育を、地域と家庭における生徒と保護者と先生の相互の交流を通して行うという仕組みです。
 今、言葉の森は、生徒を教える教室から、先生を育てる教室へと大きく変化しようとしています。その場合の先生とは、大きな組織に守られた専門職としての先生ではなく、地域で生活する子供たちと同じ場面で生活する(しかし、自ずから権威と親しみのある)共同生活者としての先生です。
 そして、その先生もまた、保護者から教育の分野だけを専門に引き受ける、閉ざされた専門家ではなく、父母や地域の人々とともに子供の教育に協同して取り組む一種の羅針盤としての役割を果たすような意味での先生なのです。
 言葉の森は、この秋からいくつかの地域で通学教室を展開します。それは、通学教室というスタイルが、これからの日本の子供たちの教育にとってより必要になると考えたからです。
 その考えの根底にあるのは、日本の社会を守り発展させるために、今何が必要かという歴史と社会の認識です。(これまで書いてきた話です)
 マネーを価値観の中心とした社会は、これから次第に自己向上の価値観を中心にした新しい社会に変わっていくでしょう。その変化を加速させるために、言葉の森もこれからがんばっていきたいと思います。

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