2024/11/7


最も大事な子供時代の教育  
Online作文教室言葉の森 TEL 045-353-9061



   どこに費用と時間をかけるか

 子供の生活は、1日24時間の中で限られています。しかも、子供は、成長する期間も限られています。その年代は、一生戻ってこない貴重な時間です。ですから、家庭生活の中では、子供の教育を何よりも優先して考える必要があります。

 今の社会は、昔と違って、多くの子供が塾や習い事に行くようになっています。しかし、人と同じような勉強しているから安心できるかというと、そうではありません。他人と同じ路線で勉強していると、もっと時間をかけてがんばるという方向に進みがちです。ところが、教室で先生に教わるような形の勉強は、きわめて能率が悪いのです。

 塾や習い事の勉強の多くは、学校で一斉授業を聞いているときの勉強と本質的には変わりません。聞かなくてももともと分かっているという無駄な時間がかなりあるのです。能率のよい勉強は、ひとりでやるか、専属の家庭教師がつくか、両親が徹底して面倒をみるか、いずれかの形の勉強です。このような勉強であれば、もっと密度の濃い、無駄のない、したがって余裕のある勉強ができます。

 しかし、そういう密度の濃い勉強に集中するような生活は、受験前の一年間で十分です。それまでの学年は、勉強に時間をかけて成績をよくしようとするのではなく、ポイントを絞って頭をよくしておくことが大事です。小学校低中学年から塾や習い事で勉強していると、たしかにそのときは成績がよくなるように見えます。しかし、そこで見られる成績の差は、学年が上がり、みんながやる気になったときにすぐに逆転してしまうようなはかない差なのです。

 時間をかけて成績をよくするのではなく、重点を絞って頭を良くする、というのが言葉の森のすすめる勉強法です。

 では、子供の教育のどこに費用と時間をかけたらいいのでしょうか。

 まず、国語、英語、数学、理科、社会などの塾での勉強は不要です。受験期の一年間は集中する学習が必要ですが、その場合でも塾を中心にするとかえって子供の勉強時間に余裕がなくなってきます。受験勉強は、志望校の過去問に取り組み、模擬試験で自分の位置を知るというやり方が最も効果的です。いずれも、中心になるのは家庭です。

 受験が直面していない時期の普段の勉強は、自宅で進める勉強が最も安上がりで最も能率のいい勉強になります。英語は、教科書を丸ごと暗唱できるまで繰り返し音読することが勉強の中心になります。数学は、やや難しい問題集をできないところがなくなるまで反復して練習することが基本になります。それ以外の教科は、学校で勉強しているだけで十分です。

 子供の教育で費用と時間をかけるところは読書です。読書によって日本語の力をつけることが、家庭学習の最優先の課題になります。しかし、家庭学習の弱点は、読書が易しい読書に留まってしまいなかなか難しい読書に進まないことと、作文を書く機会が子供の力だけではとりにくいことです。また、言葉の森で行っているような暗唱の習慣もなかなか作れません。

 そこで、塾や習い事をどれか一つに絞るとすれば、言葉の森で週1回作文を書き毎日の音読と暗唱の自習をして、それ以外は、読書と英語、数学の自学自習を進めていくということが、子供の生活にとって最も理想的な勉強の進め方になると思います。

 言葉の森の勉強は、小1から高3まで続けられます。受験期の1年間は言葉の森の勉強にあまり取り組めない時期もあるかもしれません。しかし、受験が済めばまた同じように勉強ができます。長期間同じペースで続けられるというところが、ほかの習い事ではなかなかできない貴重な蓄積になっているのです。


 


成績をよくする時代から、頭をよくする時代に



   成績をよくするのは、過去の時代の話

 成績をよくする時代は終わりつつあります。これからは頭をよくする時代です。

 では、なぜ成績をよくする時代が終わりつつあるのでしょうか。

 第一は、社会のグローバル化の流れによってです。

 江戸時代の藩が県になり日本の一部になったように、現在の日本は、これから、世界の中の一つの国という面をますます強めていきます。日本で名前を知られた大学でも、世界の基準でいうと様々な大学の一つでしかなく、世界的な基準では、学歴は「参考までに聞いておく」という程度のものになっています。

 日本でも、最近増えているAO入試や内部進学によって、学歴と学力の相関は弱くなっています。さらに、学歴と実力については、もっと弱い相関しかないと多くの人が感じるようになっています。

 成績をよくして希望の大学に入ることは、もちろん大事なことですが、それだけでは、まだ出発点に立ったにすぎない、ということなのです。

 成績の時代が終わりつつある第二の理由は、流動化した社会が生まれているからです。

 学校の成績は、小、中学校のころまでは勉強の仕方次第で、ある程度上位を占めることができます。しかし、高校、大学と進むにつれて、勉強の仕方よりも、本人の努力や実力が大きく物を言うようになってきます。

 P・F・ドラッカー氏は、これからの企業の平均寿命は30年程度だから、人間が持っている知識の寿命の方が、勤める企業よりもはるかに長くなるだろうと述べています。

 勉強をして、いい成績を上げて、いい学校に入ったらそれでおしまいというのは、過去の時代の話です。これからは、時代の変化に応じて新しい知識や技能を次々と学んでいく形が日常化していきます。

 今有利な資格や学歴というものは確かにありますが、一生有利な資格や学歴はない、と考えておくことが大切です。



 


いざというとき、伸びる力をつける



   頭のよさは、作文力に表れる

 成績をよくするという表面的なところに目を向けるのではなく、もっと根本にある頭をよくすることに目を向けていれば、必要なときにいつでも成績をよくすることができます。

 今、世の中で活躍している人で、子供のころからずっと成績がよかったという人はあまりいません。ほとんどの人は、普通の成績で、途中いろいろな脱線を経ながら成長しています。そして、ある日やる気になったときに、猛然と勉強を始めて実力を発揮していったのです。

 そのやる気になったときに、ぐんぐん伸びる人と、あまり伸びない人とがいます。必要なときに伸びる力があることが、頭がよいということです。

 小さいころから、時間とお金をかけて、コツコツと成績を積み上げるというやり方だけが勉強なのではありません。小さいころはよい頭を作っておき、必要なときに集中して勉強するというのが最も無駄のない方法なのです。

 小さいころから努力して取り組むことが必要なのは、成績を上げるための努力ではなく、頭をよくするための努力です。


 では、頭をよくするとはどういうことでしょうか。第一は理解力をつけることです。第二は思考力をつけることです。第三は創造力をつけることです。そして、第四はそれらを表現する表現力をつけることです。

 このうち、理解力を除く三つの学力、思考力、創造力、表現力は、主に作文力という形で表面に表れてきます。最近の作文小論文入試では、与えられた文章を読んでその感想を述べるという形が多いので、その感想小論文という形であれば、理解力も作文力の中に含まれます。

 逆に、ペーパーテストのような形で見ることができるのは、主に理解力と思考力の一部です。しかし、テストで分かる力というものは人為的なものなので、テストの解き方のコツに慣れているかどうかによって大きく左右されます。テストの点数よりも、普段その子が書いていることや言っていることに接して受ける感じの方が本当の実力が分かるのです。

 成績はその子の過去の勉強のがんばり度がわかるだけですが、作文には、その子の本当の実力が表れます。推薦入試で、作文や面接の試験があるのは、そういう事情があるからです。

 頭がよいか悪いかは、作文を書く力を見れば分かると言ってもいいでしょう。ですから、頭をよくする勉強は、作文力をつける勉強ということで考えていくことができるのです。


 


言葉の森と他の作文教室との違い



   毎週の電話指導で力がつく

 思考力や創造力など本当の頭のよさは、作文力に表れてきます。小さいころの勉強の目標は、作文力をつけることを基準にして考えていくことができます。

 しかし、作文は、ただ単に書くだけではなく、どのような方針で書いているかということが大事です。


 言葉の森は、他の教室とは違ういくつかの特徴を持っています。

 第一は、教材がすべてオリジナルであることです。その結果、受験コースなど臨時の課題に対しても、オリジナルな教材を作ってすぐに対応することができます。

 第二は、二十年以上の指導の実績があることです。言葉の森は、今あるいろいろな教室の中では、日本でいちばん長続きしている作文教室だと思います。その長い実績は、常にその当時の最新の技術や指導法を取り入れて新しい作文指導を切り開いてきたことによるものです。

 第三は、小学校一年生から高校三年生まで一貫したカリキュラムで指導していることです。言葉の森の生徒の中には、小学生のころから始めて高校生まで勉強を続けたという生徒が多数います。このように作文指導だけで一貫した指導体系を持っている教室は、ほかにはほとんどありません。

 第四は、作文指導を、読解力や思考力の指導と結びつけて行っていることです。これは、単に文章書く力をつけるだけではなく、本当に実力のある文章を書く力をつけることを目指しているからです。

 第五は、全生徒について担任制をとっていることです。この担任制によって、小学生時代から高校生になるまでずっと同じ先生が指導を続けるというケースも出ています。担任制をとることによって、その生徒の指導と評価を時間的な位置づけの中で行うことができるようになっています。

 第六は、通信指導を毎週の電話指導によって行っていることです。電話指導を、個人的な規模ではなく組織的な規模で行っているところは、ほかにはまずありません。この電話指導によって、通学教室と同じような指導環境を作るとともに、夜遅い時間でも自宅で学べる仕組みを作っています。

 第七は、これらの結果として、生徒の作品の提出率がきわめて高いことです。生徒の多くは、ほとんど毎週休みなく課題を提出しています。都合により休んだ場合も、振替で電話指導を受けることができるので、ほとんどの授業を消化していくことができます。


 作文の指導で大事なことは、その背後にある長期的な指導方針と運営方法です。



 


作文力がテストの中心になる時代



   増え続ける作文小論文入試

 これまで、作文のテストは、限られたところでしか行われていませんでした。それは、テスト後の採点に手間がかかるために、多人数のテストには採用しにくかったからです。

 しかし、次第に作文テストが入試に採用されるようになってきました。

 その一つは、公立中高一貫校の入試問題です。公立中高一貫校では、これまでの受験テクニックだけでは解けないような本当の実力を見るということから、作文や考える問題を中心に入試問題を作るようになっています。

 もう一つは、高校入試で広がっている推薦入試の際の作文テストです。高校では、少子化に対応して早めに推薦で入学者を確保するというところが増えています。推薦入試で主流となるテスト形式は、作文と面接です。また一般入試でも、作文の試験を本格的に取り入れる学校が増えているのが最近の特徴です。

 三つ目に、大学入試でも推薦の作文小論文が広がっています。大学は、高校以上に少子化に対応する必要に迫られています。そのため、現在ではほとんどの大学で作文小論文による入試を行っています。

 四つ目に、社会に出るときに受ける入社試験です。ここでも、エントリーシートや作文の試験が頻繁に行われています。さらに、社会に出てからも、文章書くことに自信があると、さまざまな面で有利です。特に責任ある立場になれば、文章で他人にわかりやすく説明する能力が必要になってきます。


 これまでのペーパーテストは、短期間に大人数を一斉にテストする際に使われてきました。しかしこれからは、少人数をじっくり見る形の評価が中止になってきます。そのときのテストの中心は、作文や面接です。

 作文力は、これからますます必要になってきます。



 


言葉の森の勉強の特徴



   言葉の森独自の事前指導

 言葉の森では、どのような勉強をしているのでしょうか。言葉の森には、ほかの教室にはないいくつかの特徴があります。

 第一は、事前指導を重視していることです。作文を書き出す前に、書く方向をアドバイスします。この事前指導によって、苦手な子も楽に書き出すことができ、得意な子もさらに高い目標の書き方をすることができます。

 第二は、項目指導を中心にしていることです。項目指導とは、作文の中に必要な表現項目を入れながら書く勉強法です。項目が入ればいい作文が書けるというのではありません。項目を入れることによって、個性と深みのある項目を作る力をつけることが目標です。このように目標の明確な指導を行っているので、子供たちは長期間意欲的に作文の勉強に取り組むことができるのです。

 第三は、小学校低学年の作文指導のときから、高学年の感想文や意見文、さらには小論文に発展させる見通しをもって作文指導を行っていることです。作文指導の目標は、高校生になったときにその学年にふさわしい立派な小論文を書く力をつけることです。小学校のときだけの勉強で終わらずに、生涯続く文章の実力をつけること目標にしているのです。

 このような言葉の森の指導をを支えているのは、自宅での準備です。しかし、準備といってもそれほど時間のかかるものでありません。事前に与えられている課題を見て、その課題に合わせて、似た話を考えたり家族に取材をしたりすることです。この家族に取材をして話をふくらませるというのは、子供たちの考える力を育ててるとともに、親子の対話を生み出す貴重な機会になっています。

 言葉の森の指導の流れをひとことでいうと、小学校低学年のころは楽しく書く、中学年のころは表現を工夫して書く、高学年は考えを深めて書く、中学生はより深く考えた意見文を書く、高校生は社会的な問題にまで視野を広げた小論文を書く、という進み方です。一貫したカリキュラムで長期的な指導を行っているのが、言葉の森の勉強の特徴です。


 


家庭でできる勉強の中心は読書と作文

   学力の中心は読書力、考える力は作文力に表れる

 子供の教育に関しては、将来の社会で通用する能力と、今の社会で通用する能力の両方を考えていく必要があります。それらの能力の中で、最も大事なものは、読書力と作文力です。

 まず、読書力です。

 読書力、すなわち読む力さえあれば、どの勉強もできるようになるというのが学力に対する基本的な考え方です。英語、数学、理科、社会なども、それらの学力の根底にあるのは、その教科の内容を読み取り、自分のものにする読解力です。つまり、より速くより深く理解する力があれば、あらゆる勉強は半ば以上できているといってもいいのです。

 勉強は、新しい、未知の、難しい内容を理解するという面を持っています。また、ほとんどの勉強は、日本語で書かれた内容を理解するという面を持っています。この日本語を読み取る力が、学力の出発点であり、到達点でもあるのです。

 小学生のころだけでなく、中学生や高校生になっても、読む力をつけることが勉強の最重点の目標です。教科書で学ぶ内容は、学力の枝葉の部分で、学力の幹となる部分は、読書によって作られています。

 読書力のある子は例外なく勉強の成績もよく、しかも、学年が上がるほどよくなる傾向があるのです。


 次は、作文力です。

 現在、作文の勉強は、学校ではあまり教えられていません。小学校低学年までの日本の作文教育は世界的に見ても充実していますが、小学校高学年から中学生、高校生になると、作文の指導が次第に少なくなってきます。

 しかし、学校であまり教わらないから作文の勉強が大事だというのではありません。作文を書く力もちろん大切ですが、作文力をつける点で最も大事なことは、思考力や理解力を集大成するものとして作文力を育てるということです。

 現在の入試でも、単に知識の有無を問うような形の問題はどんどん少なくなっています。今後は、考える力を問うものが更に増えていきます。この考える力が最もはっきり出るのが作文です。

 考える力を中心とする国語力の集大成として作文力を育てるという作文の位置づけは、言葉の森の作文指導の特徴です。作文の勉強であればどのようなものでもよいというのではなく、考える力と読む力を育てるために作文の勉強をするということが大事なのです。



 


考える力が問われる入試問題



   公立中高一貫校の人気の理由


 公立中高一貫校が人気です。この理由は、私立に比べて経済的に楽だということもあります。しかし、それ以上に、公立中高一貫校が本気でいい教育をしようと考えていることを、多くの人が感じているから人気が出ているという面があります。それは、それぞれの県のトップ高や準トップ高が公立の中高一貫校になっていることにも表れています。また、問題を見ても、よく考えられた良問が多く、いい生徒を集めたいという気合が感じられます。

 更に、これまでの私立中学受験で無理な勉強を小学校のうちからすることへの反省も、公立中高一貫校の人気を支えています。そのため、公立中高一貫校の入試問題は、知識よりも考える力を問うものが中心になっています。

 人間の成長の自然な姿は、小さいころはたっぷり遊び、成長するにつれて勉強するという形です。小学校時代はよく遊び、中学高校大学になるにつれて学問に目覚めていくというのが、本来の成長の姿です。

 自然な成長の仕方をした子は、社会に出てからも活躍します。小学校時代から単調な勉強に縛られているようでは、人間の幅が狭くなります。小さいころは、読書や趣味や家族との対話によって幅広い人間力の土台を作っていくことが大事なのです。

 言葉の森では、公立中高一貫校の入試に向けて、作文試験の受験コースを開設しています。これは入試の五ヶ月前から毎週一回の割合で過去問に合わせた作文課題を書く練習をしていくコースです。

 五ヶ月という短期間では、実力はあまり変わりません。しかし、その生徒が持っている今の実力を生かして最もよい作文を書けるように練習していくというのが受験コースの目標です。言葉の森の指導で、毎年多くの生徒が作文試験に合格しています。


 


学力の土台は家庭から



   低学年から考える力をつける生活を

 言葉の森に生徒が来ると、すぐに作文が上手に書けるようになります。来てすぐに上手になるというのが、言葉の森の指導の一つの特徴です。

 しかしそのあと、進歩はなだらかになります。このなだらかな進歩の期間も、先生が見る目からは作文力は上達していますが、本人にとってはあまり上達しているように見えません。

 けれども、一年間ぐらいたつと、本人自身が自分でもうまくなったということを実感してきます。上手になったことが確実に実感できるのに、高校生でも大体一年間かかります。

 ただし、これは、熱心に取り組んだ生徒の場合です。熱心というのはどういうことかというと、課題を事前に見て、書くこと自分なりに準備してくることです。それは、書く材料を考えてくることもありますし、家族に似た例を取材してくることもあります。また、暗唱、音読、読書などもそれなりにやっていることが必要です。つまり、熱心といっても、普通に真面目にやっていればいいのです。

 しかし、一年間で、自覚できるぐらい上達したとはいっても、根本にある語彙力や思考力の差はなかなか埋まりません。上手な子と普通の子の作文の実力が短期間で逆転するようなことは、なかなかないのです。

 作文の勉強は小学校から低学年からスタートする必要があります。

 小学校低学年のころから始めると、まず暗唱などの自習の習慣がつきます。そして、低学年のうちから始めた習い事は、長続きすることが多いのです。もちろん、勉強を始めるのに遅いことはありません。しかし、高学年になると勉強の習慣をつけるのに、親の何倍もの働きかけが必要になります。

 小学校低学年のころは、勉強の中身よりも、勉強をすること自体に意味があります。なぜかというと、その時期にスタートすると、それがその後の生活の習慣になるからです。

 生活習慣は、子供だけではなく親も変わります。言葉の森で勉強するようになると、まず子供に毎日の勉強の習慣がつきます。一方、親は、子供との対話を大事にするようになります。

 この親子の生活習慣の変化が、実は学力の土台になっているのです。毎日の積み重ねで育った学力があれば、その後の勉強のしっかりした基礎ができたことになります。基礎のできた子は、やる気になったときにいつでも力を伸ばすことができます。

 小学生のころの最も大事な勉強は、一言で言えば、愛情と日本語です。それ以外の勉強や習い事は子供の可能性を広げるという点でいいことですが、最優先するのは日本語をしっかり使えるようになることと、愛情のある子供に育てることです。

 この「愛情と日本語」を具体的な勉強の形で表すと、作文の勉強を通した毎日の自習と親子の対話ということになるのです。


 


本当の学力は優れた文章の暗唱で



   これからの社会で必要なのは、トータルな学力

 現在の入学試験は、志願者を限られた定員に抑えるために、点数の差が大きく開くような問題を中心に出されています。すると、それに合わせる形で、学校の中での勉強も、差がつくところを中心に教えられるようになります。学校の勉強が差がつきやすいところの学習中心になっていくと、それに合わせる形で、さらに入試問題も差をつける方向でテストをするようになっていきます。

 このようにして、現在の大学入試は、受験の教科数を絞る一方で、その少数の教科の中で小さな差を大きく拡大するような問題になっています。このことは、日本の高校生の学力をかなりゆがめています。

 これからの社会人には、全教科の知識が万遍なくあるとともに、深い専門の知識もあるという学力が求められてきます。これからの経済は、農業、工業、情報産業のあとにくる知識産業の時代になります。大学入試のあり方も、理系文系にかかわらず、幅広い教科の基礎学力をテストするような形になっていきます。

 ある教科は得意だが、ある教科は苦手というような学力ではなく、どの教科もひととおりできるという学力が要求されるようになります。そのような幅広い学力に対応するためには、物事の根本を本質的に把握する理解力が必要になってきます。この理解力をつけるために、暗唱という形の勉強が役に立ちます。



   だれでもできる暗唱の勉強

 音読は、保護者のいるところで、例えば茶の間などでやっていくのが望ましいやり方です。なぜかというと、親が音読を聞いていると、子供の読み間違いがわかるからです。また、子供が長文を音読しているときに、その長文の話題をもとに親子の雑談ができるからです。親のいるところで子供が音読をするという形で、音読の効果は更に高まります。

 暗唱をするときも同じです。子供部屋でひとりで暗唱させるよりも、親のいる前で暗唱させた方がよりよい暗唱ができます。ひとりで暗唱させると、子供はつい覚えようとしてしまいます。すると、かえって暗唱が難しくなります。覚えようとするのではなく、ただ繰り返して読むのだということを親が教えてあげるといいのです。

 暗唱がどのぐらいできるかということは、その子の国語の実力を反映しています。100字の文章をなかなか覚えられない子は、やはり日本語の読解力の基礎ができていません。そういう子供たちも練習を続けていると、必ず前よりも早く暗唱できるなります。これは実際に読む力がついてくるからです。

 この暗唱を続けることによって、日本語で書かれた文章を深く理解する力が育っていきます。


 


物事を丸ごと把握する理解力

   暗唱で、読解力、表現力、理解力がつく

 暗唱を小学生の間から続けていると、その子の読解力、表現力は確実についていきます。

 暗唱で読解力がつくのはなぜかというと、ある文章をしみじみと深く味わって読む力がつくからです。国語の問題文を読む場合、同じ文章を読み同じように理解したつもりになっていても、読む人の読解力によってその深さが違ってきます。深く読む力があると、その問題文に書かれている情景や心情などの細部も読み取ることができます。深く読む力がないと、あらすじのようなところまでしか読み取れません。どちらも同じように読んで、同じように理解しているつもりになっていますが、読み方の深さが違うのです。

 暗唱をしていると、一回読んで理解したはずの文章なのに、繰り返し読むにつれて違う味わいを感じるようになります。これは、繰り返しによって深く読む力がついてくるためです。

 暗唱で表現力がつくのは、文章のリズムが身につき、語彙を自然にたくさん覚えるようになるからです。また、暗唱をしていると、その文章で使われている句読点の位置などもそのまま覚えてしまいます。小学生の作文で、文のねじれを直したり、句読点の位置を教えたりする勉強をすることがありますが、そのような勉強はしないで済ませるというのが理想的な勉強の仕方です。具合の悪いところができてから治すことに力を入れるのではなく、もともと健康でいるという勉強の仕方をしていくのです。

 さらに、暗唱をすることによって、物事を丸ごと把握するという理解力がついてきます。これは、国語に限らず、あるゆる教科の理解力につながっています。勉強のできる子は、得意教科と苦手教科の差があまりありません。どの教科も同じようによくできます。ですから、教科ごとの勉強に力を入れる前に、まず勉強力そのものをつけていくことが大事です。

 ある事柄を丸ごと把握するような理解の仕方ができれば、全教科の勉強も同じようにできるようになります。

 国語の勉強法としては、暗唱のほかに、筆写や要約があります。また、普通に問題集を解く勉強もあります。いずれも、共通しているのは、ある文章を繰り返し読んで理解するという点です。いちばん楽にできて密度の濃いのは、暗唱の勉強です。

 文章を深く読むとは、ゆっくり読むことではなく繰り返し読むことです。問題集を解くよりも、問題文を読むだけの方が、何倍も密度の濃い勉強ができます。同様に、暗唱は、筆写や要約よりも密度の濃い勉強ができます。読書と暗唱をすることによって、ほかの教科の勉強力もついてくるのです。



 


言葉の森の生徒の小学生新聞やコンクールの入選数
小学生新聞・コンクール入選数
1996年 34件 1997年 80件 1998年 59件 1999年 27件 2000年 35件 2001年 26件 2002年 42件 2003年 66件 2004年 121件 2005年 116件 2006年 84件 2007年 103件 2008年 80件 すべて生徒が自宅から自主的に応募したものです。

親身な指導、明るく優しいベテランの講師陣
講師の出身大学
岡山大学 岡山大学 学習院大学 関西学院大学 関東学院女子短期大学 京都女子大学 京都大学 京都大学 玉川大学 近畿大学 熊本大学 群馬大学 慶應義塾大学 慶應義塾大学 慶應義塾大学 慶應義塾大学 慶應義塾大学 光華女子大学 広島県立広島女子大学 国際基督教大学 埼玉大学 千葉大学 実践女子大学 上智大学 上智大学 神戸市立外国語大学 神戸大学 青山学院大学 千葉大学 早稲田大学 早稲田大学 早稲田大学 早稲田大学 早稲田大学 早稲田大学 早稲田大学 早稲田大学 大妻女子大短期大学 大阪外国語大学 大阪教育大学 大阪大学 筑波大学 筑波大学 津田塾大学 追手門学院大学 東京学芸大学 東北大学 同志社女子大学 同志社大学 同志社大学 独協大学 奈良女子大学 奈良女子大学 二松学舎大学 日本女子大学 日本大学 福岡大学 福岡大学 法政大学 法政大学 法政大学 法政大学 北海道大学 名古屋大学 名古屋大学 明治大学 立教大学 立命館大学 立命館大学 立命館大学

言葉の森での勉強の図解説明





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