書いた人は森川林 on 5月 17, 1997 at 07:50:31:
甘い親にならないようにしよう
この文章は、このあとに続く予定の文章「こわい親にならないようにしよう」「しかし
問題は親ではなく社会に」とセットでお読みください。(まだ書いていませんが)
よく、「子供に自習をしたほうがいいわよと言っているんですが(ちょっと弱気です)、
言うことを聞いてくれなくて……」と愚痴をこぼすお母さんがいらっしゃいます。言葉の
森の自習でだけそういうことなのであれば、私たちの自習に無理があるのかなあとも思い
ますが、子供に対する親の態度は、生活全般にわたっていることが多いものです。
子供たちの住んでいる世界は、半分、動物の世界で(あ、かわいい小動物を連想してく
ださい)、子供たちは、言わば小さな「弱肉強食」の世界に住んでいます。ですから、子
供たちは、学校の先生に対しても、権威を感じる先生には喜んでしたがい、あまり権威を
感じられない先生には反発をするのです。このとき、子供たちは、その先生の中身を判断
してそういう行動をとっているのではありません。どんなに中身の濃い立派な先生でも、
外見上、権威ある態度をとれない先生は、子供たちの信頼をかちとることはできません。
同じことは、親についてもあてはまります。
子供たちのよく言う言葉に「どうして、……しなきゃいけないの」というのがあります。
「やだあ。したくない。難しい。めんどくさい。どうして、こんなことしなきゃいけない
の?」という言葉を子供たちが発したときに、大人はひとこと、「これは、大人の私が君
たちのことをよく考えた上で決めたことなのだから(もちろん、人間だから、まちがいは
だれにでもあるけどね)、君たち子供は、それに対して「どうして?」という言葉で質問
してはいけません(いやあ、かなり横暴ですな)」と言えばいいのです。
この場合、子供というのは15歳ごろまでと考えています。15歳つまり中学3年生に
なると、子供は精神的に自立してくるので、命令ではなく話し合いで納得する必要がある
からです
弱気な大人は、子供たちに「どうして?」と聞かれると、「だって、みんなもしてるで
しょ」。するとすかさず子供「どうして、みんながしてるからって、ぼくがしなきゃいけ
ないの?」。すると、弱気な大人「どうしてって……。そうしなきゃ大人になってこまる
でしょ」。子供「どうして、こまるの?」。大人「もういいわ。勝手にしなさい。こまる
のはあなたなんだからね」。子供「わーい。じゃ、しなくていいんだね」。大人「……(む
すっ)」。こういうケースで子供たちのやりとりが進むことが多いようです。
もし、こういうやりとりの仕方で、子供たちに接していたら、文化を伝えることなど何
もできなくなってしまいます。「朝、おきたらあいさつをする」「席を立ったらイスをし
まう」「玄関では靴をそろえる」「テレビは○時間しか見ない」「○時になったら勉強を
する」「歩きながらものを食べない」「弱い人には優しくする」等々。こういうルールに
は、理由はありません。子供たちが、現代の日本の社会の中で人並みの文化的教養を身に
つけていきていくことができるように大人が伝えるものですから、理由なく伝えなければ
いけないものなのです。
そして、このルールは、もちろん家庭によって異なります。「うちは、歩きながらもの
を食べることは認める」というところもあるでしょうし、「朝起きたらすぐに水浴びをし
て身を清める」というところもあるでしょう。(あるか!)
しかし、大事なことは、なんらかのルールを、大人が権威をもって子供たちにつたえる
ことができる家庭は(学校で言えばクラスは)、子供たちが安定するということです。
家庭で言うと、こういう権威を確立できるのは、子供が小学二年生ごろまでの間のよう
です。小学二年生の子供に、親「これをしなさい」子供「はい」と言わせられない家庭で
は、子供は際限なく気ままに育っていきます。(のびのび育っていいなんて言っていられ
ません。自然農法でキュウリやナスを育てているのとはわけが違います)
もちろん、ここで注意することは、親が命令したことは、親自身も必ず守るということ
です。例えば、「朝起きたらあいさつをしなさい」と決めて、たまたま子供があいさつし
ないときに何も言わずに見過ごしてしまうと、それは、子供に対してこういうメッセージ
を送っていることと同じなのです。「親が命令したことは、一応口だけで言うことだから、
その場では「はい」と返事をしておいて、あとは適当にさぼってもいいんだよ」
ですから、親が守らせられる自信の持てないことは、絶対に口にしない方がいいのです。
命令をして守らせられないというのは、何もしないことよりももっと悪いことです。これ
は、次のような悪循環を生みます。「命令する」「日常的に守らせられない」「たまに怒
って命令する」「でも日常的に守らせられない」「また、たまに、すごく怒って命令する」
「しかし、日常的に守らせられない」。そこで、愚痴をこぼすのです。「こんなに言って
いるのに、言うことを聞いてくれない」。それは、それまでの子供に対する接し方の中で、
暗黙のうちに「一応、口では言うけど、適当にさぼってもいいからね」というメッセージ
を出しながら、子供を育てていたからなのです。
このへんは、なかなか自覚しにくいところなので、実例をひとつ。
犬を育てていると、こういう場面になることがあります。人間がものを食べているとき
に犬がおねだりをします。(以下の対話はイヌ語で)
犬「ぼくにもほしいワン」
人「人が食べているときにほしがっちゃだめでしょ」
犬「ぼくも、ほしいようワン」ガリガリ(人をひっかく)
人「こらだめでしょ。ほしがっちゃ」
犬「そんなこと言わないで。ぼくもほしいんだようワン」ガリガリガリ
人「こら、だめでしょ。まったく。じゃ、ひとつだけよ」
影のメッセージ「人の食べているものをほしがっちゃだめと、一応、最初は口で言うけ
ど、なんどもしつこく催促すれば、ほしいものをやるからね。これからも、しつこく催促
するといいわよ」
武士の教えでこういうのがあります。「刀はめったなことで抜いてはならない。しかし、
いったん抜いたら人を斬らずに収めてはならない」(おいおい、ちょっと物騒だぞ)。も
うひとつ「武士の一言(いちごん)は金鉄(きんてつ)よりも固し」
甘い親にならない秘訣は、言葉を大切にすることです。