小学生の生活を考えたらどうでしょう。

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書いた人は中久喜 on 99/05/22 22:50:30:

コメント先: 小学生高学年の国語の成績の向上は?( (中久喜 さん) 99/05/22 22:50:30:

 自分の感じるところを書かせていただきますね。

 お考えの中で、個別授業か、一斉授業かの選択の問題を抱えられているように思います。経営的な視点に立ったときは、一斉授業でいかに国語力をつけるかという課題になるのかもしれません。しかし、そこで目の前の子供たちを中心に考えて見たいのです。それゆえ、経営的な視点を一度外してみたいと思います。
 
 子供は、何で読み書きができるようになるのでしょうか。また、言葉を話し始めるのはどうしてでしょうか。それは、生命というものがもともと持っている働きとしか思えないのです。だとするなら、(ここは強引に進めますね)読み書きできるようになるのが当たり前で、それができなくなっている背景には、その理由があると考えられます。

 その理由を考えてみたいのです。子供の表現したいという意欲を押さえ込むものは何か。それは、彼らの心の中に存在するのではないだろうかというのが、自分の仮説です。それは幼児からの体験の総体が、対話を押さえ込む、表現をしずらくさせている原因になっています。そうすると、塾では扱えない領域になってしまうということになりかねませんね。

 しかし、自分はそこの状態を改善していく手立てをこうじられるのは、子供の周囲の大人でしかないと思うので、塾の先生は、子供の立場に立てる大人の一人として貴重な存在だと思うのです。

 勝手な立論だとは承知していますが、お書きになられているように、家庭環境によって子供の能力の伸びは大きく作用されます。そうだとするなら、いかなる環境であれば、子供は自分を表現する能力を発揮できるのかを積極的に教えている家庭の保護者にアピールしていくのはどうでしょうか。

 教室での学習は、ふだんの生活の裏付けがあってこそ、生きた学力になってくるというのが、自分の実感です。個々の子供に具体的なアドバイスを与えながら方向性を示していけば、授業そのものは一斉授業であっても、十分に目は行き届くと思われます。

 自分が小学生に国語の授業をする場合、その根本には、興味を引き出す工夫があると思います。いろいろな場面を想定して見たりして、表現の可能性に気付かせてやる事で、子供の目の輝きが違ってくるのではないでしょうか。先生、国語が好きになったねん。と言われた最高ですね。

 他にもいろいろと考えられますが、一つの視点からの意見とさせていただきます。


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