「分数のできない大学生」の次に来るもの

[ コメントを読む ] [ コメントを書く ] [ 未来教育フォーラム ]

書いた人はnaneさん 99/12/05 14:15:10

 分数のできない大学生が話題になっています。「分数ができない大学生(東洋経済信報社)」は、ややセンセーショナルな題名の本ですが中身はいたって真面目です。主著者の西村和雄京都大学経済研究所教授は、日本の大学の知的状況に心から危機感を抱いていることがわかります。
 現在の日本では、進学校であっても、高校時代に文系コースを選択すると、数学で受験する必要がなくなるので、数学の勉強がおろそかになってしまいます。数学のような大きな体系を持つ分野の勉強は、社会人になって必要性を感じてから学びなおすということがなかなかできません。高校時代のように勉強に専念できる時期にしっかりした基礎をつけておく必要があります。
 高校時代に数学をしっかり勉強しなかった人は、大人になっても数学的な発想がなかなかできません。例えば、中学生などでよく「今度のテストは90点だったからよかった」とか「70点だったからだめだった」などと言う人がいますが、テストの点数は、全体との比較の中でなければ意味を持ちません。数字自体が漠然としたイメージを持っているので、そのイメージで判断してしまうのです。こういう発想をする人は、大人にもかなりいます。
 日常生活のほとんどは具体的事物を通して考えることが多いので、数学のように具体的的なものを離れて数字を操作的に扱うことは、訓練しなければできません。しかも、世の中では数学の苦手な人の声のほうが説得力があるので(苦手な人が多いからでしょう)、数学に縁遠い人は、一生縁が遠いままで終わってしまうようです。
 さて、本題は、分数のできない大学生のとなりで進んでいるもうひとつの事態です。
 それは、ひとことで言えば、難しい本を読めない大学生と言うことができるでしょう。
 いま、小学校高学年から高校生にかけての語彙不足は、驚くほどのものです。言葉の森でも、長文を読んでいる生徒から「この字なんて読むの」と聞かれる字のほとんどがごく普通の字です。最近では中学3年生の3、4人から「示唆」という字の読み方を聞かれました。(「しさ」です)
 語彙不足の原因は、読書不足、特に難読不足です。しかも、問題は、5や4を取る成績のいい中学生や高校生が読書をしていないということです。つまり、現在の学校の成績で測られる学力は、読書をしていなくてもそれなりにいい成績が取れるような学力なのです。
 いまの大学受験も同じです。読書をしていなくても、いい成績で大学に入れます。しかし、大学に入るまで読書をせずに勉強をしていた生徒が、大学生になってから、または社会人になってから読書を始めるということは、あまり考えられません。もちろん、小説のような本は、いつになってからでも読めるでしょうが、ある程度の難しさを持った本は、やはり勉強に専念できる時期に読まなければ一生読めないのです。例えば、高校生が学校の倫理や政経の授業で習う有名な人物、アダム・スミス、リカード、ケインズ、ヘーゲル、マルクス、ソクラテス、プラトン、カント、ルソー、ウェーバー、サルトル、ニーチェ(順不同^^;)などの本は、大学生の間に読まなければ一生読む機会はありません。
 こういう古典の読書に支えられていない学力で、しかも数学的発想のできない学力で、外見上の学歴だけ高い知識人が、これからの日本の社会の中堅を占めつつあるのです。それは、やはり世界知識人の基準とは異質なものだと思います。



コメントを書く
コード(ローマ字): 名前:
題名:
ひとこと:

参照URL:
メール:

コメントを読む:

[ コメントを読む ] [ コメントを書く ] [ 未来教育フォーラム ]