この当たりは同感ですが、さらに「質問・意欲不足」という症状も見られると思います。質問する意欲が不足しているのではありません。質問と、国語への意欲が不足しているのです。難読を行なおうとしても、分からない単語があってつっかえ、読むのが嫌になってしまう。誰かにその単語の意味を問えばいいのに。或いは辞書を引けばいいのに。
難しい本を読まずとも、例えば漫画にも「あれ、これはなんだろう」という単語がでてくることはあります。それを「なんて意味なの」と問わない。また、(これが一番大きいのではないかと思いますが)その答えを与えられても覚えない。
私も現役の中学生ですが、国語の授業中は唖然とさせられることが多々あります。文章中にやや難しい熟語がでてくると、先生が適当な人を指し、意味を問います。その時、ほとんどの人はただ沈黙するだけなのです。「わかりません」とも「これ、なんでしょう?」とも言いません。周囲のクラスメートにも聞きません。確証がないのが不安だからか、的外れな答えすら言いません。何も言ってくれないのです。
もちろん、授業内の雰囲気は、皆さん御存知のように、どこか質問を許さないような重苦しいところがあります。
ですから、休み時間に雑誌を読んでいたりして分からない言葉があれば、友人に問うこともあります。しかし、数日後にまた同じことを質問していたりもするのです。
確かに現代の中学生(私が詳しい事情を知らないので、中学生に限定させていただきます)は語彙不足が深刻な問題になっていると思います。そして、それはコミュニケーション力の不足も原因の一端であると思うのです。
答えを餌のように待ち、それを食えばまた何事もなかったかのように次の餌をねだる犬。
…多少乱暴な喩ですが、そんな感覚があります。
ポイントを絞ってのちょっとした意見でした。
オチがないです(笑)