書いた人は森川林 on 12月 06, 1997 at 09:22:13:
コメント先: 国語嫌いは問題なし posted by タカヒロ on 12月 03, 1997 at 03:09:06:
お返事遅れて失礼。(^_^;) しばらく来ていなかったもので。
国語力を受験に必要な能力と考えておられるようですが、私は、国語力の
本質は哲学の力だと思っています。「美しい日本語を残す」という主観的な
部分で国語力を考えることにも反対です。
国語の成績を上げるためではなく、深く考える力をつけるために国語力が
必要なのだと思います。その結果として国語の成績も上がるのですが、時に
は、深く考えすぎて×になることもあります。国語の問題のかなりの部分は、
その問題によってどういう力を見るのかということを深く考えずに惰性で作
られているように思います。
漫画の文化というものは確かにあります。しかし、それは漫画を作る側の
人にあるのであって、読む側にあるのではありません。
しかも、国語力と漫画の関係で問題にしたいのは、大学生や社会人のレベ
ルの話ではなく、小中学生や高校生のレベルです。この時期に易しい文章ば
かりを読んでいると、難しい文章を読む力がなくなってきます。漫画は、深
く感じる力は育てると思いますが、深く考える力は育てません。大人になっ
て、考える骨格ができあがってからの漫画と、小中学生のころの成長途上の
漫画とでは意味が違うのです。
もちろん、読書の好きな子は漫画も好きです。しかし、逆に、漫画の好き
な子が読書が好きかというと、そういう関係はなりたちません。
私は今、高校生の考える力は低下しているように思います。身近な話では
いい文章を書ける人が、ちょっと抽象的な話になると、とたんに混乱した文
章しか書けなくなるのです。新聞の文化欄などにあるコラムを難しいと感じ
る高校生もかなりいます。(もちろん、そうでない人もたくさんいますが)
啓発された世論は平和の基礎であるという言葉があります。一国の政治は
その国民の民度を出ないという言葉もあります。世の中のさまざまな分野で
自分の意見を発表できる人が多数いることによって社会は豊かになるのだと
思います。そういう力を育てるのが国語力だと思います。