書いた人は森川林 on 1月 02, 1998 at 14:17:29:
コメント先: これからの社会のためのガーデニング posted by 中久喜 宣昭 on 12月 21, 1997 at 23:49:16:
素晴らしいご意見をありがとう!(^o^)
> 自分は最近園芸について学ぶ機会があった。そこで気付いたのは園芸を
専
>門家まかせにして、自分の庭を自分で手入れしないのがこれまでのやり方
だと
>すると、これからは住んでいる人が工夫を重ねて、自分の庭を造っていく
楽しみ
>を持つのがこれからの園芸であり、それをガーデニングと呼ぶのだという
事だ。
>それは、自分で作り出した庭の美しさを他の人と共有する楽しみであり、
一人
>でほくそえむ喜びではないようだ。
これまでの価値観は、専門家とか教科書とか呼ばれる、ある一つの確立した
正解があって、その正解に近い順にランクがつけられていくというものだっ
たと思います。
これからは正解がない分、一人ひとりが自分の持ち味を生かした創造性を持
たなければならないのですが、その創造性もひとりよがりのものであっては
通用せず常に他の人の目にさらされているという緊張感を伴ったものになる
と思います。
実は、作文教室の理想も、こういうところにあります。作文がうまくなると
か小論文の試験に合格するとか国語の成績がよくなるとかいうことは、どち
らかといえば昔流の価値観である量的な進歩を尺度にしたものです。量的な
進歩は、それを楽しむための基礎力をつけるという点で大切ですが、本当の
目的は質的なものです。
小中学生の間に個性や創造性を要求するのは早すぎるでしょうが、勉強の目
的は、自分だけが発見したり創造したりるするものを生み出すためにあると
いうことは、勉強を教える側が自覚している必要があると思います。