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あえもま(あえもま)ヨウムの村2024年03月清書
いつから世の中が矛盾を
あえもま

 矛盾には良いものと悪いものがある。互いに相殺しあう矛盾は悪い矛盾である。
しかし、一度矛盾が不毛だと知れると、我も我もと論理性に走る。かくして、論理は隠れた信仰の一つにすらなっていると言えそうである。
私は、矛盾は良いと思う。それには二つの理由がある。
一つ目の理由は、矛盾によって友人関係及び、人間関係が良くなると私自身思っているからだ。まず、皆さんにとって、「矛盾をする」ことは恥ずかしいことだろうか。きっと、大抵の人は恥ずかしいとおもうことだろう。しかし、人間は所詮、相手の弱み(苦手なもの)を知っておいた方が仲が良くなりやすいのである。そこで自分も一番効果を感じている、「自分の身に起きた恥ずかしいこと」を話すと、相手も「この人はロボットじゃないんだな。」「この人も失敗するんだ。」と言って安心するのだ。つまりは、矛盾のように少しのズレがあった方が人間味があって面白いのだ。これには私自身の実体験がある。割と最近の話なのだが、私は、新中学生となり、新しい環境に置かれ、まるで竹林の中で一本の銀杏の木が生えているような状況に私が置かれていたのだ。そこで、突然隣の子に声をかけられた。私は嬉しくなって、一緒に話していたのだが、ある程度話をしていると、苦手なものについての話になった。その際に、その子が「数学が苦手だ」と言っていた。私も、数学が苦手なので、「私も私も!」と喜んだ。しかし、次の日の学力調査で、数学のテストの後、あの問題難しかったよね、話しかけてみると、「いや全然。私は大丈夫だった」と言っていて、私が「矛盾してるじゃん!」と言い、二人で思わず笑ってしまっていたのである。このように、矛盾があり、少し人間らしさを見せることで人と人との間はグッと縮まることだと私は思う。皆さんも、相手の身に起きた恥ずかしいことのようなものを知っていたら自分だけじゃないとホッとするのではないか。だからこそ、これが私が矛盾は良いと思う一つ目の理由なのである。
二つ目の理由は、矛盾によって強くなれると思うからである。例えば、「現実をしっかりと受け入れる」と「夢を真っ直ぐ見る」ことのように、二つの矛盾することを同時に行うことができればそれは人として強い人になれるのである。しかし、起業家の場合は、しっかりと現実を直視しなければ会社や自分がしている事業は潰れるが、同時に理想も掲げなければ未来に対して強い原動力は生まれない。このように、1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち受け入れることを「二重思考」というそうだ。要するに、この矛盾していることを二つ持ち合わせていれば最強になれるというのである。しかし、矛盾することを同時にするのは難しいと自分自身感じる。しかし、もう一つ私にできそうな例がある。それは、「人を疑う」と「人を信じる」ということだ。これは持とうと思えば両方同時に持てるものなのであり、この二つを同時に持っていれば、会社の話だけでなく学校生活などの人間関係でも活かせると私は思う。またこれから私たちは、多くの相反することに向き合う必要がある。だからこそ、これからももっと世界の矛盾と向き合っていきたいと思うし、また、いろいろな矛盾を同時に持てるような人になりたいとも思う。
また、自分が前に見た記事の中で面白いと思ったのが、生命は生きているだけでそもそも矛盾を抱えているということだ。それは「人道と自然法則の矛盾」で、もともと、人や生物は子孫を繁栄するために、生きている。そのため弱いものは子孫が繁栄できず死んでしまう、つまり弱肉強食の世界なのだ。だが、人は他の弱い人を福祉や、医療などで救うのである。これこそが、人という生物を他の生物から一際目立たせるような存在にさせるのではないか、これこそが人のあるべき姿だとも私は思う。やっぱり、生命と矛盾は二人で一つになって初めて自分の役割を果たしているようで、まるで靴下のようだと思った。そして、自分自身も世界が生まれた瞬間から矛盾が始まっているのでは、と考えているほど、人と矛盾は面白いので皆さんも日常の隙間にふと考えてみてはいかがだろうか。
確かに、矛盾を認めすぎていてしまうと、自分がしていること、(人間関係など)にヒビがはいってしまうことがある。でも、「私にとって最高の勝利は、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったこと」という、オードリー・ヘップバーンの名言もあるように、相手の矛盾や世界などの矛盾を認めていた方が、新たな考え方を得たり、幅広い人間関係に繋がると思うので、やはり、矛盾がいいと思っている。
つまり、矛盾とは、人にとって奇妙でありながらも、私たちを裏で支え、時より新たな発見を見せてくれる物であると言える。

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