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りんたろう(あえにま)ハトの泉2024年03月清書
得をさがす
りんたろう

 ラレルは、四つの仕事を同時に受け持つ実によく働く勤勉な助動詞である。他からの動作や働きを受けることを表す。ら抜言葉は、四番目の可能において頻繁に現れる。ラレルの使い分けが複雑で面倒くさいので、負担をかるくしようとしてらがぬけた。日本語にはもう一つ複雑で面倒なものがあって、それが敬語である。使い方を誤ると人間関係がこわれるなど大変なことになる。レルの方が発音しやすいので、レルにしてしまったということもあるかもしれない。いずにしても、ら抜き言葉を認めるかどうかは二十世紀日本語の重大問題の一つにちがいない。というのもだいぶ以前からこの是非については議論があったからである。ら抜き言葉は永く批判の的になりながらも多くの人に使われている。ら抜き言葉は手抜きであるが、それには理由があった。そう簡単には言語多数決の原理だの言語経済化の原理だのを受け入れない。いや、受け入れられないのである。日本語には食べられるやいただくなど分かりにくくて間違いやすい言葉がたくさんある。
 確かに、古くて正しいものには良さがある。例えば、最近、何でもスマートフォンにうちこむが、漢字を勉強するときは、スマートフォンだと、勝手にへんかんしてしまうので覚えられない。だが紙に書けば、全部自分で考えないといけないので覚えられる。これからぼくは、スマートフォンにたよるのではなく、紙に書くなどアナログになろうと思った。
 しかし、新しく便利なものにも良さがある。例えば、スマートフォンだど色々な情報を得ることができる。ぼくだと、サッカーでキーパーをしているので、上手いプロのプレーや試合を見たいときがある。そのときに、昔だと、見に行って生で見ることしかできなかった。だがスマートフォンやパソコンがある今の時代では、見に行かなくても試合が見られたり、キーパー動画の切り抜きが見られたりするのだ。これからぼくは、アナログも良いけど、最新の技術に頼るのも良いことだと思った。
 このように、古いものにも新しいものにもそれぞれ良さがある。しかし、大事なことはどちらも、自分にとって得になるように使っていくことである。この話の例として孔子の「行く末を知る者は、過去を知る者である」のように、どちらが自分にとって得なのか考えたり、どのように合わせて使ったりなど、身近にあるものを損しないように気を付けて見ていこうと思った。

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