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あえさみ(あえさみ)ネジバナの森2024年03月清書
多角的にみること
あえさみ

 ふだん私達は、コインを丸いものと見なしている。そして、百円玉、十円玉などと言う。けれども、水平方向から眺めれば、あきらかに、薄い長方形に見えるはずだ。ある位置にあぐらをかいたまま、腕を組んで眺めているだけでは、真相はよく見えない。視点が違う。そのちがいは、同じコインに対して「円形である」および「長方形である」という、まるで別の見方が成立した事実と似ている。新しい視野を獲得するためにも、また、相互理解のためにも、こんにちほどレトリックの感覚の必要とさせるときは、かつてなかったようにおもう。この文を読み印象に残ったところは立体的なコインが味方を変えれば長方形に見えるというところだ。同じものだが見方がまるっきり違うことを知った。当たり前なのだが気づかなかった。私は物事を多角的にみることはよいことだと思う。
第一に未来が明るく見えるからだ。私は最近まで学校はただ勉強を学ぶところだとおもっていた。仲の良い友達や信頼できる先生もいただが、学校という名の場所は好きではなかった。だが、こないだの入学式で考えが変わった。魅力的な子がいて、会ってすぐに仲よくなった。私の未来が明るくなったと感じた。学校はよくないところと決めつけてほかの考え方をしないのはとても考えるという点ではよくないことだと感じた。ものごとのすべてが分かるわけではない。だが、単一の視点では見逃してしまう情報や意味を捉えることができる。いろいろな視点から見ることは、内容が深くまとめることもできるとおもった。コミュニケーションや人間関係にも影響を与えるとも思う。異なる背景や体験を持つ人々の理解し尊重しあうことで、より考え方も豊かになるとおもう。
第二に視野がひろがるからだ。私は幼いころ犬にかまれたことがありその恐怖心のせいで動物は自分に危害を与えるものだと感じてしまっていた。だがある時知り合いの家に行った。とても可愛い犬がいた。恐怖心を忘れてしまった。すべての動物が怖いのではないと当時視野が広がった。今では獣医師になりたくて勉学に励んでいる。ある出来事のせいで偏見を持ってしまうと多角的に見ることが難しくなってしまう。多角的に見るのは簡単ではない。個々の人は自らの経験やバイアスに基づいて世界をみるこうけいがあると思う。私も考えを新しいものにすることはそう簡単にはできない。そのためほかの視点を理解することは難しいと感じる。情報や知識にたいするオープンマインドが必要だがこれも簡単ではない。常に挑戦をしなくてはいけない。
確かに注意深く物事を見つめ一つの問題にむきあうことも大切ではある。一つの視点から二つの考え方を出すことはとてもむずかしいとおもう。しかし「問題を解決させるためには、物事を多角的に見ることが重要だ」というレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉のように自分の能力を卓越させるにはものごとをいろいろな見方をし、考えることが重要だと思う。マイナスにとらえてしまう時もあるかもしれない。しかしこれからも多角的に問題を考えたい。

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