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あえわた(あえわた)ノゲシの森2024年03月清書
読書の楽しみは
あえわた

 読書の楽しみは、一人で出来る楽しみである。碁を打つには相手がいる。野球を楽しむには自分の他に少なくとも十七人の賛同者が必要である。最近は、オーディオ・ヴィジィアルの情報が、活字情報を駆逐される時代が来た、と言う人がいる。だが、活字情報にオーディオ・ヴィジュアルの情報が加わったと言うだけのことである。どちらも楽しめればいいので、どちらか一つを選ぶ必要は全くない。それでは、読書そのものにどう言う楽しみが伴うのだろうか。本を沢山読むと言うことは、日本語を沢山読むと言うことであり、日本語に多様性、その美しさと魅力を知ると言うことも、読書の楽しみの一つである。この文章を読んで、読書は一人で楽しめるし、一人で学ぶことが出来ると思った。
 僕は、長友が大好きで、五年生の夏休みに長友の本を借りた。その本を借りる前は、長友がプロサッカー選手というのは何となく知っていた。なので、長友の本を借りてみようと思ったので借りてみた。家に帰ってから、すぐにブックカバーを広げた。それは、ま長友の本を持って二階に駆け上がり長友の本を読んだ。僕は、その本に釘付けになっていた。多分、二、三時間くらいは夢中になって読んでいたと思う。面白いし、長友の生き方にとても感動した。その本を読んで、僕のサッカー人生が大きく変わるきっかけとなった。そのような本に出会えてとても嬉しい。その本から学んだことは、努力の大切さやサッカーの楽しさなどを学んだ。このことから、読書は、いつでもどこでも、一人でも楽しめると思った。
 僕の母は、説明文より物語の方が好きと言っていた。なぜなら、物語は情景や風景が想像出来るから好きだそうだ。絵がのっていると、それが本当の情景や風景と信じ込んでしまう。だが、文しかない物語だと、自分が好きなように、情景や風景を自由に想像出来るから好きだと言っていた。説明文より物語の方が好きな母が、初めて読んだ説明文は、ファーブル昆虫記で、その本は淡々と昆虫について書いてあって母は、あまり好きでは無かったと言っていた。その次に読んだ説明文は、シートン動物記でその本は物語風に書いてあって面白かったと母は、言っていた。このことから、蓼食う虫も好き好きという諺があるように、人の好みはそれぞれで、本の好みもみんな違うと思った。
 確かに、サッカーや野球などのたくさんの人が必要なことをするのももちろん楽しい。だが、読書はいつでもどこでも、何時間だろうと本を読むことが出来る。読みたくなければ読まなくていい。読みたいなら読めばいいと思う。なので、人間にとって読書とは、自分の人生を大きく変えるきっかけになるものだと思う。

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