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あかりら(あかりら)ナズナの泉2024年03月清書
短所と長所
あかりら

 人は誰しも長所と短所というものが存在する。これらに例外があるということはなく、もちろん私にもある。しかし、多くの日本人は例外にあたることが多い。矛盾しているから具体的にいうと、多くの日本人が自分自身の長所を理解できていないということだ。では、何故理解していないのか。それを長所と短所を伸ばす大切さと合わせて話していこうと思う。まず、長所を伸ばす大切さについて。これは大前提として長所がある場合の話だが、既によくできている、優れているものをより素晴らしいものにするということだ。いわばゴッホが絵を描くようなものだ。長所というのは既に素晴らしい絵が存在していて、そこに彩りを加えることでより際立つ。日本人は長所がないと言い張ることが多いため、謙虚と言われるが、私的にはそれは謙虚なのではなく、せっかくキャンパスがあって、それをゴッホよりも美しく仕上げる才能があるにも関わらず、あえて筆を持たずに私には描けませんと言っているようなもの、つまりもったいない人だと思える。逆に短所はどうだろう。短所はあまりよくできないものを人並みにできるようにする。そんなところだろうか。あわよくば長所にすることもできるかもしれない。日本人の場合、短所はありますかと聞かれたとき、約90%の人が「ある」と即答するだろう。では何故即答できるのか。それは物事を全てマイナスに捉えているからではないだろうか。あれもできない、これもできない。多くの人ができていると捉えるものを自分ではできていないと思ってしまう。しかも、マイナスに捉えてしまうせいで長所にしようとする努力をする気力もなくなってしまう。日本人に必要なのは、物事を肯定的に捉えることである。絵が描けるならそれは長所なのだ。短所ばかりを見つけてしまうくらいなら、最初からそれを聞かず、長所のみを聞いてしまえばいいのだ。実際世の中で成功している人の大半は自己肯定感の高い人だ。つまり、目の前のキャンパスに絵を描くことができる人だ。でも、いきなり日本人にそんな大胆なことができるのだろうか。ここで、できないのではないか。と不安な気持ちを抱いた。もしくはできないと断定してしまったそこのあなた!あなたは日本人らしい謙虚で勿体ないその心を変えていかなければならない。できるのでないか。私ならできる!そんな風に既に思えている人は既に素晴らしい画家だ。謙虚な画家を是非とも素晴らしい画家に仕立て上げてほしい。人が変わるには自分一人ではなく、周りの助けがあってこその成長によるものである。もし、これを読んで多くの素晴らしい画家の心をくすぐることができたらそれは本望だ。

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