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あんこ(あきあさ)広小の広中2024年03月清書
自然と人工
あんこ

 私が市場へゆく道は、いかにも自然発生的な細い、優しい道だ。家と家の間に何となく作られた人間の踏み鳴らした道だ。ただ面白いのは、全体にキララが入っていることで、光を受けて小さく一斉に瞬く。太陽に当たると楽しいですと言われて、私は日の光にも、また月の光にも照らしてみた。だが、道が一番道らしいのは、人間の暮らしを暖かに支え、色々なものを発見することのできる踏みしめられた道である。このことだけは忘れてはならないのだ。
 筆者も言うように最近確かに、道の舗装が進んでいるだろう。私の習い事友達が通っている小学校では、小2の頃まで、校庭の地面は砂だったが、近くに住んでいるお家の人から砂埃がすごいということで、コンクリートに地面を変えた。確かにそれでは問題は解決する。しかし、その学校に行く子どもたちは、砂で転ぶということを経験せずコンクリートで転ぶこととなるのだ。コンクリートは砂で転ぶよりも、数十倍痛い。そう考えると、この問題は解決してないない。親の不満から生徒の不満へと、変わっただけであると私は考える。だがしかし、最近では、人工芝を学校の校庭の地面にしようという意見も出て来ている。そしたら、どちらとも不満がないだろうという意見があるが、結局は、人工芝も、人工的なものであり、コンクリは、人工的なもので近いが、砂には程遠いだろう。私だったら学校に普段から人工芝のがあると、いい心地がしないと思う。このような背景から、世界では、自然で足りない物を人工で、補うようになり、結局は人工自然とますます世界各国なっていくだろう。
 生きていくうえで、自然は必要だが、人工技術もある程度必要だと思う。 今日本は、人口技術がありすぎて、充実しているけれど、アフリカ諸国では、自然は豊かだが、今もなお人工技術がなさすぎて、苦しんでいる人もいる。もちろん貧困というのもあるが、人工技術もその一つの原因だと言われている。人工と自然を天秤で表すと、どちらかが重くなってはいけず、同じ重さが丁度いいように、人工技術、自然はお互い足りないものを持っているから、人工と自然が、共存できる環境を作ることが、世界にとってこれからさらに、重要になっていくのではないだろうか。
 人間がお互い足りないものを、補い合っていく人を探し、パートナーなどを作っていき、快適な環境を過ごして将来を終えるように、自然と人工は、相性が悪い様に思われがちだけど、お互い足りないものを持っているのではないだろうか。共存共栄という言葉がある通り何でも足りないものを補い合うことで快適な環境になっていくのではないだろうか。このような背景から、私も自分に持っていないものを持っている人を積極的に話しかけてみたいなと思う。


 



 
 

 

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