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あききの(あききの)メジロの池2024年03月清書
あだ名の力
あききの

  進学、進級して新しい環境になると、新しく友達をつくる。そして友達ができると、より距離を縮めようと様々なことをする。例えば、一緒に遊んだり、同じ趣味の話をしたり。そのなかでも、あだ名は簡単に相手との距離を縮められるものだと思う。なぜなら、あだ名には、親しみやすく、呼びやすく、覚えやすくなるといったメリットがあるからだ。
 私はあだ名をつけることはよいことだと思う。 小学生の時、新学期、クラス替えがあり同じ苗字の人がクラスに二人いた。 みんな苗字呼びをしていたから、どっちを呼んでいるのかがわからなくなることがしばしばあった。 そこで、苗字のあとに「一号」「二号」とつけて呼んでいた。それほど変わらないように感じるかもしれないが、これも立派なあだ名だろう。こういったあだ名は男女関係なく使えると思う。そして苗字よりあだ名のほうが堅苦しくなくて呼びやすい。これが一番のメリットだと思う。この話に限ったことではないが。苗字からあだ名で呼ぶことに変えたことでより親しみやすくなった気がする。
 しかし、あだ名はいじめや自殺などにつながることがある。 私の小学校では入学してからの数か月はあだ名で呼ぶことが禁止されていた。 「あだ名で呼んでもよいが、その時は相手に許可を取るように」といわれていた。自分は良いと思っていても、相手が嫌と思っているかもしれないからだ。実際に、中学生が軽蔑されたあだ名で呼ばれるなどしていじめられ、自殺してしまったという事件があった。あだ名で呼ぶには相手のことを考える「思いやり」の気持ちがいるのではないかと思った。
 あだ名をつけ、呼ぶことは友情を深めるうえで大切なことだ。しかし、最も大切なことは相手と適切な距離で、上手に付き合っていくことだ。「思いやりの気持ちは、この世で最も重要なものであり、人間のみが持つことができるものです。」という名言もあるように、相手を思いやり、さらに距離が近くなる。あだ名をつける、ということはそのための方法であると思う。

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