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こたつ(あきりよ)メジロの村2024年03月清書
言葉の移り変わり
こたつ

 私は近頃、言葉の使い方がおかしくなっていることに突っかかることがある。特に最近だとクラスメイトが「なにげ面白かった!」と言っていたことだ。本当は。なにげなくと言いたかったのだろう。これは典型的な誤った言葉の使い方だ。だが、時間の流れと共に、若者の間で流行り始め、今ではなにげと言う言葉はなにげなくと言う言葉だとして認められている。
 人によってこのような誤用が正しくなるのに、抵抗があったり無いと思う。私は抵抗がそこまで無い。それは、自分自身がまだ13才だからだと言うことも理由に含まれるだろう。私は他力本願という言葉を使ったことがある。だが、この言葉は本来仏教用語なのだ。そのため、本来はキリスト教の人やイスラム教の人、ヒンドゥー教、その他諸々の宗教を信じている人に対して使うのは非常によろしくない。だが、現代の日本では、宗教的な観点から大きくずれて、ほかの人に頼りきりという意味で定着している。
 それは、その使い方をする人が大多数を占めているということだ。なので、言葉の意味は時代と共に変わっていく事は、人間の社会的には仕方のないことなのである。
 しかし、反対に抵抗がある人がいるのもわかる。なぜなら今まで保守的であった言葉を変えてしまうのは中々に勇気がいるからだ。たとえば、雰囲気ということばは、明治時代初期には、なんと「地球の周りの大気」という意味だったのだ。これは、今の「周りの感じ」という意味とはおおきくことなっているため、驚く人も多いだろう。
 このように言葉の意味を変えてしまうと、将来大変なことになってしまうだろう。例えば、地中に核廃棄物などを破棄するときだ。先程の雰囲気といった例のように、今の言語と未来の言語が大きく異なっている事がある事が理解できたと思う。なぜ困るかというと、核廃棄物は物によっては影響が消えるまでとてつもない時間が必要なものもある。そんな長い間、日本語の言葉が少しずつ変わっていったとしよう。すると「絶対にいけない」が現代の「そこそこによくない」程度に置き換えられているかもしれない。未来人がもし埋めた場所を掘り返してしまえば被害は大変なことになってしまうだろう。これ以外にも現在の病原体等が未来に伝わらないと困ったこと になるだろう。
 どちらの意見にも賛同できる部分が多くある。けれども、最も大切なのは言葉の意味が伝わるかどうかなのでは無いだろうか。出口の無いトンネルはないという名言があるように、一見当たり前のことでも意外と見落としがちなことは多い。言葉が必要なのはコミュニケーションをとる必要があるからだ。ならば、言葉はみんなが使いやすいようにしなければならない。そのため、私はバランスをとった言葉の矯正が必要だと考えている。ある程度の柔軟性を持ちつつもしっかりと変えてよいという線引きをしっかりとすることによって、私たちは「言葉」というものをより良い状態にして未来につなげていくことができるだろう。

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