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あきよえ(あきよえ)ハトの泉2024年03月清書
能動的も受動的も
あきよえ

 読書には一人でできる楽しみがある。誰でも、望めば昼となく夜となく好きな本を読むことができる。それでは読書そのものにはどのような楽しみがあるのかというと、それは人により読む本によって違う。読書の楽しみは無限大なのである。
 私は小さいときに夢中で読んだ図鑑がある。何の図鑑かというと、星と星座の図鑑だ。この図鑑はそのときに父に買ってもらったもので、自分で好きなものを選んでよいと言われたのでこの図鑑を選んだ。図鑑の中のいろいろな星座の神話を読みあさって、星座にはたくさんのお話があることを知れたからうれしかった。今では図鑑を読んでいたおかげで理科の星座は得意になっているし、同じシリーズの生き物の図鑑なども買っている。鉄は熱いうちに打てで小さい時に星座が好きになっていてよかったと思う。
 本を読むことは能動的である。能動的とは自分から他へ働きかけるさまのことをいう。つまりここでは自分から本へ働きかけているということである。能動的の対義語に受動的という言葉がある。テレビは受動的である。受動的とは他から動作を及ぼされるさま、他に動かされているさまのことをいう。テレビを見ることは自分がテレビに動かされているということだ。これらから本とテレビは受け取る側の動きが真逆なのである。私はどちらかというと本のほうが良いと思う。テレビには本物のように絵が動くというよさがあるけれど、情報を一方的に取り入れているだけだ。それに比べて本は自分の好きなスピードで読めるしピンポイントで情報を知ることができる。違う角度から物事を見ることもできるし、そして何より一方的に受け取るだけではないことが本の大きな利点だ。だから私は本のほうが良いと思う。
 母はテレビで述べられていることよりも本で述べられていることのほうが行動に移しやすいという。例えばあるテレビ番組で投資の特集があったとする。テレビの人は投資を精一杯投資お勧めするけれど母はそれだけではやろうとせず、本などで調べてから初めてやり始めるということだ。そういう話を聞いてまさに能動的と受動的だと思った。母の話を分かりやすくすると母は一方的に聞いているだけだと行動に移せないということである。やはり一方的だけだといけないのだ。
 人間にとって本とは他方から自分の知りたい情報を一方的じゃない方法で知るための手段である。また本を読むとは自分が興味あることを調べているということである。私はこれからテレビの良さと本の良さを考えて情報の受け取り方を考えようと思う。

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