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あおれせ(あおれせ)タンポポの泉2024年03月清書
機械に頼る事
あおれせ

 産業革命以来、機械は人びとの生活を豊かにする打出の小種の役目を果たすものだと思われて来た。そしてその進歩はイコール人類の幸福につながるとも何じられていたのである。考えてみるとわれわれの生活の大部分は、生物的嗜好でよいわるいを判断していることのほうが多い。庶民は人間であるよりもさきに、まず生物で、生物は本来もっと泥臭いものだということが、いつの間にか忘れられていた。それに気がついたわけである。ぼくは人間は機械に頼りすぎてはいけないと思うのだ。
一つ目の理由は人間はスキルがなくなっていってしまうからだ。機械に頼りすぎる事で、人間が何もやらないようになるのでスキルや能力も減っていってしまうのだ。何も働かない事で、人間は忘れていってしまうのでスキルも忘れて、なくなって行くのだ。スキルがなくなって行くと何もできないようになってしまう可能性があるのだ。何もできないと仕事をとって働くことができなくなってしまうのだ。お金を稼がないことで、生きる事はすごく難しいのだ。
ぼくは、学校ではコンピューターをよく使っているので書いたりすることもないのだ。日本語もアメリカにいると書く時がないので漢字も忘れていってしまうのだ。この作文も前は、紙と鉛筆で書いていたが今はもう携帯で書くようになったのだ。紙と鉛筆より携帯の方が使いやすいので、ぼくは機械に頼ってしまっているのだ。書くという能力も下がって行くかも知れないのだ。
二つ目の理由は、機械に仕事を取られてしまうという事だ。機械に頼る事で、工場でも機械に仕事を取られてしまうのだ。機械は止まらないで働き続ける事はできるが人間は寝る必要があるので、そうすると機会の方が使いやすいのだ。機械はほとんどのことができるので、人間よりも役に立つのだ。人間は機械のできないことがあって、それは考えると言うことだ。機会は考えたりしなくて、感情もないのだ。そうすると機械のできないこともあるので、機械のできない仕事を持っていると言う事はすごく大切だと思う。
確かに、働くのは大変で機械に頼りたいが、機械に頼りすぎるとスキルを無くして仕事も無くしてしまうかも知れないのだ。

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