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けんモル(あうえや)クジャクの森2024年03月清書
人工物との付き合い方(清)
けんモル

  私が市場へゆく道は、いかにも自然発生的な細い優しい道だ。ところがその道は最近アスファルトが敷かれてしまった。私は舗装されたのを残念に思った。高速道路なら立派な舗装があって然るべきだと思う。ほとんど車も通らない昔ながらの通り路まで舗装する必要は果たしてあるのだろうか。道には、しゃれた石、虫の死骸などいろいろなものがあった。そんなものに心を留めながら、子供はゆっくりと楽しみながら道を歩くのだ。舗装された道には、手に取りたいようなものは何もないのだ。もちろん舗装された道も場合によっては大切である。埃を浴びせかけられる街道筋の家などは、一刻も早く舗装しなければその家は窓も開けられない。だが、道が一番道らしいのは、人間の暮らしを温かに支え、いろいろなものを発見することのできる踏み締められた道である。このことだけは忘れてはならないのだ。
 僕の家の目の前には、アスファルトで舗装された道路がある。学校へ登校するときはいつもその道路をひたすらに歩いている。その道はアスファルトでできているため、頑丈で、壊れることなどそうそうない。また平坦なため、靴でも大変歩きやすくなっている。しかしまた、僕の家の近くには、そのアスファルトの道路とは真逆な、松の木に囲まれている、虫の死骸や落ち葉などがある土の道がある。僕は犬の散歩でその道を通ることがある。土の道は凸凹があったり、木の根が張られているので決して歩きやすいわけではない。しかし夏になると、そこを歩くと緑に癒されたようになるためよく通る。しかし、アスファルトでできた道路には、気持ちが落ち着くようなものはない。ただただ平坦な道がずっと続いているため、何の面白みもないのだ。そのため、実用性で言えば、アスファルトの方が優れてはいるが、面白みで言えば土の道の方が優れているのだろう。個人的には、楽しみながら道を歩きたいので、土の道のほうが良いと考えている。
 最近道を歩いていると、鉄筋コンクリートでできている家をよく見かける。最近は鉄筋コンクリートの家をかっこいいと思ったり、好んでいる人も多いのだろう。しかし、僕は家を買うとしたら、木材がふんだんに使われた、「日本」が感じられる家を買いたいと思っている。僕からしたらコンクリートで作られた家はどれも四角く、大きな直方体や立方体をつなげたものにしか見えないため、何の面白味もなく、無味乾燥に思える。しかし、鉄筋コンクリートでできた家にも利点はある。一つ目が、地震などの自然災害に強いということだ。コンクリートは圧縮などの力に強く、鉄は引っ張る力に強いとされているため、二つの特徴を掛け持った鉄筋コンクリートは、自然災害に強いということだ。実際に、今年の元旦に起きた能登半島地震では、地震の影響で崩れた家はほとんどが木材でできた、古い家だった。つまり、コンクリートやアスファルトなどの人工物は、安全性が高いということだ。ただ、僕としては前述した通り、木材を使った、面白味のある家が良いと思っている。
 人間にとって人工物は、自分の安全をより確かにしてくれて、また日常を支えてくれる大切な存在だ。道路やビルなどは、人工物がないと成り立たない。木材でできたビルなどは地震が起きてしまえば瞬時に崩れることだろう。安全面では人工物は大切だ。しかし、人間はもともと緑あふれる自然と共に生きていた動物だ。身の回りが全て人工物で囲まれていると、落ち着きを感じることは少なくなる。そのため、全てを人工物に変えてしまうのではなく、緑や自然を残して行き、安全の中で面白みを感じられる生活を志すのが良いのではないか。

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