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ゆう(あうもな)アジサイの森2024年03月清書
努力は一歩ずつ
ゆう

 がんばったことや努力したことで、一番初めに思い浮かぶのは今年一月二十三日に受験した数学検定準二級のことである。半年間様々な参考書を隅から隅まで何度も解きなおした結果、合格することができたのだ。重要なのは、ギリギリで合格ではなく、平均点を越して合格したところにある。今では数学など得意三教科にカウントされ、堂々と一位をとるほど得意だ。私が数学検定を始めようと思ったきっかけは、私は元々数学が苦手だったからである。嫌いだと勉強する気が無くなり、学校の授業にも追いつくことができなくなってしまう。それで母から勧められたのが数学検定だ。当時五年生だったので、学年に沿った難易度からスタートしたら、今までわけのわからなかった問題の意味が分かるようになってきた。試験の良いところは、試験日に向けても努力をすることで良い成果を発揮することができる他、学校や塾の話でも楽に理解ができるようになるのだ。勉強をするにせよ、読書にせよ、頑張るということはなまけてばかりには当てはまらない。本気で取り組んでいるのならば、時間を忘れるほどに集中しているはずである。学習方法でも、音楽やテレビを聞きながらの学習と、すべてをシャットアウトして全神経を課題だけに集中させるのとでは天と地ほどの差があるといえるだろう。「頑張る」「努力する」という言葉の本質とは、すべての情報をシャットアウトして課題にだけ集中力を注ぐということだろう。しかし人間である以上、集中力や体力が必ずしも無限に続くわけではないだろう。ならば、集中する時間と休憩する時間をはっきりと分ければコストパフォーマンス的にも良いのではないか。人間の集中力が続く時間は約四十五分だといわれているので、学校の時間割もそのような面を考慮してつくられたものであろう。
 頑張るのは学習面のことだけではなく運動能力を高めることも努力すれば当然、プラスの効果にはなる。最近ではあまり見かけることがないが、母が小学生だったころは運動会に組体操という種目があったそうだ。組体操とは人間が段になって五段ほどのタワーを造る種目だ。組体操は上の段にいる人ほど安定が悪く、恐怖を味わう競技だ。母の位置は上から二段目、下から四段目の位置だったそうだ。私は三角形の頂点にあたる、一番上の人が一番怖かっただろうと思う。始めては怖いと思うが、練習に練習を重ねれば恐怖心にも慣れてくるだろう。完成度が高くなっていくにつれて、バランスや作品の芯というものが見え始めてくるだろう。努力することが成功率を高めることにつながるというのはまさにこのことを言うのだろう。
 初めは少ない前進だとは思うが、努力は必ず報われるはずだ。試験の結果がすべてではなく、今後の日々の中で生かせる場面が少なくともある。千里の道も一歩よりということわざのように、努力するということは人間にとって人生においての広大な目標の第一歩である。これからもこの一歩を大切に努力を続けようと思う。

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