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あうるか(あうるか)ニンジンの泉2024年03月清書
物の良さを生かしていこう
あうるか

 られるは、四つの仕事を同時に受け持つ、実によく働く勤勉な助動詞である。一、「せっかく買った週刊文春を盗られた」という風に他からの動作や働きを受けることを表す。二、「社長が週刊を手に入ってこられた」という風に動作をする人に対する敬意を表す。三、「週刊文春は面白く感じられる」という風にしようとしなくても自然にそうなるということを表す。四、「この図書館では週刊文春が見られます」という風に、あることができることを表す。そこで「見られる」「来られる」「起きられる」など、正規のられるに敬語の表現を任せることにした。その一方で、取り分け可能の表現をられるから独立させ、つまりら抜きのれるにして、「見れる」「来れる」「起きれる」という具合に表現することにした。確かにら抜き言葉は手抜きである。しかし、それには理由かあった。
 確かに、古くて正しいものには良さがある。僕もそのことを実感した経験がある。それは小学六年生の時の話だった。今はスマホがほとんどの人に普及して、小さい子供もスマホを手にしている。なので今では離れていてもスマホで簡単にやり取りをすることができる。もちろん僕もスマホを持っている。それを使って、たくさん友達とやり取りしている。しかしある日、悲劇が起きてしまった。その日に僕は友達に遊びに誘われた。(悲劇が起きた。髭、切りすぎた!なんちゃって~‼)しかし、僕は家族と出かける予定があったので、「大丈夫」と送った。そして学校の日、友達は僕にとても腹を立てていた。僕は、「行かなくていいよ」という意味で「大丈夫」と送ったつもりだったが、友達は「行けるよ」という意味で「大丈夫」という意味で言葉を受け取っていたのだ。やっぱり、スマホもいいがやっぱり昔のように面と向かって話をした方がいいなということを改めて感じた。
 しかし、新しく便利な物にも良さがある。今では、昔からあった物でもたくさん進化している。例えば、洗濯機も乾燥までできるようになりもっと便利になった。やっぱり、新しく便利な物もいいと思う。
 確かに新しいものにも古いものにも良さがある。しかし、一番大事なのは、「トランプが生きているのは、それが実際のプレーですかわれているときである。」という名言があるように、その物の持ち味を最大限に生かしてあげることだと思う。

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