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マムアン(まむあん)ホロホロチョウの森2024年03月清書
あだ名と友達の関係
マムアン

 みどりとは私の名前だ。けれども長くて覚えにくいため、私の学校ではあだ名で、ミディーと呼ばれている。その方がどんな国の人でも覚えやすいからだ。私は自分のあだ名が気に入っている。誰かが私に勝手にあだ名をつけたら私は嫌がるかもしれない。けれどもミディーは自分が作ったあだ名だ。 だから私はあだ名には抵抗がない。それによって、私はあだ名をつけるのは良いと思った。あだ名は悪いことにも使われやすい。けれども誰かが違う人にあだ名をつけたとしても、その人がそのあだ名で良いなら何の問題もない。だから私はあだ名は良いと思う。。
 第一の理由はあだ名によって友達との関係も深まるからだ。私が保育園にいた頃、私は友達をあだ名や「ちゃん」や「君」と呼んでいた。その時は友達とはとても近く、あだ名のおかげで友達の間の距離もちじまった。けれども小学校に上がると、私は他の生徒を「さん」と呼ぶようにいわれて友達との距離を感じた。一番仲が良かった子はこっそりあだ名で呼んでいた。そして私があだ名で呼んでいた子たちは、6年間の小学校時代が経ってもまだ友達だ。特に私が小学校に入ってからすぐタイに行ってしまったため、仲良くできる時間は少なかったのに私たちはまだとても仲が良かった。もしかしたらあだ名にはそういう力があるのかもしれない。人と人の距離を近くしたり、友達との関係を深めるようになる力だ。そこから仲の良い人たちはお互いをあだ名で呼び、そんなに仲が良くない人たちはお互いをあだ名で呼び合わないという常識のようなものがこの社会に生まれたのではないか。
 第二の理由は、名前がとても長いと覚えられないからだ。日本にいた時は名前が長い人はあまりいなかったが、外国のインターナショナルスクールに通い、国によって名前が長い人がいることを知った。名前が長すぎて覚えられないのはいうまでもない。例えば友達で、カオプルック・スッカードキジュピブーンという名前の男の子がいる。私は彼のフルネームをいまだに発音できない。名前が長すぎて先生たちが覚えられないため、あだ名はカオプルックのイニシャルをとって、KPだ。だから彼の友達はみんな彼をKPと呼んでいる。また、クラスにスイス人で、マクシーム・マートウ・レシュケという名前の男の子がいる。それもフランス語を話すスイス人で、名前をフランス人みたいに舌を詰まらせたようなRや、鼻が詰まったように(悪気はないが本当だ)発音しないと、怒られる。今まで彼の名前で怒られたのは三回目だ。だから彼をマックスと呼んだ方が断然簡単だ。(それをもっと先に知っていたら長時間の彼の名前の講義を聞かなくても済んだのに。)
 確かにあだ名は人の悪口にも使われる。けれどもあだ名は悪いことばかりではなく、いいこともたくさんある。私の経験から、あだ名のおかげで友達との距離が近くなるのはわかっている。また友達を呼びやすくなったり、難しいが、あだ名を使うことで私たちは近いんだと認識でき、友達との距離もグッと近くなる。またあだ名は世界でのコミュニケーションの第一歩だ。だからあだ名はいい。年老いてもあだ名で呼び合える友達を作れという名言もあるように、あだ名があれば、年老いても絶対に仲が良い友達ができる。つまりあだ名はいい人生や社会に導いてくれるということだ。

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