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ばにら(とくなが)トマトの池2024年03月清書
入試試験(清書)
ばにら

私は二週間ぶりの自室で微睡んでいた。長いホテル生活に慣れ切ったせいか、いつものベットの上なのにもかかわらず、少しよそ者感を感じる。寝転んでみると、ホテルのよりも幾分か柔らかいシーツを感じ、いよいよ落ち着かない。そうやってしばらくすると、ふいに全て終わったんだな、という安堵と名残惜しさの中間にあるなんとも形容し難い感情が湧き出た。何ヶ月もの準備期間、そして本番。長期間の心理的な戦いが終わった、と言うには幾らかあっけないような気さえした。しかし振り返ってみると、パリでの二週間の生活は人生で一番濃い日々だったと思う。

二月の中旬、私は人生で初めての受験をした。今まで長らく「フランス生活だから受験は早々無い」とたかを括っていた筈が、結局日本の同級生と同じ時期の受験だった。しかし私がしたのは高校入試ではない。何故ならば、フランスに「入試」という概念は一般大学に入っても出てこないからだ。今回私が受験したのはパリ国立高等音楽院である。この学校は、フランス国内に二箇所しかない、学士から博士までの音楽の学位を授与できる学校だ。日本でいう芸大に近いが、フランスでは厳密には大学ではなくグランゼコールという括りの高等教育機関だ。1669年創設、サン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどなど、作曲家も演奏家も名だたる卒業生がおり、「三大音楽院」と言われるように世界的に有名な音楽学校である。当然受験難易度も高く、正直言って無謀な挑戦な気もしていた。私は五歳の頃からバイオリンを習っており、数年前に夏の音楽合宿で受けたパリの教授のレッスンがきっかけでこの学校を目指していた。しかしあいにく地方都市に住んでいるせいで、自分のレベルがあまりわからないまま今回の受験をしたのだ。この入試は二段階あり、一次では協奏曲と二ヶ月前に発表された練習曲を弾く。一次試験を合格したら、二次試験では二ヶ月の準備期間が与えられたバッハの独奏曲と、一ヶ月で仕上げた課題曲を弾き、その後初見演奏の試験を受ける。今回のバイオリン科の受験者八十八名。最終的には十四人が合格した。

この受験は今までの人生で最も大事な局面だった。準備の為に、本番の一ヶ月半前からは中学校はほぼ通わず、一日を通して練習していた。そんな中、先述した合宿で知った教授の事前レッスンを受けることになった。場所はパリ音楽院。その時初めて内部に入ることが出来た。パリ音楽院の学生の知り合いに一通り建物内を案内してもらい、その後レッスンに向かう。その日は、私以外に二人生徒が教授のレッスンを受けにきていた。みんな同じような時間帯に呼ばれていた為、レッスンをそれぞれ傍聴することになった。二人ともトゥールーズという南仏の大都市から来ており、両方技術がとても高く演奏も上手い。私とのレベルの差は歴然だ。その日は「ああこれは時期尚早だったか」と些か落胆しながら帰路に着いた。それでも仕方ないので、せめて後腐れのない結果で終わろうと練習し続け、あっという間に本番を迎えた。一次試験の二日前にパリに到着したため、数日間は学校内で練習することになる。広く綺麗な学校内には、数多くのレッスン室と練習室があり、受験直前でも十分部屋は余っていた。一次試験当日のことはあまり覚えていない。大きな失敗はなかったが自信はなく、結果発表まで半信半疑で二次試験の練習に取り掛かる。この数日の間がまたもどかしいのだ。一次を通過している確証も無いため、練習中も「この練習に意味はあるのか」と、常に疑いながらなんとか二次試験の準備をしていた。喜ばしいことに、結局一次試験は受かった。二次試験はその次の週で、その間もまたホテルの部屋と練習室の往復繰り返すことになる。毎日音楽院に通っているうちに、いつの間にか生徒になった気がしていた。本当にこの学校の生徒になれたなら、それはそれは楽しい学生生活になるだろうなと想像できる。知り合いの過半数は一次試験を通過していた。日本ではよく受験を「戦争」と形容される。しかし意外なことに戦争のような厳しさでも周りの成功は喜べていたし、更に言うと全員が最良の結果になることを願ってさえいた。それは余裕からでも善良さからでもなく、おそらくは共感からだったと推察する。その後の二次試験は満足のいく結果ではなかった。それなら、と開き直って初見演奏はやりたいように弾き、むしろ演奏会だと考えながら審査員の前での最後の一曲を披露した。その後思い返してみると正確に弾けていたかどうかの自信はあまりなかったが、もう後戻りはできない。その日の夕刻に合否の発表がされた。結果だけを言うと、合格でも不合格でもなく補欠二位に名前を呼ばれた。その後審査員の先生方に質問してみると、卒業結果により補欠合格者は毎年平均四人ほど入学出来るとのことだ。講評を聞くと、(やりたい放題だった)初見演奏が私の順位を格段に上げたようだった。最終の試験だがそれほど重要ではないと言われていた初見演奏まで放棄せずに音楽をする意識が、今回の受験で一番大きな鍵だったのかもしれない。

受験は結末が予想できない。特に驚いたのが、事前レッスンで知り合った二人は残念ながら不合格になってしまったことだった。特に音楽はその年の審査員の好みに合わせて基準が揺れ動くし、直接演奏するため余計緊張する。練習を積み重ねてもその当日に行けなければ意味はないし、準備期間の心理的な負荷が間違った言動へと招くこともあるだろう。しかし、「人事を尽くして天命を待つ」と言うように、自信は定かではなくとも出来ることを最後まで完全に諦めないことが一番大切ではないかと思う。結果も大事だが、悪い結果であっても後悔の少ないように徹頭徹尾やり通す精神は不可欠だろう。喜ばしいことに音楽合宿で知り合った人達は全員合格か補欠に残っており、来年度に入学が決まったなら本当に楽しい生活になりそうだ。

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