国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   ふしぎ   くろーばー

 私と言う人間がこの世に存在していることほど不思議な事はないのではなかろうか。特に願ったわけでもなく、気がつくとこの世に存在していて、おまけに名前、性、国籍、貧富の程度など重要なことは全て勝手に決められている。『たましい』など本当はあるのか無いのか分からない。しかし、それがあると思ってみると人生を何倍か豊かに味わうことが出来るだろう。そして、自分に必要な、生涯を表す物語を知っておくことが役立つのだ。【要約】私は身長一四八cm(小さっ)でⅩキログラム、座高○センチ、成績は中の中位で偏差値○、テストの平均点は・・・。そんな数字だけで自分を表現したとしても、それだけで自分の全ては伝わらない。数字でハッキリと表せることが出来るものだけで説明し終えたと思っても、実は数字だけだと上手く表現しきれない部分が出てくる。私はこの世界の、この地球で、たった一つの『生きている』存在だと考える限り数字だけで表すのには無理があるのだ。
 確かに、客観的なものも必要だし、主観的に見ているだけでは進歩がなさそうだ。テストを受けて、数学が悪かったなら数学をがんばろうと言う気にもなるし、実体的な目標が立てやすい利点がある。客観的だと自分が考えているよりも冷静に見られるというわけだから、正しい結論に行き着きやすいし、事実をありのまま出すことが出来る。
 しかし、同時に他人との比較だけでは測れないものもある。例えば、一人一人の夢を比較したとしても誰のが良くて誰のが悪いなどと言うようなランクや点数付けは出来ない。個人個人が違う夢をもってそれに向かって努力することが生きがいだという人もいるだろう。私らしいやりかたをしないとダメなのだ。
 このように人間は他人との比較の中で評価される自分と自分自身の物語、すなわち生き方の中で分かる自分の両方がある。才能とは自分自身を信ずる能力であると言う名言があるように自分を信じ、そして一番大事なのは両方のバランスをとって上手に社会を行きぬくことだと思う【総合化】。

   講評   kirara

 私はよく、「自分のことが好きだもん」と言ってまわりから「幸せなひとだねえ・・・」とあきれられています。ちょっと自分物語に偏りすぎているかな! ?
 <<こうせい>>比べてみて参考になるものと、比べても何の意味もないもの。この二つを「意見」としてわかりやすく出せました。
 <<だいざい>>実例が少し出しにくかったかもしれませんね。数字のデータによって、自分がどれくらいの実力なのかがわかったという経験(第二段落)や、バレエへの夢(第三段落)のことが書けるかな。
 <<ひょうげん>>この名言を読むと、当たり前のようなことが実はできていないんだなあということに気づかされます。
 <<しゅだい>>両者のバランスがとれていれば、最強の(? )自分がつくりだせそうですね。


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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