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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   生とは?死とは?   ビーバー

 現代では、医療の技術など、一般的には科学技術と呼ばれるものがめまぐるしく発展し、その影響で人間そのものの寿命もこれまでに増して長くなった。しかしその一方で、「脳死」と呼ばれる新たな「死」が出現した。脳死という状態を利用する臓器移植までもが登場した。しかし、臓器移植には道徳上で問題があるのではなかろうか。人間には死に対する葛藤心が足りていない。今技術を越す葛藤心が、私たちに求められているのではなかろうか。私たちはこのような葛藤心を身につけるべきである。
 その葛藤心を持つための第一の方法は、人間の生・死をしっかり意識することである。私は中学2年の時、人間学という授業でのテーマが「生と死」であった。その中でも数回脳死に関する問題が出てきた。「脳死による臓器移植をよしとうるか否か」のような感じである。私は賛か否かかなり迷って最初は賛にした。その次で違う資料を目にし、否に変えた。それまで興味のなかった「脳死」という問題に道徳的な場で直面した結果、考え方が変わったのである。それからは私は「生前に希望する人が臓器移植に利用されても本人の意思に寄るからまだ良いだろう」と思うようになった。
 その第二の方法は、歴史上で有名な人物が自分の死とどのように向きあっていたかをよく見ることである。江戸時代やそれ以前、何人もの人が自害をしただろうか。みな潔く死を選んだ。病気の人がいたとしても、その人たちには死から逃れられる「医療技術」という方法はなかったのである。そう考えると、いつまでも死ぬのが怖いだの死にたくないだのいってはいられない。生に諦め悪くしがみつく必要もないであろう。何もあっさり死を認めるのではなく、生に引きずられるなと言うことである。死の時期が来てしまったということでそこは死の覚悟を決めるべきである。
 確かに、技術は発展したほうが良い。前向きに技術の向上に励めるので発展することは必要である。しかし、「人間は生きた結果に死が待つわけではなく、死ある前提で生きているのである」という言葉に表されるように、いつまでも精神的に死を遠ざけてしまうと自分の死までの限られた時間を利用することができない。矛盾してはいるようだが、技術の進歩によって人間は非人間化していっている。論理と技術だけが全てではない。人間にある「心」という大切な一部分が残されているではないか。心あれば人間である。倫理性も技術とともに発展させていかなければいつかは完全に非人間化した社会が誕生してしまうだろう。

   講評   nane

 「死に対する葛藤心」というのは、大事な見方だね。脳死と臓器移植というのは、一見合理的な判断のように登場する。しかし、その背後にある人間らしい生き方とは何かということをいつも考えておく必要がありそう。
 中学2年生のときの授業の例は具体的。情報が増えてくれば、当然自分の判断の基準も違ってくる。世の中には簡単に結論が出せないことも多いということがわかったのが、いちばん大きい収穫かもしれないね。
 日本には、死の美学とも言える伝統文化がある。葉隠などは、その典型で、あのような倫理観を作り上げた民族というのは、日本人のほかにはあまりいない。今度、教室にある本を読んでみると面白いと思うよ。
 結びの意見は、常識的な意見のように見えるけど、ビーバー君がよく考えて出した結論だということがよくわかる。


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