創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   要素還元主義の限界   シュシュ

 昔の東洋の医学は、体の一箇所だけに問題があったときにも、体全体の問題としてとらえるものだった。対して、西洋のものは、体を部分に分けて治すものだった。現代では、それが発展して臓器移植などの技術も生まれ、倫理上の問題も生まれてきた。このように要素還元主義は、多くの発展をもたらしたが、それには限界があることが分かってきた。とは言っても、昔のように分析をするのではない全体的な見方に偏りすぎることも問題である。
 その第一の対策は、分析して考えたことではなく、経験して自分が思ったことを大切にしながら生活することだ。前に、「ハチミツとクローバー」という映画を友達と見に行った。私は映画はとても面白いと思って、満足して帰ったのだが、家に帰ってからネットのこの映画のレビューを見てみたら、多くの人があまり楽しくないという感想を書いていて、そこでのこの映画の評価の平均はあまり高くなかった。私はときどき映画を見に行く前にこのようなネットのレビューを参考にするのだが、やはり自分で見たときの感想と、一般的な感想は違うことは当然あるのだと実感した。データを集めて色々と分析したものが、自分で体験して得るものに勝ることはないのだ。
 第二の対策は、地道に分析をして結果を出すという人間の努力をないがしろにしないことが挙げられる。今までの偉大な科学者は皆、地道な実験と分析によって偉大な功績を作り上げてきた。ガリレオも、小さいときに偶然気付いたふりこの動きを、ふりこの法則という形で世間に証明するまでには、多くの分析の努力があったと思う。村上春樹の「海辺のカフカ」という本がある。登場するナカタさんとホシノくんは、目的のことをやりとげるために、東京から西日本まで、地道な探索を続けた。総合的に見ることばかりにとらわれて、細かく見る努力を怠ってはいけないのだ。
 分析主義には限界があるが、全体的な見方ばかりが行きすぎてはそれも問題である。賢い人間は、方法にまどわされるのではなく、自分で方法と見るものを選ぶものだ。

   講評   nane

 「対して、西洋のものは」は、「西洋の近代」という意味で。
 要素還元主義の限界を具体的に考えておこう。例えば、東洋の医学では、心臓を毛細血管までのつながりを含めた全体的なものとして見る。西洋の医学はもちろん心臓を独立した臓器として見る。それぞれのプラスマイナスを考えてみよう。
 「ハチミツとクローバー」の映画は具体的。しかし、分析主義の限界という小論文の途中の実例としては、ちょっと広がりすぎか。全体的な見方というのは、全体の見方という意味ではなく、総合的な見方という意味。
 今回は、ちょっと苦しかった。このテーマは実はよく出てくる。入試の現代文でもよく見ると思うよ。再度、同じテーマで考えておこう。

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