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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   山口・広島旅行で知ったこと   なまず

「わぁーここが新山口駅か。」
電車が山口駅に着いた。その景色はとてもきれいだった。
ぼくは、春休みに旅行に行った。そこは、本州の一番西、山口県と広島県だ。
 僕の家では、ずっと前から旅行に行くことを計画していた。毎日毎日、旅行の日が早くこないかなと待ちきれないほどだった。ついに旅行の日が来た。その日は朝から忙しかった。お母さんもお父さんも仕事に行っていたからだ。したくはすぐにやって午後三時ごろにお父さんとお母さんは早退してきた。(前から仕事場の人はわかっていた。)僕は、すぐにお風呂に入った。だが、いきなりものすごい高熱が僕をおそった!!でも、中止にはしなかった。その後、インフルエンザの薬、タミフルを飲んだのだ。その後、面白いことがおこった。バナナを食べようとしたつもりがバナナの皮まで食べていた。みんなに笑われた。自分でもびっくりした。やがて、車で新富士駅まで行った。行きは寝台特急に乗るので富士駅から出発だが、帰りは新幹線なので新富士到着だから車をそこに置いていくのだ。そのあとタクシーで富士駅まで行って、駅のホームで最近買ったばかりのニンテンドーDSliteをやりながら電車を待った。30分ぐらいしてようやく、寝台特急が来た。そして、乗ることができた。お母さんは僕のことが心配で自分の個室にいないで僕の個室にずっといた。寝台車で寝ながら新山口に出発。
「ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。」
せっかくなのに夜は、静岡駅と岡山駅しか見られなかった。(けっこう起きていたつもりだったが。)朝になると新山口駅に到着。景色がいいなぁとはじめに思った。そして、予約していたレンタカーを借りた。レンタカーで秋芳洞に行った。秋芳洞はものすごい洞窟だった。入り口が大きかった。秋芳洞探検といって、洞窟の高いところに上って下りて行くという面白い探検があったからやった。お父さんも子どものとき来たらしい(友達と子どもだけで来たんだって。)けど、探検はなかったといっていた。あらかじめ調べておいたが自然の力でこんなに大きな洞窟になるなんてと思った。お父さんが言っていた百枚皿があった。その他にも大黒柱や鍾乳洞、石筍、黄金柱、巌窟王、千町田、竜の穴、クラゲの滝登りがあった。一番奥まで行ってUターンしてエレベーターのあるところまで戻り、それに乗って僕が一番見てみたかった秋吉台まで行った何と芝生の上にボツボツと石灰岩が生えているのだ。しかも、向こうの山にも向こうの山にもどこ向いても石灰岩は広がっていた。とてもすごい景色だった。次に岩国という秋吉台からとても遠いところに行った。距離は約百二十五キロメートルもある。ぼくのうちからおじいちゃんの家は、約百四十三キロメートルで、同じくらいだった。まずは、ホテル(岩国国際ホテル)に到着。その後、錦帯橋というもこもこした橋を渡った。橋を渡り終わった後、侍の家や白蛇、猿回しなど見た。そして、ロープウェイで山のてっぺんへ出発。それで岩国城を見た。そしてまた、ホテルに戻った。熱は、けっこう下がってきた。ホテルには、温泉があったからぼく以外みんな夕食前に入った。三月三十一日午後七時、夕食の私宅ができたので案内された。夕食はとても豪華だった。夕食が終わって夜、僕は、お父さんと一緒に露天風呂に入った。とても気持ちが良くてさわやかだった。外の風呂からは、錦帯橋が見えた。すごくきれいな景色だった。次の日、また朝風呂に入った。なんと女性の湯と男性の湯が入れ替わっていた。昨日とは、違う風呂には入れたのだ。寝ながら風呂に入れて最高だった。その後朝食を食べて、宮島に出発した。宮島のフェリー乗り場に行く途中、石灰岩の広がりが見えた。まるで、僕についてきているように感じた。そしてフェリー乗り場に着いた。本当は広島から高速船で行くつもりだったが、時間がかかるしお金もかかるから宮島駅から普通のフェリーで行った。宮島ではまず大きい鳥居をみた。鹿がいっぱいいておどろいたが、人なつこくてかわいかった。その次に厳島神社を見た。厳島神社は、最近台風でぼろぼろに壊れたそうだが、今はすっかりもと通りになっていてすばらしかった。建物が海に浮かんでいてとても美しかった。その次に五重塔へ行った。五重塔は、またもやとてもきれいだった。その近くに豊臣秀吉が立てた作りかけのお寺があった。帰るときに、そこで昼食を食べていった。お父さんとお母さんが名物の焼き牡蠣を
「美味しい、美味しい」と言って食べていたので、僕も食べてみたら本当にプリプリしておいしかった。それからそのあと、広島のホテルに行った。お母さんたちがホテルに荷物を置いている間に、僕とお父さんはレンタカーを返却しに行った。お母さんたちと平和資料館で待ち合わせをしていたので、タクシーでそこへ向かった。資料館にはいろいろなものがあった。ぼろぼろになった洋服や黒い雨が染み付いた居間があった。すべて見終わったあと平和記念公園に行っておまいりをした。その後、ついに原爆ドームの近くに行った。とてもすごくがんじょうな建物だと思った。今まで写真でしか見た事がないのに実際見ると、まだ建物とわかるくらいだった。昔は、もっときれいだったのかなぁと思った。平和の鐘もたたいた。原爆を落とす目標となったT型の橋も見た。昔の広島の人は、犠牲者としてものすごく苦しんでいたということがとてもかわいそうだった。今になってもアメリカの人は誤ってくれないという話も聞いて、とても残念で悔しいと思う。でもアメリカの人の中にも平和資料館を訪ねている人もいるから昔の広島の人の苦しみをわかってくれている人もいると思う。原爆とは関係のない広島の新しくてとても大きな建物も見た。都会だなぁと思った。その日は、ホテルに戻って外に出ることがなかった。広島のホテルは洋風でとても良かったが、部屋は岩国のホテルよりせまかった。次の日、ホテルを出て呉の大和ミュージアムに行った。そこには海軍が残したものがたくさんあった。それも、戦争に関係があった。少し勉強になった。見終わった後広島駅に行き、広島から新幹線で新富士に向かった。新幹線は500系だった。僕の大好きな500系だった。お兄ちゃんが言うには、そろそろなくなるらしい。
僕は、旅行スタートのときに体調を崩しどうなるかと思ったが、熱も1日でさがり楽しく旅行ができてよかったと思う。一度見てみたかった秋吉台、秋芳洞、原爆ドームが見られて本当に良かった。他にも、厳島神社、錦帯橋、岩国国際ホテル、広島のホテルがとても心に残った。原爆ドームは、見るだけで昔の世界みたいだった。家族5人で旅行に行けたのも良かったと思う。500系が名古屋に着いた。
「さようなら。500系。」
こだまに乗りかえた。……………..豊橋、浜松、掛川、静岡、新富士。
「新富士、新富士ご利用者ありがとうございました。お忘れ物のないように。」
この旅行は、大きく分けて楽しみ、勉強、観察だったなと新幹線を見送りながら考えた。広島は、原爆が落ちたのに今では大都会だった。みんなすごく頑張って自分の町を取り戻したのだと思う。僕は、戦争の恐ろしさやそこから元に戻った都会、そして世界遺産や特別天然記念物を守って暮らしているところがどういうところか今回の旅行で少しだけわかった。



   講評   kaki

ながーい作文をがんばってパソコン入力したね。手がいたくなったでしょう。よくがんばりました。

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