国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   主観と客観   シュシュ

 従軍慰安婦に対する見方が国によって異なることが問題となっている。日本は、歴史的な証拠がなく軍が命令したとは基本的に認めていないスタンスだが、一方の他国では日本に国としてのお詫びを求めている。しかし、どちらが歴史として正しいかは、調査することによって明らかに分かることではない。このように、歴史には歴史を見る側の意見が必ず反映されてしまい、客観的な見方の限界が現れて問題となっている。これからは、この限界を認識した上で、問題を解決するための方法を追究するべきだ。
 そのための第一の対策は、主観的な意見に偏りすぎて、今まで積み上げてきたデータをおろそかにしないようにすることだ。昔、ガリレオやケプラーなどの科学者が地動説を主張したとき、その時代の常識は地球を中心とした天動説で、この説は教会によって徹底的に弾圧された。紀元前のギリシャではすでに、アリスタルコスによって地動説が主張されていたが、古代ローマ時代にはプトレマイオスによって天動説が主張され、おそらくカトリック教会にとっては後者の説の方が好都合だったのだろう、地動説は17世紀になるまで消し去られてしまった。自分にとって都合の良いことを信じてしまいたい気持ちは誰にでもあるが、このような間違いがおこらないように、しっかりと正しいかどうか検討する必要がある。
 第二の対策は、人が客観的になることの限界を自覚することだ。以前「死刑執行人の苦悩」という本を読んだことがある。凶悪な犯罪を行い、裁判にかけられて然るべき罰として死刑が与えられた死刑囚なのだから、同情する余地はもうないはずなのに、毎日世話をしているうちに死刑のむごたらしさに心から悩む人の姿が書かれていた。私たち一般の人間は、凶悪な犯罪のニュースを聞くと、犯人は死刑になって当然だと簡単に思ってしまうかもしれない。しかし、もしも私がこのような仕事をしたら、同じように死刑囚に対して同情してしまうだろうとこの本を読んで思った。それが法によってもたらされた正しい判断であると分かっているにもかかわらずだ。このように思う私は、人間が客観的になるのは非常に難しく、それを目指すことには限界があると考える。
 主観的な見方や客観的な見方にとらわれず、よりよい解決を目指すことが人間にとって本当に必要なことだ。本当の解決とは、見方を見つけることではなく、見方によって解決の方向性を見つけることである。

   講評   nane

 ちょうど時事的なテーマとの関連があったね。日本以外の国は、陰謀のようなことをよくやるから(笑)、この問題もやはり政治的背景がある。
 しかし、どちらが正しいかということを論じても、水掛け論になることが多い。というのは、この長文によれば、客観的な真実を見つけるということ自体に限界があるからだ。むしろ大事なのは、これからどういう社会を作っていくかという主体的な行動だね。
 アリスタルコス、プトレマイオスと、勉強の成果が出ている。しかし、小論文の実例は幅広く網羅するよりも、あるエピソードに絞って書く方が印象は深い。
 客観性の限界の自覚も、いい対策。限界があると考えるところから、建設的な対話が始まるからね。
 「本当の解決とは、見方を見つけることではなく、見方によって解決の方向性を見つけることである」は、いい感じだが、もう少しわかりやすい方がいいか。

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