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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   コトバ   hikari

 科学をコトバで記述した時、他の人にも同じ状態が分らねばならない。コトバとは、その対象物の実体を認識するためのもの、とソシュールは主張していた。もし、ソシュールの通りならば、言葉が違うことで、科学は困ってしまう。けれど私は、言葉はもっと自由に考えるべきだと思うのだ。
 私がその様に思う第一の理由として、コトバを厳密に使い過ぎてしまうと、想像力や表現力などが低下してしまうからである。かの有名な俳人、松尾芭蕉の一句を見てみよう。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
日本人の多くが知っているこの句を、厳密にしてみると、(おそらく)こうなる。『○年△月×日、私(芭蕉)がN池という古い池の中に、一匹の蛙が飛び込むのを見ました。その音は周囲の静けさを破るようなもので、私は深く感動いたしました』。これは私の勝手なる妄想に過ぎないが、大抵の人が、「ああ、日記の一部分ね」ぐらいにしか感じないだろう。というより、ずっとモトよりも野暮ったく成り下がってしまっている。日本は、昔からコトバを文化の一つとして大切にしてきた。もし、コトバを厳密にしてしまうと、そういった今までの努力や美しさの結晶が、ボロボロに崩れてしまうのだ。世の中には、色々な人がいる。科学者だっていれば作家や詩人だっているし、サラリーマン、政治家…到底私には数えきれないほどだろう。大人はたいてい職についているが、お互いを認め合い、尊重し合っている。互いに必要だということを、彼らは理解しているからである。これは、コトバについてだって言えることだ。だから、必ずしも厳密なコトバが良いとは限らないと思っている。
 第二の理由として、コトバを自由にすることで、新しいコトバや考えが生まれるからである。数年前にブレイクした(勿論今でも、ひそかなブームにはなっているが)「あたまやわらか塾」という任天堂のDSソフトがある。近頃はwii版でもでているらしく、5分の3.8星(Amazonより、2010年2月現在)という、まあ良いかな…といった評価であった。私が友人の家で、ハマりにハマってしまった(ハメられてしまった?)この「あたまやわらか塾」だが、英語に直訳すると、「Soft Head Cram」となり、大変なことになってしまう。ふにゃふにゃ頭をゲームで作るなんて、そんな馬鹿な。ともすると、ゲーム脳と勘違いされてしまいそうである。けれど、本来の意味は、「柔軟性に富んだ頭を作る塾」である。アメリカ人ならともかく、日本人の大半には分るであろう、この言い回しだが、何故にそのような日本人にしか分らないような、外国人に語弊を招きそうな表現を商品名にしたのであろうか?私が思うに、そういった表現の方が、インパクトもあるし、ニュアンスも広まるからであろう。コトバが自由であるからこそ生まれてくる、新たなコトバ…そのようなとらえかたも、いいと思う。
 確かに、相手との関係をこじらせないために、時には正確な表現が必要である。けれども、「脱皮できないへびは滅びる」という名言にあるように、コトバが自由に変化をしていくのは当然の進化なのだから、止める必要性は無い。むしろ、自分の糧として取り入れていった方がいいと思う。別に正確なコトバを否定はしないが、自由なコトバの良さも、理解して欲しい、と私は思う。

   講評   onopi

 清書とどきました。言葉が持つ創造性について考えながら書かれた意見文です。よく書けています。
 進級試験の意見文も締め切りに間に合うように送ってくださいね。
 

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