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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   もののけの教え   おむふ

 ある書物にこのようなことが記されていた。 浮世とはもののけだらけであったかもしれぬ。酒呑童子、白蛇、ヤマタノオロチ。古文書、また伝え受け継がれてきた古来の話には度々もののけが現れるものだ。日本のみならず四方どの国にもそういったものはある。だがこれらはまやかし、人々の想像の産物であるかもしれない。雷の引き起こすプラズマ現象を人魂のゆらめきと思い、かわうそを河童と思ったといったようなものと同じようなもののけは数多くいるはずだ。だが今日の世にも永遠の過去より生き、しかとこの世にあると言いきれるもののけが唯一いる。「もったい」である。はるかなる太古から生き受け継がれ後の世でも永久に生き続けるであろう妖魔。それこそ「もったい」だ。古来人々が狩猟により生きていた時分、「もったい」はひそかに生き、人界に現れ出ることはそう多くなかった。まだ豊かであった太古の奥ゆかしき森にてつつましくあったのだ。木々はまだ濃孔で甘く、樹皮の成す香は人智の及ばぬ神秘を思わせた。それゆえ人の世の万物には「もったい」がいない。すなわち‘もったいない’状態である。故に人々は「もったいない。」とつぶやきつつ多くのものを拾い集め、ひっそりとした生活に身をゆだねていたのだ。だがいつのころからか「もったい」は人界にはこびりあらゆる万物に宿ったのだ。「もったい」は己の意思により世に見参したのではない。彼のもののけを人が世に送りこんだのだ。ユーラシア大陸の西のはずれにて突如として起こった産業革命がその引き金である。あらゆるものの大量生産が可能とされ、あまたの商品が人々に売られていったこのイギリスの歴史はあまりに有名である。だがいくら生産が向上しようともそれに伴う消費がされなければこの革命はいずれ廃れゆく定めである。そこで「もったい」がかりだされたのだ。人々は「もったい」を利用することにより経済をなりたたせていこうとしたのだ。「もったい」を媒介し商品にとりつかせることにより「もったいない」ならぬ「もったい」という状態となる。こうなってしまうと人々はものを‘もったいない’と思い拾うのではなく逆に捨てたいという衝動に駆られてしまうのだ。この効果により大量生産に伴う大量消費がされ、今日の流通経済は潤っているようである。
 随分と長々と述べてきたがこの「もったい」という妖怪に例えた経済の理念は多くを考えさせるものである。この「もったい」の法則とは確かに今の世界の経済をなりたたせているかもしれぬ。だが捨てるという行為により利潤が生み出されるというのはいかなるものなのか。正しいといえるのであろうか。それを考えてみようと思う。
 まずは「もったい」を利用して捨てるという行為を促すことの否定の意見から考えていきたいと思う。つまり、物を大切にすべきだという意見である。この意見の肯定としては次のようなものがあげられる。「もったいない」の理念は今世界的に重要とされているものである。それを示すものとして「もったいない運動」がある。ワンガリ・マータイという環境保護活動家がいる。彼は環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞した人でもあるのだ。彼は日本の心でもある「もったいない」の理念を世界に広める運動をしている。なんでも3R(リユース、リデュース、リサイクル)と尊敬の意を一言で表す言葉は唯一「もったいない」だけであるそうだ。彼をはじめとするこの「もったいない運動」は社会の多くの面で功を奏している。この運動の具体内容としては次のようなものがある。一つにはMOTTAINAI傘プロジェクトというものがある。ビニール傘は年間に1億3000万本以上が消費されている。その上その多くが使い捨てであり、莫大な資源が無駄になってしまっているのだ。そこでこのプロジェクトではマイバッグと同じようないわゆるマイ傘を奨励したのだ。これにより資源の節約は大いに期待できる。余談だがこのこころみは経済産業大臣賞を受賞した。 古の世から学ぶことは多い。江戸時代にかかれた書物に世間胸算用というものがある。その話の一つに藤市という商人がでてくる。彼は、常々「もったいない」の心を忘れず努めていた人であった。道に草が生えていたならば、「これを煮れば胃薬になる。」と拾い集め、石を見つけたならば火打ち石になるとこれまた拾っていた人である。そのため彼の財は千貫目、今でいう17億円もの金額に値するものであった。事実、「もったいない」の心を重んじていた江戸の都はなんとも華やかでみやびなものであった。我々もこうした先人の良き知恵にならうべきなのではなかろうか。今、あらゆるところで資源の枯渇化、ごみの大量化などが危ぶまれた。今こそ今までのつむいできた「もったいない」の心を持つべきなのではなかろうか これが物を大切にすべきだという意見の主な理由である。
 次に考えていきたいのは「もったい」を使い経済を潤滑にしてゆくべきだという意見である。この意見の理由付けとしてはこのようなものがある。新旧の交代とは森羅万象の常であるような気がする。それは宇宙にも通ずることであり生命にもまたみられることである。星とは永久輝いているようであるがそうではない。太陽ほどの質量の星なら安定して輝き続けられる期間は100億年ほど。太陽の質量を上回る星であるならばたったの10億年という星もある。途方もなく長く感じられるがそれでもいずれ輝きを失う定めにある。太陽の例でみると、現在から約50億年程たつと今の太陽の安定した状態である主系列星から赤色巨星へとその姿を変える。今より、体積が大きく表面温度が低い状態だ。やがて、赤色巨星は自分の中にあるガスを放出してゆき輝きを失ってしまう。太陽と質量の違う星も、原理こそことなるもののガスやちりを宇宙空間に残して輝きを失う。だが、ここで放出されたガスは新たな星を形成していくのだ。星の原料となるのはガスやちりである。先の放出されたガスは重力により集まり、やがて新たなる星となり輝くのだ。こうしてゆるやかな新旧の交代は宇宙で行われている。これは、新旧の交代というより食物連鎖やエネルギー保存の法則に類似する輪廻のものであると思うかもしれないがこれらは同じものであるはずだ。 また生命にもこれはいえる。ある生物郡から次の生物郡への交代は地球史の中で何度か行われてきた。カンブリア紀のアノマロカリスや三葉虫といった鎧兜のごとき古海洋の生物はご存知だろう。この生物群は大量絶滅なども経てその数を減らし川って、「ダンクレオステウス」や「シーラカンス」などの魚類にとってかわった。こうした生物の移り変わりにより現在の哺乳類が主たる世界となった。 森羅万象にみられるように新旧の交代、なにかを捨て、なにかを拾うといった行為は新たなる発展への源となる。
これが古きから新しきへの移り変わりは重要だという意見の考えられる理由のいくつかである。
 今まで多くを論じ考えてきたが考えている中でもだんだんと思ってきたことがあった。今、述べてきたように物を大切にすること、古から新への変革はなんとも豊かなものを生み出すがそれと同時に憂いをもたらすものでもある。ある一つのものに固執することによる向上心の失い、大いなる変革による悪しき反動と後悔。こういった言葉がある「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである」我々はその都度最善の手を尽くし、大切にすべきものは守り伝え、置き換えるべきものは変えていく。それがなによりのことに思われてならない。

   講評   koni


【複数の意見・構成図】 複数の意見を挙げることができました。

【昔話の実例・長文実例】 「もったい」という妖魔の存在を唯一認めた説明から書き出したところがすばらしい。人間の欲につながる妖魔と想像できるよ。歴史実例や社会実例を引用しながら意見を導き出した理由を丁寧に説明できています。余談ですが、今、世界的にクロマグロの禁輸案が物議をかもしているね。自然保護、貿易黒字、食文化、更には欲深い裏事情など、色々な問題が網の目のように絡まっていて難しい問題なんだね。

【名言の引用】 よくできています。

【総合化の主題】 まとめも完璧。私達は、とても複雑な社会に生きているので1つに意見にまとめることがなかなかできないけど、どんなときでもそこから何かを学ぶことができたら、私達は成長していけるのでしょうね。

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