創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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知識を使う人間 あほーどり
十九世紀になると自然科学が発達し、歴史すらも科学の精神に捉えられるようになった。つまり歴史とは一定の法則の元の出来事であるとされ、厳密な資料が重視されて個人が埋没するようになった。
しかし、歴史は正確なデータが集まれば成立するのではなく、それに加えて史観が必要になる。そこには歴史家の偏見、私見が入り込むかもしれないが、それを恐れてはいけない。過去の観念が意味を持ち、過去を形成するのは自分のうちに未来への情熱を見出すものにとってのみである。
将来、人々の判断力の低下が問題になる。その原因としては、近年の学校教育における、丸暗記をさせるやり方があげられる。
現代の受験などで、何かに対する自分の意見を問う問題が出るということはほとんどなく、ましてそれを学校で教えるという環境はまったくできていないと言っていいだろう。この状態がやがて社会に出てもマニュアルに書いてあること以外はできない社会人を作ってしまうことにつながる。
対策としては、教育の場において個々の応用を評価する環境を作ることが必要となるだろう。また、社会での体験を盛り込むことによって自分で考えることの大切さを学ばせることも効果的だろう。
確かに正確な知識を身につけることは大切である。しかし、知識をそのまま述べる人間ではなく、知識を使う人間になることが勉強の目的なのである。
時代はまたも詰め込み教育の流れに傾いているが、問題に正確に答える力だけが大切なのではないということに気づかなければならないのではないか。
講評 mako
とてもすっきりまとめたね。このままでも十分ですが、体験実例が項目としてあげられているので、あほーどりさんの具体的な体験があったら完ぺき。
実際に教育の現場で判断を問われるような試験があったら評価する側も困るだろうね。ふだんの生活の中で、わたしたちは細かいことを自ら判断し、選択しているのですが、そのためによく考えているかというと、私の場合、考えなしということがほとんどかもしれません。まわりの情報に流されていることも多いです。情報がいくらたくさんあっても、処理しきれなければ意味がないなあとつくづく思います。
よく考えて判断したい問題ほど答えがなくて難しい。でも、決めるのは自分だという覚悟を持つことは大事かもしれないね。
自作名言、この調子!
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