国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人間分析   あほーどり

 分析とはあるものをいろいろな見地に立って認識し、記号としての要素に分けることであるため、分析するためには立場が必要となる。また、特殊なことを一般的なもので理解するとも言えるが、それは唯一独自なものは分析できないということである。それに加えて刻々と新しくなる「時間」を認識することはできない。
 分析主義が限界に達したことにより今後分析的な考え方を否定する風潮が現れるだろう。その原因としては、人を成績や学歴で判断するような機械的な見方に対する批判が挙げられる。
 現在またゆとり教育から詰め込み教育へと方針が変化し、成績が重視されるようになった。しかし、世論がそれを受け入れない雰囲気になれば、企業や学校も明確な規準がないまま個性を見て合格者を出すというようなあいまいな判断をしかねない。
 対策としては、現在われわれが分析として考えているものの中にも総合的な意味をある程度見出せるということに気づくことである。
たとえば、ある人の成績がよくなかったとしたら、その人は集中することが苦手なのではないかと推測することができるのではないか。
 確かに人間を分析することは難しいのかもしれない。しかし、本当に大切なのは「良さそうな人間」ではなく「良い人間」自身なのである。総合的に判断したとしても、結局はその人の一部分、あるいは良いところを誇張した部分しか見ることはできないのではないか。能力などの合理性から考えてもデータによる分析は必要なのである。

   講評   mako

 難しい課題でしたが自作名言も入れてよくできました。
 ここでは分析という言葉で述べられていますが、単純に物事をすべて数値で評価しようとする方法と考えることもできます。分析や数値ではあらわれてこない個性や変化をどんなふうにとらえていくかということが今問われています。だからといって、分析という手段をまったく無意味なこととして捨ててしまうのはどうだろうかということですね。
 あほーどりさんなら面接の時、どんな自分を見てほしいと思うでしょうか? また面接官は何を求めて面接していると思いますか? これまでの実績を重視する人もいれば、これから先のことを重視することもあるでしょうし、意外とあいまいなのが実情ではないでしょうか。相当数の人を期日までに評価しなければならない現場では、何かわかりやすい数値を一つ決めて、それだけで割り振られることも少なくないように思います。現実的には、分析はまだまだ重視されていくのではないでしょうか。確かに分析を過信するのは問題ですが、ある程度有効な手段として割り切ることも大事です。分析結果については、それがすべてではないという前提で受け止めることです。
 人間はみなどこか割り切れなさを抱えています。わたしは、どんなかたちでもいいから表現力を磨いていくことが対策の一つになると考えます。たくさんの人にアピールできなくても、もし対する一人ひとりに伝えたい自分を伝えることができたら、抱えている荷物をうんと軽くできそうな気がするのです。



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