創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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あなたは学生ですか? カエル
ただいま私は学生である。毎日学校に通い週何十時間と勉強をしている。授業の内容は数学だったり世界史だったりと多岐にわたる。その中には体育という教科も含まれているのだが、受験を控える三年生にとっては体育という教科は必要ないのだ。しかし、本当にそうだろうか。確かに体育という授業がセンター試験に出ることはない。だが、受験勉強に疲れた受験生のリフレッシュや、勉強しかしていない体をしっかり動かしておくことは、大切なのである。将来知識だけが頭のよさであり、知識こそ学問であるという問題が起きるだろう。
その原因として、昨今の過剰なほどの受験戦争があげられる。最近の社会の風潮としてより高学歴の大学を目指すようになり、学生は実技授業ではなく知識授業に重点を置くようになってしまっている。センター試験なんかでも、記述式ではなくマークシートで書かせる知識問題がほとんどを占めている。ちなみに私も、ただ単純に公式に当てはめるだけの問題ならできるのだがすこしでも捻られたらお手上げということは多々ある。それはやはり、知識だけを重視してきて物事のつながりが見えなくなっているからに他ならない。
その解決方法として、知識を詰め込むだけでなく応用する点に重点を置くことだ。
先程のセンター試験のマークシート式と同様に、最近では夏休みの自由研究なんかも知識だけとなってきている。研究ではなく発表となってしまっている。アサガオの日記を一つ書くにしても、「今日は3センチ伸びていた」という発表ではなく、ではなぜ3センチ伸びたかといったような「なぜ」が足りないのである。応用が目的であることを忘れてはならない。
たしかに、知識がなければ応用はできないが、考え応用することに重点を置くべきである。最近は深刻な不景気によって有名大学の需要が高まっていることは理解できるが、本来学習の目的はそうではない。大学に入るために一生懸命勉強するという間違った生徒が増えてきている。だから、大学に入ったら急に勉強しなくなるような学生が生まれるのである。それは知識学習しかしてこなかったため応用が利かず視野が狭くなってしまっているからに違いないのだ。その知識を生かすためにどのようにすればいいか考えることが真の意味での学問である。学生とは「学んで生きる」と書く。私はこれからも真の意味での学生でありたい。そして、いつも自分自身に問い続けたい、「私は学生でいるだろうか」と。
講評 mae
いい清書が書けました! すばらしい♪
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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